小説 | ナノ


▼ 6.光坂 凛

凛に連れてこられたのは四階の空き教室だった。蓮華には『選択教室』という名の部屋がいくつかあり、主に文化祭や課外授業で使われているが普段は誰もいない。
三つも階段を上ってきた彩音はまたぜえぜえしていたが、凛は平気な顔で椅子二脚をベランダ手前まで引きずっていった。高校自体が丘の上にあるため、四階ともなればかなり風通しが良い。

「はー、涼しー!」

他に凛しかいないのならと、グレーのニットベストを脱いで彩音はブラウスに風を受ける。春の風がここ二時間ほどの諸々の汗を吹き飛ばしていく。

「これ使う?」

凛が肩掛けのスクールバッグからシーブリーズのボトルを取り出す。彩音はありがたく受け取ることにした。

「ありがとー。夏じゃないからって持ってこなかったんだ」

「あたしはずっと入れっぱなしよ。中学のバッグの中身そのまんま」

キルト地の巾着を引っ張り出して開けると、鮮やかな色味の溢れるサンドイッチがワックスペーパーから覗いた。紫玉ねぎのスライスにアイスプラント、バジルチキンが全粒粉のパンに挟まっている。うわぁお洒落、と自分の弁当を開きながら彩音は心の声を実際の音に乗せた。

「こっちのは何入ってるの?」

「これ?クリームチーズとナッツかな」

あたし好きなんだー、と凛が笑う。なんてお洒落な子だろうと感動しつつ、彩音は母親作の庶民的でボリューム満点な(これも十分うまい)弁当をつついた。

「彩音のもおいしそうじゃん。てかあんた、めっちゃ食べるね!」

「?っ、あははは!」

彩音は思わず腹を抱えた。人一倍、いや二倍食べることを、一部の女子から嫌味たらしく言及されていた中学の頃。されど少食にはどうしてもなれず、新しいクラスにそういう子がいないといいな、と思っていたのだが。
凛はあっけらかんと驚いてみせた。言ってはいけないことかな、なんて迷いもせずに。一聞すると褒め言葉にも聞こえなくはない、じめじめした女特有の嫌味とは対照的な、彼女らしくからっとした砂漠の如き驚嘆。
彩音は嬉しくなった。

「そう、わたしすっごい食べるの。ほらほら、おにぎりなんて二つだよ〜」

「もうそれ手榴弾じゃん。はー、まぁいいことだわ」

丁寧にツッコミまで寄越して、凛はナッツサンドをかじって笑った。

「凛ちゃんのサンドイッチはお母さんが作ったの?」

「んーん、今日は弟」

えっ、と彩音は目を瞠ってサンドイッチに再度視線を落とす。サンドイッチが食べやすく、かつ手が汚れないように包まれた、細やかな作りだ。

「すっごい!弟くんが作るの?お姉ちゃんのお弁当を?」

「なんか張り切ってんだよねー。自分のついでだから!とか言ってるけど、早起きしなくてもいーのに」

レモンティーをちゅーっと吸って、凛は続ける。

「うちって親が忙しいもんだから、あたしか弥生――あ、弟ね。どっちかが夕飯作って、二人で食べたりすることが多いんだわ。お昼もそんな感じ。弥生、学食キライだから大体持ってってるし」

「へぇー!仲良しなんだね」

「まぁそうかな。あっちがちょっとベタベタしてくんのよ、あたしが育ての親だからかもね」

凛のさっぱり感は姉属性由来のものらしい。

「言い忘れたけど、あたしクォーターなんだ。おばあちゃんが英国人で、お母さんがハーフ」

言われてみればなるほど、凛の瞳や髪の色はイギリスの血の影響が大きいのだろう。そうそう、と凛も頷く。

「染めてないよ、地毛なの。ここまでくるくるしてないけど、弥生も親もこんな感じ。で、うちは基本パン食なの。ご飯も食べるけど、麺類のほうが多いかな」

「ふわー…」

日本にいながら、ちょっとした異文化交流をしている気分だ。彩音は唐揚げにぱくつく。
凛はバッグから徐に携帯電話のストラップを摘み上げた。ぱかっと開いて、やや顔をしかめる。

