小説 | ナノ


▼ 1.強歩大会

若き春にて 花盛り
青井の嶺は 今日も生い
学び舎に集う朋友よ
清く正しく朗らかに
心の道を いざ進まん

たどたどしい歌声とピアノの演奏が指揮によって収束したところで、ステージ上の生徒会長、時宮輝はマイクを手にした。

「うん、だんだん良くはなってきたな! だが、君たちの本気はこんなもんじゃないだろ。好きでもない歌を何度も歌わされるのは苦痛かもしれんが、頑張ろうじゃないか。国民が国歌を知らなかったり、軍隊がろくに軍歌歌えなかったらあれ?ってなるだろ? ここの生徒である以上は歌詞くらい覚えてもらわないと困るからな。郷に入れば郷に従えってやつだ。明日も待ってるぞ! 解散!」

第一体育館からぞろぞろと夕方の通路へ流れてゆく新入生たち。四月も終わりに近づいているものの、学校からの扱いはまだまだ新入りだった。
ホームルームを終えた放課後。一年生は全員が体育館に集められ、生徒手帳に記載された歌詞を見ながら校歌斉唱の練習を行っていた。この練習は生徒会が主催ではあるが担任教師もきっちり付き添っているため、無断でサボることはできない。声を張り上げる者、口が開いているのか否かもわからない者。個人のやる気に全てが委ねられている練習は、時宮が及第点を出すまで毎日続くらしい。

「彩音ー!」

ステージ横の通路から外に出ようとした彩音の背中に、後ろからよく通る凛の声が届いた。彩音は立ち止まり、人波の流れに逆らって凛を探す。不意に、ブラウスの上から二の腕辺りを掴まれた。

「凛ちゃん! お疲れ」

「お疲れ。あー、今日も疲れたわぁ」

古いトタン屋根の下、校舎までの通路を一緒に歩きながら、凛はぐったりとした表情を滲ませた。彼女の趣味はカラオケで、歌うこと自体は好きなようだが、時宮も言っていた通り『好きでもない歌』を歌わされる苦痛の方が勝っているのだ。対する彩音は中学時代に合唱部を経験していたことから、こうした曲調には慣れっこでもある。

「あと何日続くのかな、これ」

「時宮先輩がOK出すまででしょ? 先輩優しいけどさ、熱血スイッチ入っちゃうとなかなか離してくれなさそうよね」

「あはは、確かに」

西階段の前でいったん別れ、彩音は階段を上って八組へ、凛はすぐそばの五組へ。荷物を手に、各自は化学実験室へと向かう。部活開始時刻はとうに過ぎており、体育館の周りにも練習が終わるのを待っている上級生がごろごろいたが、伝統化しつつあるこの行事は彼らも昨年ないし一昨年に経験しているはずだ。ああまたこの季節か、と感慨深げに歌声を聴いていたのかもしれない。

「遅くなりましたー!」

「お疲れ様です!」

スクールバッグを肩に掛けた凛と彩音が実験室のドアを引くと、零と薫、そして火野が実験台を囲んで座っている。お邪魔してるよ、と火野が眩しい笑顔で手を振れば、へへ、と二人はにやつくのを堪えた結果、妙な愛想笑いを貼り付けることになる。
春の嵐に見舞われた生物部との交流会以降、こちらがあちらを訪ねたり、あちらがこちらを訪ねて来たりと頻繁に行き来している両部活である。実験を見学、体験していくこともあれば、土産や菓子を理由に茶を飲みながらお喋りに興じるだけ、という日もある。そんなゆるい活動だからこそ、こうして無事に続けていられるのだが。

「お疲れ様。今日で何日目だっけか」

椅子を寄せて同じテーブルにつくと、零が指折り数えながら尋ねてくる。
薫は紙コップとティファールで二人分の紅茶を淹れ始めた。綿毛のようなふわふわの髪は、今日も持ち主の動作に応じてあちこちに揺れる。白陶器の如く滑らかな肌に、注ぎ入れられる紅茶の赤が映える。整った指先ではい、とコップを差し出され、彩音と凛は質の良い芸術に触れたような、洗練された気持ちで礼を言った。美少年はいつ見てもいいものだ。
手元の引き出しを開け、彩音はスティックシュガーを一本引き抜く。

「四日目ですね」

「薫、去年何日だったっけ」

「……九日」

うええ、と二人は紅茶を啜りつつ顔をしかめる。あくまでも去年の日数は目安だが、まだ半分にも到達していないではないか。先が思いやられる。困るよねぇ、と火野は優しく同調した。

