小説 | ナノ


▼ 7.縁

「そうですか。すぐに、というのは難しいかもしれませんね」

「ええ。私も私で、自分から輪の中に入れないのが悪いのですけど…」

食べ終えた弁当を風呂敷に包みながら、由姫はそっとため息をつく。
学校を変えたからといってそう簡単に友達ができるとは思っていなかったが、ほんの少しだけ、期待していたのだ。性別も家柄も関係なく、みなが対等に接してくれる環境を。
由姫に二杯目の緑茶を、自らにもコーヒーを淹れて、火野が微笑みかける。

「ご心配なさるほどのことではありませんよ。この学校には千人近い生徒がいますから、同性に絞って約半数と考えても、数人なら仲良くなれるでしょう」

「なんだか自信がありませんわ」

「どんな人間でも、二割の人に好かれ、二割の人には嫌われるのです。貴方の令嬢という要素をいい意味で気にしない人間なら自然と友達になれますよ」

温かな緑茶を静かに啜って、こくりと由姫は首肯する。一朝一夕で友人を作るのは難儀だが、ここに在籍する三年間のうち、たったひとりでも生涯を共に過ごせる友人を探し出せれば、それはそれで幸せなことではないだろうか。
幸い、ここには自分の居場所がある。話を聞いてくれる知り合いもいる。今の自分は、スタート地点にぽつんと立たされた不安故に、見えない仲間やゴールを必死に探しているだけなのだ。
火野もその辺りを汲み取ったのか、カップを置いて彼女を見据えた。

「周りの新入生も貴方と同じで、まだ人を見定められる余裕が無いのです」

「そういえば、皆さん同じ中学のお友達とお話しされていましたわ」

「大概はそうして『ひとりぼっちにならない』安全なところに身を置いた上で、徐々に周囲へ目を向けていくものです。貴方もまずは、ひととおり学校に慣れましょう。基本的な生活スタイルが決まれば行動の選択も範囲も広がりますし、貴方の人間性や人柄も周囲には何となく伝わっていく。一番おすすめしないのが、『周りから浮かないように』と自分を偽ることです」

「わ、わかっておりますわ。昔、経験しましたもの…」

最後の一言にむっとした由姫だが、忸怩たる思いを心の内に諫め、火野の言葉をゆっくりと脳内で反芻する。

「確かに、その通りですわね。私、他に覚えなくてはならないことがたくさんありますもの。自動販売機で飲み物も買えないなんて、笑われてしまいます」

「それは、どうでしょうね。好意的に見る人間も少なからずいると思いますが」

「一般的なルールやマナーだって、知らないことだらけですのよ。友人より先に、そちらを勉強しますわ」

素が真面目すぎる彼女に苦笑をこぼした火野だが、キッ、と強い眼差しをいきなり向けられ、反射的に笑みを引っ込めた。

「お話は変わりますけれど。かねてより、あなたにお願いしたいことがありましたの」

「おやおや。僕にできることでしたら、何でもどうぞ」

彼女の『お願い』をこれまでに幾度も叶えてきた立場だ。この手の我が儘は聞き慣れている。
すう、と一呼吸置いてから、彼女は意を決して口を開いた。

「私に対して、敬語を一切用いないで頂きたいのです」

「何かと思ったら、そういったことですか。致しかねます」

貼り付けたような笑顔でにっこりと即答した火野に、由姫はソファから素早く立ち上がって困惑する。

「ど、どうしてですの!」

「どうして、はこちらの台詞です」

彼女と言葉を交わすようになって数年が経つ。
年齢で上回っていても、所詮『火野』は一病院の経営に携わっているだけの小金持ちだ。名の知れた地衣良財閥の足元――には縋れども、あらゆるものが遠く及ばない存在である。
無論、火野にとってはそんな外面よりも彼女の内面に感化されて言葉を発しているのだが、今更取り下げろと言われてもいったい何が不満なのかわからない。

