小説 | ナノ


▼ 3.出発

「全校生徒諸君、おはよう! 日頃の行いがいいのか、こうして無事晴天にも恵まれたな。気温も湿度も程よい感じだが、油断はいかんぞ。 熱中症や脱水に注意して、各自体調管理を怠らないように! 自分のペースで、ゆっくりでもいいから頑張ろうな。また閉会式で会おう、以上!」

五月一日、朝の九時二十分。
蓮華高校の第一校庭では体操服に身をくるんだ全校生徒、教師が一同に会し、青井岳出発に向けてモチベーションを高めていた。高まらない者ももちろんいるが、やるしかないのなら無理に気持ちから楽しくするしかない。
真夏の炎天下ではないにしても、長々とした校長の演説などこれから運動する者にとっては迷惑以外の何物でもなく、時間調整のためか、その後の生徒会長・時宮の言葉は実にあっさりとしたものだった。話せと言われれば彼は何十分でも滔々と喋り続けていられるタイプだが、そこは鬼の副会長がお許しにならない。きりっとした彼女の鋭い視線に見守られ、時宮は無難な台詞で開会式を締めくくることにした。

「それでは、一年生女子から出発して下さい」

三年の教務主任が拡声器越しに指示すると、校庭のフェンスが一部途切れた場所――裏門と呼ぶにはあまりにちゃっちいのだが、そこからリュックを背負った女の子たちが続々と裏道へ出ていく。
まずは学校の裏からくねくねとした細い道を下り、国道へ出て工業団地を目指す。左に進路を取りつつ別の国道へ進み、美桜の丘、そして折り返し地点の観音堂へ。帰りも同じルートを辿る。分岐点には教師が立っており、かつ千人近い全校生徒がぞろぞろと歩いているので、前を進む人についていけば道に迷うことはないらしい。

「由姫ちゃーん!」

出発は裏門に近い一年一組からとなっており、三組の由姫はゆっくりと進みながら八組の彩音が歩き出すのを待っていた。彩音は号令と共にリュックを揺らして駆け出し、五組の辺りで由姫に追い付いた。

「おはようございます、彩音ちゃん。今日はよろしくお願いします」

「うん、よろしく! 頑張ろうね」

彩音はいつも通りのお下げ髪、由姫は普段のハーフアップではなく運動に即したポニーテールだ。

「凛ちゃんはもう走って行っちゃったんだろうね」

「ええ、さっきすれ違いましたわ。とても凛々しかったです」

五組の凛が追い抜き様にぽんと由姫の肩を叩き、先行くね、と声をかけて飛び出していった。もちろん飲み物は携帯しているだろうが、彼女はいたって身軽な恰好だったという。
彩音は紙の地図をポケットから取り出す。

「この工業団地のところ、大きい公園があるんだよね。昔、よくお兄ちゃんと遊んだんだけど」

「ええ。確か、噴水とアスレチックがありましたわ」

「ここに自販機があって、ジュースとセブンティーンアイスが売ってるの。帰りに食べたいなーと思って」

「そうですわね。帰りに何か楽しみがあった方がやる気も出ますし」

約束ね、とぐっと拳を握った彩音に由姫が微笑みかける。
裏道を少し下ったところに曹洞宗の寺があるのだが、住職がわざわざ門まで出て生徒たちに手を振っていた。今は女の子ばかりで楽しいだろうが、後半は男まみれなので撤退すると思われる。行ってきまーす、と彩音たちも挨拶を返して寺を通過した。

◆◇◆

さて、一方の第一校庭。
女子のスタートが終わり、まもなく一年生の男子が出発を迎える頃合いだ。周囲が半袖半ズボンという五月にはやや涼しい軽装の中、長袖長ズボンでトコトコと列を抜け、保健室前に進み出たのは薫である。養護教諭の島海亜子が、白衣姿で薫を手招きしていた。生徒からは亜子先生と呼ばれ親しまれている女性だ。

「おはよう、水川。調子はどうだ?」

ハスキーボイスで尋ねられ、薫はぺこっと頭を下げて大丈夫ですと呟く。保健室の常連である薫にとって、亜子は全校教師の中で一番話しやすい存在でもあった。今年も彼女が担当と聞いてほっとしたのだ。

