小説 | ナノ


▼ 5.関心

ディスプレイに映った番号をしばし眺め、火野は小さく笑って通話ボタンを押し込んだ。時宮が何となく見守る中、携帯を耳に当てて名乗り出す。

「もしもし。時宮です」

ブッ!と時宮が傾けたカップの中へコーヒーを逆流させる。すぐさま幼馴染を咎めようと口を開きかければ、火野が自らの唇に人差し指を当てて声を制した。黙っていろ、ということだ。
電話の奥から、刺々しい少女の声が響く。

『あら、おかしいですわね。こちらは火野さんの携帯電話ではなくて?』

「ええ、仰る通りですよ」

憮然とした彼女の表情が目に浮かぶようだ。文句を連ねられる前にと、火野はあっさりと非礼を詫びた。

「すみません、ほんの冗談です。発信元がわからない時はいつも、適当な名字を名乗っているので」

『想定によっては有効と思えますけれど、私がこうしてご連絡を差し上げることはわかっていらっしゃったでしょう?』

「そろそろかなと、思ってはいました。この度は合格おめでとうございます」

ああそういうことね、という顔で時宮は頷く。電話の相手がやっと定まったのだ。
こうして世間話を交わす中で火野が時折話題に出していた、懇意にしている令嬢だ。ここから北に位置する水沢山の広大な敷地を所有する、言わずと知れた地衣良財閥である。本邸は東京にあり、彼女が住んでいるのは別邸と聞いていた。両親は仕事で海外を飛び回っており、一人娘の由姫はいつも寂しい思いをしているらしい。

彼女は現在、市の名門私立、東櫻中学の三年生だ。三月半ばの今日はどこの高校も合格発表ということで、この蓮華高校にも保護者や中学生が正門付近の掲示板へ押し寄せていた。彼女が何故エスカレーター式の名門を蹴ってまで公立を選んだのかは不明だが、合格とはめでたいことだ。
彼女自身の学力もさることながら、頭だけは無駄に良い目の前の幼馴染が週一で勉強を見ていたので、彼女の合格はほぼ確実とも思えたが。

『ありがとうございます。結果はインターネットで確認致しましたけれど、先程そちらの教頭先生から直々にお電話を頂きまして、首席での試験通過を知りましたわ。驚きました』

「あれだけ努力されていたんですから、僕としてはそこまでの驚きはありませんが。入学式の代表挨拶、しっかりと拝聴させて頂きます」

『嫌ですわ、緊張で固まってしまいそうですし。でも…そうですわね、あなたにご指導頂いたおかげですもの。本当にありがとうございました』

「僕はほんの少しお手伝いをしただけですよ。今日は方々へのご挨拶でお疲れでしょう。ひとまずゆっくりなさって下さい。貴方にご満足頂けるように、部室を整えてお待ちしていますから」

ん?と時宮は目をぱちくりさせる。整える部室とは、まさかこの部屋ではあるまいな。依然、エントロピーの高い空間をぐるりと見回す。

『本当はすぐにでもそちらに伺いたいくらいですのよ。ふふ、楽しみですわ』

「僕はいつでも構いませんが、入学に際して課題も出されると思いますし。手続き含め、何か不明な点があればご連絡下さい」

『はい、わかりました。失礼致します』

彼女の番号をアドレス帳へ新規登録してから携帯を折り畳んだ火野へ、時宮は訝しげに尋ねた。

「今の、由姫ちゃんだろ? トップ合格なのはほんとにめでたいが、お前がここに勧誘してたひとりって…」

「輝にしては察しがいいね」

コーヒーを啜って喉を潤した火野は、のんびりとした口調で肯定を示す。時宮が目を剥いて立ち上がった。

「マジか! お前、解剖とかすんだろ!? お嬢様をサバトに招待する気か!」

「サバトは魔女集会なんだから、むしろ彼女が主役なんじゃないの。ということは僕は悪魔かな? まぁ、何にせよ杞憂だよ。彼女はね、それがやりたくて蓮華に来たようなものだから」

えっ、と絶句した時宮をよそに、火野は書籍の詰まった段ボール箱から分厚い一冊を取り出す。『解剖の基礎』と銘打たれた箔押しの本だ。時宮は反射的に首を左右に振るっていた。

「やめろ、見せんでいい」

「輝はこういうの全然ダメだね。昔、彼女に貸したら喜んでたよ。神秘的ですわ、ってさ」

火野曰く、由姫は中学の授業で行った蛙の解剖を機に、生き物への詳細な興味を深めたらしい。小さな体の中にみっしりと配置された臓器たちが、各々の働きを伴って蛙を生かしている奇跡。綺麗にぱっくりと開かれた内側を、彼女は美しいと感じたのだ。
時宮は青ざめた顔で手のひらを揺らした。

