小説 | ナノ


▼ 11.慰労

遡ること十五分。
ホームルームが終わるなり教室を飛び出した零は、八組へ薫を迎えに行ってから昇降口へ向かう。放課後は生物部の部室へ招かれているため、化学実験室の鍵を借りに行かずともよいのだ。
靴を履いて外に出たところで疲れた様子の直に出会い、正門向かいのひまわり商店まで三人は歩いていく。

「へえ! 直、二時には学校着いてたのか。やったな!」

話題はもちろん強歩大会の自己タイムだ。努力が実ったな、と憧れの先輩からリュックをぱんと叩かれ、直は照れたように顔を綻ばせた。やや後方をぽちぽちとついてくる薫は面白くなさそうに足元の小石を蹴り込む。いたっ、と石は偶然にも直の靴の踵に命中し、ちょっとだけ溜飲を下げることができた。

「あ、ありがとうございます。凛と一緒だったし、助けてもらって何とか早めに着けました。零先輩はやっぱり一番だったんですよね?」

「ああ。がっつり走り込んですっきりーって感じ。もし来年もあったら、お前も早く帰ってバレーしような!」

「ええ! は、はい、頑張ります…」

ひまわり商店は心なしかいつもより空いていた。今日は予め休みにしている部活も多く、疲労困憊の生徒たちは寄り道せずにとっとと帰宅しているのだろう。皆の、特に女子たちのコンディションによっては、化学部も早めに解散するつもりだ。『夕飯は俺が作る』と薫からの嬉しいお誘いを受けているため、いずれにしろ一時間程度で切り上げようと思っているが。
ひとりっ子の時分はともかく、幼い弟妹がいる今は水川家の夕飯を頂く機会も少なくなった。零自身は愛する幼馴染との時間を増やしたいのだが、兄として面倒を見る立場ではそうもいかない。今日はちょうど母親が夕方までに帰宅できる日なので、そちらに任せて水川家を訪れようと思ったのだ。

「ん……?」

盛りのいいナポリタンロールを手に取った零は、薫が店内をふらふらと彷徨いながら、スナック菓子のコーナーへ足を向けるのを見た。甘い菓子は好んで食べる薫だが、油っぽくて塩辛い系のスナックは普段なら手をつけない。不思議に思って隣の列を覗き込むと、薫は何やら赤黒いパッケージを抱えて戻ってきた。え、と零は目を丸くする。

「薫、それ買うの…?」

「買う」

こくりと頷いて、薫は迷いなくレジを通した。同じく抱えていた紙パックのいちご牛乳は間違いなく自分が飲むためだろうが、あのスナック菓子はどう考えてもおかしい。
首を捻りつつ、零も隣で会計を済ませた。ナポリタンロールに烏龍茶、かなり少なめだ。全ては幼馴染の手料理に全力を注ぐため。揺るぎない決心だ。
直もさすがに腹が減ったのか、軽食ではなくおにぎりをしっかり買い込んでいた。

◆◇◆

一方、生物準備室もとい生物部の部室。
凛はすっかり元気を取り戻した様子で、由姫を含めた女子三人でのランチ兼ショッピング、所謂女子会を彩音と計画していた。涙の痕は綺麗さっぱりと消えている。

「お昼に行ってみたいとこあるんだけど、混みそうだし後でちょっと調べとくわ。予約しといてもいいかも」

「お昼? どんなとこ?」

「あたしも詳しくはないんだけど、いろんなパンが食べられるカフェみたいな。デザートも凝っててかわいいってタウン誌に載ってたの」

「へー、おしゃれー。凛ちゃんのおすすめなら間違いなさそう」

「どうかなぁ、席数が心配だけどね。カフェだし、あんたはちょっと食べ足りないかもよ」

「うっ。だ、大丈夫だよ、朝ごはん多めに食べておくから!」

バタン、と壁を隔てた先のドアが乱暴に閉まると、彩音と凛、そして火野も誰の来訪かをすぐに知ることになる。二枚目のドアをノックする音に、どうぞ、と火野が落ち着いた声で応えた。開いた隙間から現れたのはやはり天子だ。お疲れ様ですと火野へ声をかけ、次いで彩音と凛を見下ろした。

