小説 | ナノ


▼ 7.小休止

「てんこ。怪我、大丈夫?」

天子の受付処理を済ませてから、二人は受付奥の待機スペースで昼食を共にする。弁当の風呂敷包みを解きながら、薫はそっと上体を傾けて天子のふくらはぎに目を落とした。亜子が処置した箇所には大判の絆創膏が貼られているが、その範囲は足首までとなかなか広い。
大したことねぇよ、と天子が焼きそばパンにかぶりついて頷く。値札シールはひまわり商店のものだ。朝のうちに買ってきたのだろうか。

「道路に飛び出してた固い茎かなんかで引っ掻いただけだ。あのババァ、ちょっと血出してるくらいで騒ぎやがって」

「…騒いだのは、たぶんてんこが先…」

「うるせぇ。お前こそ、そんなので腹足りんのかよ。閉会式までは仕事あんだろ」

祖母の小夜が作った薫の弁当は、杉の曲げわっぱにご飯とおかずが半分ずつ盛り付けられている。卵焼きにミニトマト、たこウィンナー、ぬか漬。ランチのテンプレのようなおかずに、おかかと海苔が乗ったご飯。成人女性でもやや不足と思われる量だ、およそ男子高校生の食べる弁当ではない。零なら三つ食べても足りないと言うだろう。
パンを炭酸で押し込みつつ、天子も新たにおにぎりを取り出す。具は何だろうと、薫はパッケージを見るべく首を伸ばした。明太マヨと、唐揚げマヨ。さすがに被りには気づいているだろう。そんなに好きなのか。マヨの出番が極々少なめな薫にはわからない。

「リスでも発狂すんぞ、その量」

「リス……?」

曲げわっぱに今一度目を落として、薫はこてんと首を傾げる。今時のリスはたこさんウィンナーを食らうんだろうか。自分より大食いなんだろうか。
薫の頭上のハテナに気づいた天子がむっとしたまま注釈を入れる。

「彩音だ彩音。あいつ冬眠前のリスみてぇになんかずっと食ってるだろ、いつも。お前の食う量じゃ泣き出してもおかしくねーぞ」

「そういえば…」

一度、何かのタイミングで一緒に昼食をとった際も、彼女の弁当はおにぎり二個にプラスして二段弁当がくっついていた。日々の部活中でも零と共にひまわりで軽食がてらカップ麺やらお菓子やらを必ず購入し、夕食まで我慢しろと時々凛にせっつかれながらもやっぱり何か食べている。
零も零で一日六食ほど食べているためそこまで気にしていなかったが、なるほど言われてみれば、小柄なところも相まってリスのようである。薫は全く悪気なくそう感じた。

「なんで、彩音ちゃんだけリス?」

他の部員も動物に例えているのか、それが天子の癖なのか。だとしたら自分や火野は何なのかとちょっと気になったが、そういうわけでもないらしい。

「別に俺がそうしたいわけじゃねぇよ。あいつが先に、俺のことカンガルーってこそこそ呼んでるからその仕返しだ」

「? カンガルーって、どうして?」

「そこまでは知らねぇ。後で来るんなら訊いてみろよ、俺は興味ねえけど」

受付は昼時が最も混むため、薫はこうして先に食事を済ませているわけだが、火野は今も三メートルほど離れた長机で生徒の相手をしている。薫が先程彼のトートバッグを覗いた感じでは、食べ物と思しきものは一切入っていなかった。学校中の誰もがクソまずいと太鼓判を押すあのアロエジュースを除いては、何も。

「立花は? とっくに来たんだろ、あいつ」

「三、四十分前、くらい」

「バケモンかよ。マジで昼には学校着くんじゃねぇか」

「たぶん」

驚きを通り越して呆れた表情のまま、天子は明太おにぎりのフィルムをぺりりと剥がした。薫も提げたペットボトルから茶を口にする。観音堂のトイレはお世辞にも綺麗とは言い難く、あまり食べたり飲んだりしたくないのだが、気温も朝に比べて上昇しているので飲まないわけにはいかない。
受付に来る生徒がちょうど途切れたところで、天子は昼食を終えて立ち上がる。炭酸のキャップをきっちりと締め、依然ちまちまと弁当を減らしている薫へ、そろそろ行くぞと声をかけた。

