小説 | ナノ


▼ 4.友達

「おーい!」

彩音と由姫が丘から平地へ下り、国道をしばらく北上していると。後方から聞き慣れた声が届き、二人は足を止めて振り返った。

「零先輩!」

軽量のショルダーバッグを背中に貼り付かせ、零が歩道をたったっと駆けてきた。由姫が口許を覆った手の下でほんのりと微笑む。彩音たちが学校を出てまだ三十分程度だが、もう追い付いてきたらしい。首にかけたタオルでぐいと額を拭って、零は爽やかに笑った。

「お疲れ! 二人とも大丈夫か?」

「まだ全然平気です。ね?」

「は、はい。立花先輩もお元気そうですわね」

「俺はようやく体あったまってきたって感じかな。早く薫に会いたいし、ベストタイムも狙ってるからペース上げていくよ。じゃあね! 無理しないように!」

人懐こそうな笑顔で颯爽と走り去った零を目で追い掛け、由姫はほうっと息をついた。

「素敵ですわ…」

「さすがだよね、先輩。まだ男子はずっと後ろの方なのに…あれ?」

後方からぞろぞろと集団でやってきた男子の群れは、歩道の端に寄った二人を追い抜きながら、さらにペースアップしていくようだ。一番後ろを走っていた、代表らしい生徒――部長だろうか。全員に大声で喝を入れた。

「行け! 何としても立花に勝つんだ!!」

血気盛んな生徒たちが、その煽りを受けてぐっと拳を握り締める。上り坂を厭わず踏み締めていく彼らを、大勢の一年生女子が唖然と見送った。

「あれって」

「陸上部の皆さん、でしょうか」

彩音と由姫の意見は一致したらしい。ここ数分で遥か彼方に飛んでしまった零を思う。

「零先輩、ほんとに陸上部より速いんだ…」

「天子先輩の言う通り、人ならざる存在なのかもしれませんわね」

ふふ、と由姫はどこか嬉しそうに笑った。

◆◇◆

「やっと山の入口…」

工業団地を抜けた先から国道の幅が露骨に狭まる。凛はフェイスタオルで額の汗を拭い、バッグからスポーツドリンクを引っ張り出す。凍らせたタイプのものはさっき飲み切ったので、休憩がてら坂道を歩きつつ、ペットボトルで喉を潤した。

「まだ三分の一…も来てないか」

二十四キロを侮っていたわけではないが、運動部を現役から遠のいて久しい脚には負担がかかるばかりだ。なまったなぁ、とうなじにかかる髪を上げて汗を拭く。
零と陸上部にはあっさり抜かされたものの、女子としてはトップ集団に入っていると言っていいだろう。この辺りは人がまばらで、走り疲れた男女がぽつぽつと坂で苦戦している。あと一キロほど歩けばまた平坦な道に戻るので、それまでは無理に走るよりも体力を温存した方が賢明だろう。

(早く走りたい)

凛はきつく手を握りしめた。磨かれた爪が手のひらに食い込むほど、きつく。

(もやもやしたくない…)

「おい! 凛!」

後方から叫ばれた名前に慌てて振り返ると、天子が凛のフェイスタオルを手に走ってくるところだった。あっ、と凛は思わずハーフパンツのポケットに手をやってしまう。やっぱり、ない。

「すみません! ありがとうございます」

「今日こんなもん落としたら汗だくで前見えなくなるぞ」

ほら、と突き返されたタオルを受け取って礼を言うと、天子も至極暑そうに半袖シャツの裾をぱたぱたとはためかせた。

「あっちー。誰だよ、五月にしやがった奴。去年みたく四月にやりゃいいのに」

「そういえば、去年は四月の中旬だったみたいですね。でも…春なのに寒い日で、平地はともかく観音堂は雪混じりの雨だったから、次の日は風邪で休んだ人が多かったって、零先輩が言ってました」