「僕はあんまり意味ないと思うんだけどな、ああいうの」

二人がやれやれとため息をついたところで、直と由姫が遅れて到着した。

「お疲れ様です!」

「遅れてすみません。こちら、マドレーヌを焼いたのでよろしければどうぞ」

由姫がリボンを結んだ包みを薫に差し出すと、ありがと!と零がすかさず礼を言い、彼女はほんのりと頬を桃色に染めて頷いた。薫もちょっとばかりテンションが上がった様子で、包みを開封し始めている。
帆立貝のようなお馴染みの形が、ひとつひとつ透明な袋にラッピングされている。王道のプレーンとココアに、オレンジ風味、アーモンドスライスの四種類だ。バターの芳醇な香りを楽しみながら、小腹の空きまくった高校生たちは次々と腹を満たしていく。いつもながら、個人で作ったとは思えぬ腕前だ。

「おいしー! いつもありがとね、由姫ちゃん」

「どう致しまして。皆さんおいしそうに召し上がって下さるので私も嬉しいですわ」

薫もアーモンドのマドレーヌを両手でちみちみと食べており、口許が僅かに綻んでいる。ついてるよ、と火野の指がするりと薫の唇の横を撫でると、彩音と凛が机の下でぐっと拳を握った。
由姫が自分のマドレーヌをキムワイプで上品に取り分けるのを眺めつつ、そういえば、と火野が呟く。

「意味がない行事で思い出したけど、ようやく来たね、これ。僕のところは担任の先生がせっかちだから、こういう情報が早いんだけど」

彼が荷物から取り出したのは緑色のクリアファイル。両開きの片ポケットから、一枚のプリントが選び出される。タイトルは『第二回青井岳強歩大会』。聞き慣れない行事名に、由姫は首を伸ばしてプリントを読み始めた。

「青井岳強歩大会…? まあ、そんな行事がありますのね」

「そうそう」と零はマドレーヌにかじりついて続ける。

「去年から始まったんだよな。簡単に言うと、ここから青井岳に行って上って下って帰ってくるんだ。二十四キロくらい?」

「二十四キロ!?」

彩音と直がハモって絶句すると、携帯を確認していた火野が薄く笑った。

「なかなか厳しい距離ではあるね。みんな、校歌練習してきたなら歌詞覚えてるよね? 青井の嶺は?」

「今日も生い?」

彩音が続きを引き取れば、よくできましたと火野が褒める。

「その校歌に出てくる青井の嶺――青井岳に登ったことがないのは、この学校としてどうなのかなぁ?ってわけで校長先生がありがたく制定されたのが強歩大会ってわけだよ。体力作りにもなるからいいじゃん、って感じ?」

「へー、じゃあ校長も登るんですか?」と、凛。

「うん、車でね」

「………」

はぁ、と一年生たちが憎しみを込めた吐息を落とし、ふと直が質問を挟む。

「それって…あっ、もちろんさぼらないですけど、休むことはできるんですか?」

「書いてあるよ。見てみるかい」

由姫がプリントを一年生側に寄せ、若き四人は頭を突き合わせるようにして内容を熟読した。

『青井岳強歩大会
【日時】5月1日
9:00 開会式
9:30 出発(1年生女子→2年生女子…3年生男子)
15:30 閉会式
【ルート】
学校裏門→姉間工業団地→青井岳(国道X号線)→美桜の丘→観音堂(昼休憩・スタンプ押印)→美桜の丘……学校』
【注意事項】
・持病のある者は不参加とする。また、体調不良等により当日欠席した場合は後日行う。
・途中で体調が悪くなった者は下記へ連絡し、教師の指示を仰ぐこと。
[緊急ダイヤル:0X0-XXXX-XXXX]
・昼食、飲み物は各自で用意する。ゴミは必ず持ち帰り、道やコンビニ等のゴミ箱には決して捨てないこと。』

ルートはプリント下部に簡単な図が載っており、トイレの場所、コンビニの位置が詳らかに記してある。顔を上げた直はがっかりした声でうなだれた。

「基本的には全員参加で、休んでも別日程で歩かされるんですね」

「そうだな。薫みたいにドクターストップかかってる人は別だけど」

な、と零に話を振られた薫がこくこくと頷く。聞けば、幼い頃から喘息を患っている薫は普段の体育でさえ見学することが多いのだという。難儀なものだ。

「お前喘息なのか。そりゃ歩けねーな」

「わ! てんこ先輩いたんですか」

背後からプリントを覗き込んでいた天子の姿に、彩音がぴょいと椅子の上で小さく跳ねた。



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