「うげぇ、無理無理。そんな授業あったら休むわ俺」

「知的探究心ってものがないの? こんな真似できるのは人間だけだよ。僕らは本当に罪深いことをしていると思うけど、実物を知らなきゃ何も学べないんだから」

「え、じゃあ…お前が生物部を作ったのって、由姫ちゃんのためなのか?」

社交の場で出会って以来、少しずつ会話を積み重ねて築いた関係と聞いていたが、時に本物の悪魔と見紛うこの幼馴染も所詮は人間。妹のような存在の彼女に対して、それ以上の想いを抱いているのではないか。火野が特定の女性を気にかけることがそもそも稀なのだ。
時宮は口角をちょっとだけ上げてほくそ笑んだが、火野は至って冷めた反応だった。

「それも理由にならないわけじゃないけど、単に彼女の趣味が僕と一致しただけだよ。彼女がいなくても僕はこうしてたと思うし。――ただ、あの子は今も友達すらいなくてひとりぼっちなんだよ。入学してもすぐに周りと打ち解けられるとは限らないから、学校の中で安心できる場所があった方がいいでしょ」

「ふーん。なんだ、俺はてっきり二人きりになりたいんだと思ってた」

「だったらわざわざ三人要るようなコミュニティ作らないよね? あーあ、みんなが輝くらい脳みそお花畑なら彼女も苦労しないのに」

笑い飛ばしてやろうと画策したものの、鼻で笑い返されてしまう。唇をつんと突き出した時宮は面白くなさそうに、底に溜まった濃いコーヒーを啜った。

「かわいい子なんだろ? いっそ紹介してくれよ、寂しいなら俺がそばにいてあげるからさ」

「冗談じゃない。そんなことしたらお前も僕も地衣良家の忍者に捕まって打首獄門だよ。存在ごと抹消される」

「忍者いるのかよ! 暗部か!?」

「あの家なら何がいてもおかしくないからね。下心はきっちり封じてもらうよ」

◆◇◆

「ふう……」

華奢な金の取っ手を引いてドアを閉めた由姫は、手元のシュシュで髪を緩くまとめる。以前は腰に近い長さだった髪も、高校入学を機に、肩甲骨を覆う程度まで切ってしまった。それでもロングには変わりないが、いきなり短くするには勇気が要るので少しずつ切っていくことにする。

先程家の電話で、米国に滞在中の両親、祖父母と従兄に合格を報告し、新しく購入した携帯電話の連絡先も伝えてきた。
進学先を公立に決めた当初は家族揃って反対されたものだが、最終的には由姫自身の考えを尊重するに至り、代表挨拶に抜擢された件も含めて喜んでくれた。祖父母だけは早めに帰国し、由姫の勇姿を拝むべく入学式へ出席するつもりだと言う。

「本当に、今日は疲れましたわ」

朝から緊張を漲らせてパソコンへ張り付いていたのだ。火野の言う通り、家族や知人への報告で一日が終わってしまった。ようやく自室へ戻れた安堵で、ぐったりとソファに沈み込む。
不意に、キュンキュンと部屋の隅から鳴き声が聞こえた。由姫の気配を感じ取ったのだろう。

「ああ、ごめんなさい。ずっと構ってあげられなくて」

体を起こした由姫は鳥籠に向かい、扉をゆっくりと開けて手のひらを差し出す。特徴的な赤い嘴を振って、シルバー文鳥がトコトコと由姫の手に乗ってきた。
もう片方の手で柔らかく包むように撫でると、文鳥は気持ち良さそうに目をつむって主人に身を委ねる。ふふ、と由姫も相好を崩した。

「いつもありがとう。あなたがいるから、私は何があっても寂しくないのよ」

チチッ、と文鳥が短く鳴いて由姫の声に応える。

「さっき、火野さんとお話をしたの。二週間くらい前にもお会いしたの、覚えてる? あなた、あの方のことを怖がっているから忘れちゃったかしら」

文鳥はつぶらな瞳をパチパチと瞬かせた。

「そうね、わかるわ。私も、初めてお会いした時はとても怖かったの。なんだか、本心がどこにあるのかわからなくて」

表面の薄皮だけで微笑んでいた彼を思い浮かべ、由姫は小さく笑った。


prev / next

[ back to top ]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -