ことほぎの儀
ひのてんR18

「湯呑みに一杯。濃度はわかんねえけどかなり濃いと思います」

「よく飲めたね。苦かったでしょ」

「アレよりはだいぶマシだったし」

「え?」

指示語では伝わらなかったらしく、火野がきょとんとしたので付け加える。

「だから、あのアロエジュースよりはまだ飲めるって…」

「ああ、そっちね」

そっち?
尋ね返す前に、火野はひとつ頷いてさらなる提案を発した。

「だいたいわかったんだけど、まだ気になることがいくつかあるかな。ちょっと協力してくれる?」

「内容によります」

火野相手に『何でもします』と答えるのは賢明ではない。『何でもしたい』時や『何をされてもいい』時も確かに、具体的にいつとは言わないが確かにあるのだけれど、今はその時ではない。
彼は徐に手を伸ばし、天子の半纏を指先で摘まんだ。

「服装なんだけど」

「服?」

「そう。資料にはざっくりとした挿絵しかなくてね、細かいところがわかりにくかったんだ。この中に何を着てるのか、とか」

ぴらりと合わせをはだけて、黒の腹掛を覗き込まれる。男同士なら特に気になることもないが、つい過剰に反応して後ずさってしまう。

「別に、んなもん見たまんまっていうか、なんでそこまで知りたいんですか」

さりげなく乱れを直しながら、突っぱねるような口調で彼を責める。着衣を緩められた程度で頻脈を刻むのが情けない。火野の方は至って真面目な表情で考察を披露する。

「だって、そういう歴史があったのなら服装もそれに即したものになりそうじゃない? 衣装が複数あるとか、昔と今で違うとか、その辺の記述はなかったし。お祭りの手伝いをするんだから動きやすくて、かつ脱ぎやすい、みたいな服になるよね。さすがに女の子には見せてって言えないから、さっき御守りを売ってた子とちょっとだけ話したよ。巫女の格好なら袴さえ落とせば何とかなるだろうね」

ついでに、と彼が小さく笑う。

「すごく親切な子でね、てんこの知り合いなんだけどって言ったらいろんな話を聞かせてくれたよ。当たり引いたアイスを譲ってくれたとか、土手で他校とケンカしてたとか、いろいろ」

「あいつ…」

待望の蓮華美形に話しかけられて舞い上がったに違いない。余計なことばかり吹き込んでくれたものだ。彼に握られる弱みは惚れた弱みだけで十分なのに。だから、と彼の手が再び伸びてくる。

「ちょっとくらい見せてくれてもいいでしょ?」

「いいわけない」

さっと身を翻すも、社の縁側に前方を阻まれては逃げられない。退路を絶たれ、背後からぎゅっと抱き締めるように腕を回されて、心臓が痛いほどに鳴り響く。

「どうして?」

耳元で囁かれた声が、幾分か色を含んでいるように感じられたのは気のせいか。ウエストに巻き付いた手が、半纏を締める帯の結びをスルスルと引っ張る。ほどけた帯によって生まれた隙間から手のひらが入り込み、カッと耳が熱を持った。

「ど、うしてもこうしても、こんなとこでコソコソしてんの見られたら言い訳にならねえって――」

「わざわざ禁足地に来る物好きなんて僕たちしかいないよ。それに全部脱ぐわけじゃないんだし、何をどう着てるのか教えてくれれば済むから。みんなのいるところで着衣を検めてもいいなら構わないけど」

「どっちにしたって嫌です」

彩音や凛の好奇な視線に晒されながら、身体検査よろしく彼にあちこちを確かめられるなんて怖気が走る。ならば今、腹をくくって全身をさらっと見せてやるしかないのだが、これまた厄介な事情がある。上半身なら許してもいい。が、腰から下はどうあっても見せたくない。
要求を頑なに拒む天子の様子に、何か理由があるらしいと火野も踏んだのか。甘えるように絡めていた腕の拘束が強まり、びくりと背に緊張が走った。