「弥生のやつ、またメール送ってきてる。使用禁止のくせに」

蓮華も基本的には携帯禁止なのだが、みな教師の目のない所では普通に使っている。高速でボタンを連打する凛の傍らで、何気なく様子を眺めていた彩音はぴたりと箸を止めた。
揺れる携帯ストラップ。月刊エシルで連載中のBL漫画、純然マロンチカのマスコットキャラクター、ぷよウサギ。耳のぷよぷよには定評がある、らしい。ウザキさんが真咲ちんにそう言ってた。そのストラップが今、彩音にフリフリと自慢の耳を振るっている。

「ウザキさんのウサギだ!」

彩音は口に食べ物を頬張ったまま反射的に叫んでいた。凛はぎょっとしたが、彩音の視線を追うなり目を剥き――彩音の肩に、ぽんと手を置いた。

「これを付けてたら、いつか同志に巡り会えると思ってたわ…」

心なしか凛の声も潤んでいる。彩音はしっかりと頷いて、同志と固い握手を交わした。

その後。真咲ちんの今後についてマロンチカ談義を熱く繰り広げたのちに、そういえば、と凛が尋ねてきた。

「部活は?見学とか行ってみたりした?」

「あ、うん。昨日、えっと、化学部に…」

入部試験を思い出してか、彩音は歯切れ悪く答える。マジ?と凛は嬉しそうに目を輝かせた。

「あたしも気になってたんだよね。昨日行けなかったんだけど、どんな感じだった?」

「そうなの?ええっと…」

実験室前で、浮かれた女子生徒たちに薫が言い放ったことをかいつまんで聞かせる。あーそうよね、と凛はあっさり納得した。

「そりゃあ、かっこいい部長にどこの馬の骨だかわかんない女が近づいたら嫌でしょ」

「えっ?あれって、副部長の先輩のやきもちなの!?」

「でしょ?なんか有名みたいよ、二年生の間では。こっちにも伝わってきたし、立花先輩フツーに公言してるらしいんだわ、副部長の先輩――何とか薫さんだっけ?薫と結婚する!って」

彩音は眩暈がした。そんな素晴らしい逸材が眠っているとは知らなんだ。凛は不思議そうだった。

「あんた、知らなかったの?あたしはてっきり、それ目当てで見学行ったのかと思った」

「動機は合ってるよ。わたしは一昨日、先輩たちを見かけたからなんだ。職員室に向かってたみたいで、じゃれつきながら…それはもう、仲良さげに帰っていくところを…ふおおおお…」

「帰ってこーい。あー、なるほどね。それで見学に行ったんだ」

「うん。でも凛ちゃん、なんで嫉妬だって思うの?」

「今聞いた話だと、立花先輩はびっくりしてたんでしょ?薫先輩のほうが勝手に決めちゃったのかなって。だとしたら、群がってた女の子――彩音も含めてだけど、それに対する牽制だと思わない?」

「そっかー!はー、もっと粘ってくればよかったなぁ。なんか、テストって言われたのがショックっていうか、頭いっぱいになって帰っちゃったよ…」

凛は少し間を置いて、ぱちんと携帯電話を閉じた。

「今日、行ってみない?」

「えっ、見学に?」

「うん。何もさ、今日テストやるわけじゃないんだろうし、テストやってダメならダメ、ってわけでもないでしょ?立花先輩優しそうだから、やる気あるとこ見せればいけると思う」

「それは……うん。わたしもひとりは怖いけど、凛ちゃんがいるなら…」

「立花先輩に変に甘えるとか、怪しい素振りを見せなきゃ薫先輩だって嫌な顔しないよ、たぶん。それとも彩音、立花先輩ほんとに好きになる?そういう意味で」

「うーん……わかんない」

「正直ね。まぁあたしもゼロとは言えないわ、気持ちの問題だから。でもさ、先輩が噂通りの途方もない一途で、脈が全くないってわかれば、むしろ楽じゃない?」

「わぁ、凛ちゃんおとな…」

「薫先輩もまさか、萌えの補給に来たとは思わないでしょ。あたしまだ薫先輩見てないし、一回行かないとわかんないわ。めっちゃ居心地悪かったらその時は帰ろ」

「うんうん。やる気、ちょっと出てきたかも」

「決まりね」

風の吹き込む教室に、午後の予鈴が鳴り響いた。



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