「『部活』では、先輩後輩の上下関係があると聞きましたわ」

「はぁ」

また面倒な知識を持ち出してきたな、と火野も胡乱な相槌を打つ。

「部員は『先輩』にはもちろん、特に『部長』へ敬意を払う必要があるのです。ここではあなたが部長ですわ。そして、私はその後輩。おわかりになりまして?」

「理屈としては、まぁ。――というか、そもそも」

由姫に座るように促してから、火野は改めて問いかける。

「本当に、よろしいんですか。ここに入部するということで」

「まぁ、心外ですわ。そのためにここまで参りましたのに、私」

リップを塗った愛らしい唇をつんと尖らせて、由姫は尚も続ける。

「やりたいことを実行するのが部活動でしょう。部の理念に従って、私は自分の知的好奇心を満たしたいのです」

「それはそれは。僕よりもよほど確かな目的ですね。いっそ貴方が部長になっては?」

「意味がわかりませんわ!」

冗談めかした火野の提案を一蹴し、話を戻しますわよ、とプリプリ怒りながら由姫は机を叩いた。

「私は『普通の高校生』の『普通の部活動』がしたいのです。部活動は定員が三人に満たなければならないのでしょう? 私とあなた以外の部員が入ったとして、あなたがそちらの方と普通にお話されているのに、私には敬語を使われるなんておかしいですわ」

「やれやれ…」

寝起きの頭を使うのも厄介な案件に、火野はゆるゆるとかぶりを振った。彼女の唐突なお願いには慣れたつもりでいたが、本当に『つもり』だったらしい。
カフェインを摂取しつつ、脳内の天秤をふらふらと揺らす。あれこれと考えあぐねた末に、傾ぐ先が決まったところでカップを置き、火野はこっくりと頷いた。

「――わかったよ」

「!」

ぱっと顔を輝かせた由姫に、その代わり、とすかさず条件を提示する。年上として、一方的に言われてばかりではいられない。

「君をどう呼ぶかは僕が決める。それでいいね」

「え? ええ。そうですわね。そこから変えてしまった方が、切り替えやすくてよいかもしれませんし」

あだ名を付けられたことがないのです、とどこか嬉しそうな由姫は、ひとまず希望が叶ったことに安堵している様子だ。そんなに愛称がほしいのならと、以前会った時より短くなった黒髪に目をやって、火野は考え込む。

「姫」

「…はい?」

緑茶の湯呑みをトンと受け皿に置いて、何のことかと由姫は目を瞬かせた。

「君のことだよ。姫君」

「…………」

したり顔の火野を呆然と見つめていたが、やがてふるふると怒りに打ち震えながら、由姫は徐に叫ぶ。

「何ですの、姫って! どういう意味ですの!」

思い付きでつい口走ってしまったものの、彼女が理屈に弱いことはよく知っている。火野は適当にそれらを並べ立てることにした。

「そのままの意味だよ。君は庶民に溶け込むことを望んでいるようだけど、残念ながら令嬢である事実は変えようがない。だからね、いっそ自分からネタにでもしてしまった方が相手は受け止めやすいんだよ」

「ネタにする、とは…?」

「今後、周りも君をどう扱うべきか悩むはずなんだ。もちろん、君が望む適切な距離を掴んでくれる人もいると思うけどね。でも、仮に年上であっても僕がそう呼んでいるとわかれば、『ああ、この人はお嬢様だけどあだ名をつけられても怒らないしプライドも高くないし、親しみやすい人なのかも』って思う人もいるわけだよ」

自分で言っておきながら、適当にも程がある、と火野は苦笑混じりに締め括ったが、お嬢様はすんなりと信じてくれたようだ。まぁ実際、一般学生の心理も似たようなものだろう。

「そう言われれば、そうかもしれないですわ。偽るのではなく、自然体のままで遠巻きにされない工夫を、私自身も身に付けるべきですわね」

「そんなに堅く考えることはないよ。君が頑張らなくても、縁は向こうから勝手に来るものだから」

「合縁奇縁といいますものね。皆さんとの距離を探りつつ、今は自分の生活に集中して、成り行きを見守ることにしますわ」

ひとまず話が落着したところでスピーカーから全校放送のチャイムが流れ、白峰副会長のアナウンスが入る。あら、と由姫は嬉しそうに頬を綻ばせた。

「白峰さんですわ。蓮華でお会いできるなんて」

「彼女はあまりパーティーの類いが好きじゃないからね。そういう席で会ったのは僕もずいぶん前だよ」

「ええ、先程の式典でお見掛けして驚きましたわ。昔から怜悧で秀麗な方とは思っておりましたけど、副会長になられるなんて本当に優秀な方なのですね」

何せ会長がアホだからね、とは本人の名誉のため言わずにおいた。
続けて鳴った予鈴に倣って由姫は立ち上がり、きれいな所作で一礼する。

「本日は予定がありますので、ここで失礼しますわ。明日からどうぞよろしくお願い致します、火野部長」

「僕、先輩ってかわいく呼ばれる方が好きなんだけど」

「よろしくお願いしますわね、部長」

いっそう声を張る頑なな態度にふっと笑みをこぼし、火野も座ったままで軽く頭を下げる。

「こちらこそよろしく。姫君」


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