「隠されると余計に気になるね。会わない間に何かあったの? 僕の連絡は無視して、誰かと楽しく過ごしてたとか」

「んなわけない! そんなんじゃ、ねえけど」

彼に対する想いが揺らぐことなどあり得ない。火野も身をもって知っているはずで、本気で浮気を疑われてはいないのだ。しかし、そんな台詞を恋人に言わせてしまった後悔がちくりと胸を突き刺す。
彼の我が侭を受け入れることで信頼が確固たるものになるなら、恥じらいなど焚き上げと共に燃やしてやりたい。恥ずかしがっても彼を楽しませるだけだ。天子は深く息を落として体の強張りを解いた。今更協力的な姿勢になるのも癪なので、背は向けたままだ。

「仕事中は屋台で買えないんでしょ? 後で好きなもの買ってあげるね」

遠回しな許可を得た彼は、気前良く報酬を口にしつつ半纏を肩から滑らせる。天子は返事もせず、むくれた表情で食べたいものの列挙と勘定を脳内で始めた。焼きそばにたこ焼き、串焼き三種とじゃがバター、それからそれから。
鯉口シャツと、背中でクロスした腹掛をしげしげと眺められる。

「この下は何か着てる?」

「ヒートテック」

「あ、本当だ」

シャツの襟首辺りを摘まみ、タグを覗き込んだ火野も頷いた。続く手のひらが、半纏の裾をくぐって腰を撫で上げる。愛撫されているわけでもないのに、反射的に体がびくついてしまう。
風もなく、冬にしては暖かな日差しが燦々と降り注ぐ午後。とはいえ、耳と頬の火照り方はやはりおかしい。漢方茶が運悪く効きすぎてしまったのか、それとも。

「っ、あ!」

右脇腹に回り込んだ手が股引の腰紐を解き出す。蝶々結びをほどけば、幅広の二本の黒紐がはらりと別れた。

「別にっ、脱がさなくたって――うわっ」

腰から滑り落ちそうになった股引を慌てて掴み、縁側で茶でも啜っていそうな穏やかな表情を睨めつけた。

「おや、許してくれるんじゃなかったの?」

「〜〜〜っ」

威嚇もどこ吹く風の飄々とした態度で、彼は無慈悲に下衣を剥ぎ取ろうとしてくる。自棄になった天子は腹底から叫ぶように最終確認を入れた。

「どういうリアクションしても構わねえけど! マジで引くのは無しで! わかってます!?」

「はーい」

腹立たしいほど楽観的なお返事に、もうどうとでもしてくれ、と匙をぶん投げる。いつもそう、自分は彼のおねだりをまともに断れた試しがない。今回だって本気で嫌がっているのに、その反応すら楽しんでいる節がある。

「クッソ…」

聞こえる声量で悪態をついても尚、背後の彼は笑うばかり。股引をずり下ろそうと、するりと中に手が滑り込んできた。

「――ん?」

ヒートテック越しに腰をさすって、火野が不思議そうに首を傾げる。さっきから燃えそうなほど耳が熱い。
退けないからには迅速に済ませてしまおうと、天子は半纏の長い裾を内に折り込んでまとめる。そして後ろに手を回し、肌着ごと股引を掴んだ。

「こんなん見たいとかどうかしてんだろ…」

生地がするんと肌を滑る感触に、腰から下が外気に晒される冷たさ。羞恥に手が震え、下帯の中できゅっと大事な場所が縮こまる気配がする。
男の下着などを見せつけられては狼狽も致し方ないものの、さすがと言うべきか、彼は特に驚いた様子もなくしげしげと衣装を眺めていた。必要以上の視線を感じ、首筋までがじわりと熱くなる。

「よく着られたね」

貶めるつもりは毛頭ないはずだが、恥じらいのコップが溢れる直前の天子には『よく好き好んでそんなものを着られたね』を略したニュアンスに聞こえた。憤慨にも似た気持ちで弁解を口にする。

「着たくて着たわけじゃねえ! なんだ、その、あいつらってか男なんかみんなアホだからそういうノリみたいな、別に俺は金さえもらえりゃどうでもよ」

「でも、なんだか緩そう。ずれたりしない?」

「ひっ」

天子の釈明を遮った彼は、狭間に埋まり込むように捻り渡された布地を軽く摘まんだ。自然と前方が圧迫され、怯えたような声がこぼれる。天子は慌てて股引を引っ張り上げ、腰を隠そうとした。どくどくと心臓が逸る脈を刻む。


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