「お前らもう来てんのか。あ? 由姫は? あいつ最後まで歩けたのかよ」

「ちょっと遅れましたけど、ちゃんとわたしとゴールしましたよ。古典の先生に用事があって遅れるそうです」

彩音の返答にふうんと頷き、定位置となったカウチにショルダーバッグを放って自らも沈み込む。
先程の火野の発言もそうだが、彼も第一声が由姫についての心配とは、彼女も相当愛されている。
そういえば、と天子にちらりと視線を向けられ、もう大丈夫ですよ、というように凛は笑顔で頷いた。

「なんか元気そうですね、先輩」と彩音。

「元気なわけねえだろ。足腰ガタガタだぞ」

こんなクソイベントやってられるかと毒づきながら、天子は本日何本目かの炭酸ペットボトルに口をつけた。

「あれから怪我は増えなかったかい?」

火野からやんわりと投げ掛けられた問いに、天子はペットボトルの傾きを戻してから、うっと気まずそうな声を落とす。どうやら負傷はふくらはぎだけに留まらなかったらしいが、こうして自由に体を動かせているのならいずれも軽傷には違いないので、火野も小さく笑っただけだった。
そこへ、ぞろぞろと幾人かの足音が連なる。三人がひまわり商店から戻ってきたのだ。お疲れ様でーす!と二十四キロ走をトップで終えた零が疲労を微塵も感じさせない声を張り上げ、薫と直もぺこりと頭を下げて続く。零は彩音と凛の表情を交互に確認して、向かいのソファにどさりと腰を下ろした。

「うん、彩音ちゃんも凛ちゃんも大丈夫だな。お疲れ様」

「零先輩は一番だって聞きましたよ。さすがです」と彩音。

「へへ、ありがと。薫に会いたくて頑張っちゃっ…あれ? 薫?」

照れつつも幼馴染を抱き締めようとした手はすかっと宙に抜けてしまう。腕を掻い潜った薫はひまわりのレジ袋を、カウチで携帯を打ち込んでいた天子にぐいと押し付けた。顔を上げた天子は少しばかり困惑している。

「なんだよ」

「てんこに、あげる。もらって」

皆から不思議そうに見守られながら、天子はレジ袋から中身をゆっくりと引っ張り出す。赤黒いパッケージ。ムンクの叫びの如く毒々しい唐辛子のイラストが殊更目を引く、有名な激辛スナック菓子である。それでもまだぴんと来ないらしい天子に、薫は短く祝いの台詞を延べた。

「誕生日、おめでとう」

「は……? いや、なんでお前が」

「えっ。誕生日、だから?」

「この年で今更、そんなんどうでもいいだろ」

「? だってさっき、火野先輩にプレゼント下さいって言っ――」

「うるせぇ! ったく、もらえばいいんだろもらえば! ありがとう! ほら!」

ふわふわとした声音での暴露を遮って天子が礼を捲し立てると、薫は満足したようにうんうんと頷いてソファに戻っていく。零までががさがさとレジ袋をあさり始めたのできつく睨みつけるが、先の幼馴染同様にこいつも空気を読まないたちなのだった。

「マジかよ、てんこ誕生日だったんだ! はいこれ!」

「いらねーっつってんだろボケ」

「なんでだよ、いーじゃん薫もあげたんだし」

「えっと、おれからも! よかったら、どうぞ」

「お前まで便乗すんじゃねえ」

「もー。てんこ先輩言ってくださいよ、わたしたちもあげますから」

「自分から言う奴なんかいねーだろ!」

「彩音、明日渡そっか」

「そうだね!」

げんなりした顔で零と直からしぶしぶ菓子を受け取り、天子は元凶たる薫を胡乱な目で見つめる。更なる元凶は奥のデスクでにこにこと一部始終を見守っているのだが、そちらは睨むこともできないので事を大きくした薫に刃を向けることにする。

「みんな優しいねぇ」

更なる元凶は微笑ましげに感嘆を漏らしてデスクの横をすり抜けていく。よいしょ、と前置きなく隣に腰を下ろされ、天子は怠惰に放っていた脚を慌てて引っ込めた。さて、と一片の隙もない笑顔で火野は向き直る。

「僕からは何が欲しいのかな?」

「えっ……あ…」

ハバネロスナックを炭酸と共に飲み込んだ天子は瞳を見開き、耳朶までを唐辛子色に染めてふるふると小刻みに体を震わせる。
ピルクルを勢いのままずぞっと吸ってしまった彩音が軽く噎せ込みながら凛を小突けば、彼女はぷよウサギの揺れる携帯を既にセットしていた。


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