何となく並んで歩きながら、凛は零の言葉を思い出す。

「四月っつったって今年そこまで寒くなかったじゃねーか。あの嵐の時くらいだろ」

「あたしたちがお鍋作った日ですね。確かに寒かったなぁ。ゆっきーとお米炊くの結構難しくて…」

不意に凛の言葉がそこで途切れる。
天子は炭酸のペットボトルをそうっと開けながら、彼女を横目で見やった。

「…お前、何怒ってんだよ」

「えっ」

「さっき。こっち向いた時、しかめ面してただろ」

半分ほど減ったウィルキンソンを天子がバッグにしまい込むと、凛はふーっと細く息を吐いてウェーブの髪をぶんと揺すった。

「…てんこ先輩、知ってました?」

「知らねえ」

「…ゆっきーのクラスに、ゆっきーのこと、悪く言う女子がいるの」

「知ってる」

「あたしは…知らなかったんです。さっき、三組を追い抜いてる時に、話してた集団がいて。すごい腹立って、言い返したんですけど」

「ふーん」

「…でもあたしが怒ってるのは、そいつらじゃなくて」

脚に力が入らなくなったせいか、スニーカーの底がずるずると粗いコンクリートを摩擦する音がした。

「前に、実験室でこの日のことをみんなと話してた時に、ゆっきーが、一緒に歩こうって彩音に言ったんです」

「言ったか?」

「言いました。それで、あたしは――」

最もつらい一言を捻り出そうと、下唇の裏をぎゅっと噛んでから口を開く。

「あたしは、なんで同じクラスの友達とじゃないんだろうって、思ったんです」

彩音が喜んで了承した時の、ほっとしたような由姫の表情が脳裏によみがえる。

「ほんの一瞬でも…友達いないのかなって、最低なこと考えてた…。何も知らないくせに」

お嬢様だから。お金持ちだから。お高くとまってるから。そんな塵芥にも満たない理由から始まる彼女たちの気取った笑い声に、腸が煮えくり返って。
気づけば自分が口にしたこともないような罵詈雑言を彼女らに浴びせていた。ふざけんな、馬鹿なのはお前らだ。

「言い返すっていうよりは、あたしの方がひどいこと言ってました。でも、ほんとに馬鹿なのはあたしだったなって。もう…なんか、ゆっきーになんて謝ったらいいんだろうって…」

あの嵐の日。
米を一緒に研いで、水を計って、野菜を切って。きれいに炊き上がった白米を見て、由姫はありがとうと笑いかけてくれたのに。

『凛ちゃんがいてくれたおかげですわ』

「あたしは、ゆっきーの何を見てきたんだろう、勝手に上に立ったつもりにでもなってたのかなって」

黙って耳だけを傾けていた天子は、表情を特に変えることなくふうんと頷いた。

「別にいいんじゃねーの。何がなんでも対等ってわけじゃねえだろ、あいつになんか教わる時はお前が実質下になるんだし。そうやって順繰り回ってくるから友達やってられるんじゃねえのか」

「でも、ゆっきーはあたしのこと絶対馬鹿にしたりしないじゃないですか」

「どうだか。心の中までは絶対なんてわかんねーよ。お前だってそうしようと思ったわけじゃねえし、知らずにやったんなら今度はやらねえって思うだけだろ。つーか、あいつに友達いねーのはホントのことだぞ。何も気にすることねーよ、お前がそう思った時点で俺ならそれを口に出してる」

「それは…てんこ先輩はそうだと思いますけど」

「言ったところで、友達は数ではありませんわ!とか勝手にキレんだからキレさせとけよ。クラスの連中がクソみてぇな奴なのはどうしようもねえし、あいつもそんなのには興味ねえ。憐れんだり悔しがったりすんのも、お前がそうやってぐちぐち悩むのも、うるせえ女共に啖呵切ってんのもあいつのためなんだろ。そりゃ、巡りめぐって自分のためにはなるんだろうけどな、そもそもあいつを友達だと思ってなけりゃそこまでぶつくさ言わねーぞ」

森に包まれた国道は木漏れ日がちらちらと覗いている。目に入るとちかちかと眩しいが、潤みかけた瞳にはきらりと輝いて見えた。はー、と天子は雑にがしがしと頭を掻く。

「あいつはお前が思ってるよりずっとアホだ、アホ。世間知らずで忘れっぽくて杓子定規で、ついでにあの立花を追っかけてるようなアホ。そんな奴は下に見とけ。んで……なんかあった時に力を貸してやるかって思えれば、それでいいんじゃねえの。他にあんのかよ」

「何かあった時に…ですか」

何もかも満たされているようで、ありきたりの日常さえままならないお嬢様。才能はあるのに、料理を披露する友達はいない。律儀で礼儀正しいのに、背負った名字だけで何かと妨害を受ける日々。
そうやって分析しているようで実質彼女を貶めている自分が、由姫の力になれるのだろうか。

「………」

「先行くぞ」

坂道はいつのまにか終わっている。
短く言うと、天子は凛の返事を待たずに国道のヘアピンカーブを抜けていった。



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