「ん、行ってらっしゃい」

薫が軽く左手を振れば、手の空いた火野も椅子から腰を上げてこちらに向き直る。穏やかな表情を天子へ向け、髪を優しく撫でながら口を開いた。

「もう怪我は増やさないでね。心配になるから」

「…好きで、増やしてるわけじゃないです」

先程の亜子の件がまだ抜けていないのか、どことなくつっけんどんに言い返すも、背けられた頬はほんのりと赤い。

「また姫に手当てされちゃうよ?」

「うげ……どいつもこいつも」

お節介が過ぎんだよと独り言を落とし、火野の手をかいくぐって長机の隙間からテントの外に出ようとする。あ、と火野がわざとらしく振り返って天子を呼んだ。

「誕生日、おめでとう」

この背景に似つかわしくない、優雅な微笑と共に捧げられた言葉を、天子は目を丸くしてなんとか呑み込んだ。誕生日なの?と訊きたげに、薫も奥からぴょこりと顔を上げる。
唇をきつく結んでずかずかとテントの内側へ闊歩してきた天子は、火野と視線を合わせぬまま、耳まで火照らせて声を絞り出した。

「……あとで、プレゼントください」

少しの逡巡の末、ふふ、と火野は楽しそうに笑って頷く。即座に突き付けられる要求と、彼らしい率直な物言いがいつにも増して好ましかった。

「いいよ」

欲しいものを素直に欲しいと言える人間はそう多くない。ひねくれているのに、心はまっすぐ自分を捉えていて。
快く了承すると、くるんと踵を返して天子は走り出してしまう。振り向くことなく鳥居をさっさと抜け、あっという間に下り坂へと消えていった。

「面白いねぇ」

また弁当に勤しみ出した薫の隣に腰を掛け、火野も紙パックのアロエジュースにストローを差す。卵焼きを頬張って、薫は茶色の瞳を彼へ向けた。

「プレゼント、何にするんですか」

「さぁ、どうしようかな。水川は何がいいと思う?」

「……激辛、の、食べ物?」

「あはは。それは喜ぶだろうね」

◆◇◆

「水川先輩、お疲れ様でーす!」

「お、お疲れ様です」

薫が昼食を終えた頃、受付テーブルにちょうど凛と直がやってきた。薫はこくりと頷いて、差し出された二冊の手帳にぽぽんとスタンプを押していく。この頃になるとすっかり慣れたもので、掠れることなく白地には綺麗な蓮華が咲いた。番号札も配り、名簿に蛍光ペンをきゅっと横引きする。

「火野先輩、メールありがとうございました!」

奥のスペースで文庫本に目を落としていた火野は、溌剌とした凛の声に顔を上げて微笑んだ。メールとはもちろん、零が薫に菓子を食べさせていた際の写真を添付したものだ。

「どう致しまして。元気が出たのならよかった」

「えっ、メールってなんだよ?」

「あんたは知らなくていーの。ほら、さっさとご飯食べて出発するわよ。零先輩は絶対無理だけど、てんこ先輩には追い付けるかもしれないし」

「ええ! さ、さすがに無理だろ。ていうかいいよ、追い付かなくて!」

「前から思ってたけど、あんたてんこ先輩苦手なのね」

凛のもっともな指摘に、うっと直は言葉を詰まらせてブルーシートへ向かう。その昼食スペースもかなり盛況になってきたが、女子生徒の姿はやはり少ない。走るならばともかく、普通に歩いていれば到着はまだ先だ。彩音と由姫は十二時を過ぎないと見つからないだろう。

「ん? …はい、もしもし。うん、代わるね」

はい、と火野は自らの携帯を薫に手渡す。黒一色の、何の捻りも飾りもない電話である。

「立花からだよ」

「……もしもし」と薫。

『ついた!! 帰ってきたよ、学校! 先生しかいなくてつまんないけど! ははは!』

「うるさい!」

鼓膜に向かって思い切り声を張り上げられ、薫は思わず電話を遠ざけて怒鳴った。零は変わらぬハイテンションで続報を伝える。

『おっ、岩見せんせーいるじゃん! 知ってる? バレー部の顧問なんだけど! 俺と遊ばないっすかー! えーだめー!?』

「………」

『あっ。ご、ごめん、つい。えっと、ともかく俺はついたから! 待ってるから、仕事頑張って、な! 無理しちゃダメだぞ!』

「……わかった」

『あれ、待てよ! 昼前にこっちついたんだから、今からもっかい薫に会いに行けばいいんじゃね!?』

顔の右半分を手のひらで覆って、はぁ、と薫もこの時ばかりは困り果てた吐息をこぼした。何がもっかいだ、二往復だぞ。バカだ。本物のバカだ、こいつ。脳みそが軽いから速く走れるのだ。違いない。

「来なくていい。遊んでろ」

『そ、そう? じゃあまた、何かあったら電話くれよ! ばいばい!』

一方的に通話を切られてむっとしたものの、ひとまず零の無事はわかったのでよしとする。肩の荷がひとつ下りた思いで、薫は火野へ礼を言って携帯を返した。



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