「おはようございます、亜子先生。それと、水川も」

同じく三年生側から抜け出してきた火野が朝らしく爽やかな笑みで挨拶すると、亜子は腕組みをして彼をじろりと睨んだ。こちらも常連なので、対応には慣れている。

「お前はどうしていつも制服なんだ? 火野」

「体操着が嫌いなもので」

笑顔を崩さずに言い切った火野にハァとひとつ息をついて、亜子は荷物を背負って二人を誘導した。

「さぁ、私の車で観音堂まで行くぞ」

職員駐車場――予算がないのかずっと砂利道なのだが、南校舎のさらに南側へ三人は歩いていく。薫はいつものミニリュックに加え、肩紐付きのペットボトルホルダーを提げていた。歩く度にぴたぴたと太腿に当たる様は遠足へ行く小学生のようだ。
火野は至って軽装で、亜子の言う通り制服に身を包み、二、三冊の本と飲み物でいっぱいになりそうな容量のトートバッグしか持っていない。何しに来たんだと亜子でなければ怒られているかもしれない。

「助手席は塞がってる。後ろに乗ってくれ」

ぱっと目を惹く赤のフェアレディに案内され、薫と火野はバックシートに乗り込む。天井から垂れ下がった、つるし雛のような子供用のおもちゃ飾り。火野はちらりと一瞥して亜子に尋ねた。

「先生のお子さん、おいくつでしたっけ」

ああ、とシートベルトを着けながら亜子がおもちゃを振り返る。

「それは甥っ子用だ。うちのはもう小学生」

そうでしたか、との火野の言葉を皮切りに、赤い車はゆっくりと発進する。鈴付きの飾りが車内でちりちりと揺れる中、砂利エリアを抜けて正門をくぐっていった。

「水川のところは部活するつもりなの? 今日」

携帯でメールを打ちながら、火野は薫に尋ねる。はい、と薫は小さく頷いた。

「でも、実験はやらない、です。明日もあるし、ちょっと話すだけ」

「慰労会、かな? みんな疲れてるだろうし、うちの部室においで。ソファでくったりしてるといいよ」

となると、文字を打ち込んでいる相手は天子と由姫か。二人に送信を終え、ぱたんと火野は携帯を閉じた。

歩けば三時間の道のりも、車では二十分やそこらで着いてしまう。つくづく文明の利器の偉大さを思い知ったところで、三人は観音堂に参ってから準備を始めた。
亜子は『救護』の腕章を付けると、手持ちの救急箱や道具一式を運び込むため、車に戻ってトランクを開けた。持ちますよ、と火野が手伝いを申し出たので、薫も救急箱と水のペットボトルを抱えてテントへ向かう。
受付用のテントは昨日のうちに教師陣が設営してくれたらしい。折り畳みの長テーブルと椅子を組み、亜子が持ってきた名簿とペン、スタンプ一式を並べる。
観音堂に常時滞在する教師は亜子の他にも数人おり、そちらもブルーシートを張ったり駐車場を掃除したりと甲斐甲斐しく作業に勤しんでいる。完全に雑用だが、車でルートの見回りをしたり、道の分岐で生徒を案内をする係よりはよほど楽だろう。

「やることは去年と一緒だ」

救急箱の中身を確認しつつ、着席した二人に亜子が告げる。

「来た奴をそこの名簿でチェックする、生徒手帳にスタンプを押してやる、学年順位が書かれた紙を渡す、以上。わかってるな」

先生、と火野が肩の高さまで挙手する。

「生徒手帳を持っていない人が去年何人かいたんですが」

「顔にでも押してやれ。昼時は混むから迅速にな」

はい、と二人が頷くと、亜子は他の教師たちとの打ち合わせに向かった。火野は椅子の背にもたれて荷物を膝に置く。

「さぁて、しばらくは暇だね。何して遊ぶ?」

いくら零でも片道十二キロはそう容易い道のりではない。薫もペットボトルから茶を二、三口飲んで、ミニリュックをあさる。暇潰しにと化学関連の書籍は持ってきたが、火野ならもっと楽しそうなおもちゃを持ち込んでいそうなものだ。

「どれがいい?」

トートバッグは意外と間口が深く、奥行きもあったらしい。百円ショップで売っているようなポケットタイプのオセロと花札はともかく、薄型のノートパソコンまであるとは驚きだ。これは、と指差して尋ねると、彼はパソコンを長机に置いて開き、電源を入れた。

「今はネットの動画でいろんな実験が見られるからね。僕もちょっと探してみようと思って」

なるほど。遊びの用途を理解した薫も椅子ごと身を寄せ、デスクトップからブラウザへアクセスされるのをじっと見つめる。

「この前面白いサイト見つけたんだ。これ、ほら」

「……! ……、…?」

化学実験の様子を動画サイトへ投稿している教師のブログらしい。かっと目を輝かせ、言葉にせずとも伝わってくる薫の興奮に、火野は小さく笑って再生ボタンを押した。



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