▼ 13.解散
『全校生徒の皆さんにお知らせします。只今、市の消防の方からご連絡を頂きまして、周辺道路の全ての安全確認が完了したとのことです。よって、生徒の皆さんはこれより下校準備に入り、二十時半までに全員校舎から退出するようお願いします。また、その際は個人を避け、なるべく複数人で帰宅してください。繰り返します。…』
「お、ちょうどお許しが出たらしいな」
鍋及びデザートのいちごをすっかり平らげた面々は、ゴミをまとめたり鍋を洗ったりと後始末を済ませていた。時宮が放送スピーカーを見上げれば、火野は呆れた声で幼馴染を促す。
「本当にね。副会長に仕事放り出して、会長はのんびり鍋つついてただけでしょ?」
「俺だってずっと働き詰めだったんだぞ。雨以外でも、新年度でやることはたんまりあるからな」
「はいはい。ここももうじき閉めるからどこへなりと行けばいいよ」
火野の小言を聞き流した時宮は、みんなありがとなー、と鷹揚に手を振って暗い廊下へ闊歩していく。各々帰り支度をしつつ、家族へ連絡を入れることも忘れない。
「はい、はい。今から帰りますね、薫と直と一緒に」
零も自宅と水川家に電話をかけ、直を振り返る。
「直、俺たちと一緒に帰るか。職員室まで鍵返しに行くから、昇降口で待っててくれるか?」
「あ、はい! わかりました」
「火野先輩! ここの鍵、俺ついでに返して来ますよ」
「ん? ああ、大丈夫だよ。これは返さなくていい鍵だから」
ほらね、と火野がポケットから取り出した二つの鍵。生物実験室と生物準備室の鍵だが、どちらも学校指定の名前タグが付いていない。ということは合鍵、つまり火野の私物か。えーっ、と零も驚く。
「それ、バレたら怒られるじゃないっすか!」
「バレてるよ。というか、ちゃんと許可してもらってるから大丈夫」
規律に厳しい由姫はまだ懐疑的な目を向けていたが、着信に気づいて携帯電話を取り出す。
「はい。……はい、わかりましたわ」と短く切ってから、
「すみません。正門の方に迎えが来ておりますので、私はこれで失礼しますわ。皆さんもお気をつけてお帰りくださいな」
「うん、ゆっきーお疲れ!」
「またね、由姫ちゃん」
部員たちに見送られ、由姫も昇降口へと向かっていく。ああ!と彩音がいきなり大声を出したので隣の直がひっと横にステップを踏んだ。
「由姫ちゃんのアドレス訊いとけばよかった!」
「なんだ、そんなこと。あたしちゃんと交換しといたわ、ほれ」
「さすが凛ちゃん! 後で教えてね」
ぞろぞろと全員が実験室を出てから、キーホルダーさえも付けていない火野の鍵がドアに突き立てられる。じゃあ、と零が薫の腕を引いた。
「俺と薫は職員室寄るんで、先帰ってて下さい! お疲れ様でした!」
バイバイ、と言うように薫も胸の前で手を振る。お疲れ様でーす、と口々に言い合ってから、直も昇降口へ向かう。残りは四人だ。
火野は鍵をしまって、彩音と凛、天子に微笑みかけた。
「みんな一緒に帰ろうか。僕もちょっと用事があってね、街の方に行くから駅までついていくよ」
「ほんとですか。ふ、ふふ」
家に着く直前まで美形を眺めていられる幸福に、彩音も自然と頬が緩んでしまう。
三年生の昇降口だけは南側にあるので、三人は揃って北校舎へ向かい、その後正門付近でまた合流した。
道路にはまだ消防の姿があり、散々働いた後だと言うのにこちら側へ丁寧に声を掛けてくれる。坂を下りながら、四人は駅までの十分少々を共にした。
「先輩、おうちの方に行かれるんですか?」
火野の『用事』が気になってか、凛がさりげなく尋ねてくる。彩音はもちろん天子だって聞き耳をしっかり立てていた。
「ううん、遊びに行くだけ。金曜だしね」
「遊びに……」
す、と凛は彩音と顔を見合わせ、この際だからと、単刀直入に質問を投げ掛けた。
「デートですか?」
「あはは、まさか。ちょっとね、友達の家に行くだけだよ」
それが嘘か否かは判別し難いが、火野くらいになるとわざわざその辺りを隠すとは考えにくい。自他共に認めざるを得ない美形なのだから、よほど派手でない限りは女性とそんなことがあってもマイナスイメージにはならないはずだ。
先程から黙って成り行きを見守っていた天子が露骨に安堵したところで、そうだ、と火野が思い出したように向き直る。
「ねぇ、てんこ。この前の数学だけど、あれは試行に対して事象Aと事象Bは排反になるから確率としてはAの方が――」
「えっ。あ、は、はい」
急に真面目な話題を振られたことに驚きつつ、天子は火野の説明を聞きながら適宜質問を返していく。
そそくさと彩音と凛はその背後に回り、目の前の光景と今日一日の総括を小声で交わし合った。
「てんこ先輩も、普通の話なら恍惚にならないんだね」
「みたいね。でも喜んでるのはわかるわ」
「ほんとだー」
解法のアイデアをあれこれと出す天子は、憧れの彼とこの道を共に歩けていることが単純に嬉しいのだろう。ちょっとはにかんだ表情は、今日初めて見るものだ。
「あたしはひのみなが結構きゅんときたな」
「わかるぅー。耽美?」
「あんたそんな言葉知ってたの!」
「ひどい。お母さんの本棚にあったんだよ、『恋人たちの森』って本。すごいの、なんかこう、豪華だけど繊細で乙女〜って感じ」
「ガラスケースに薔薇を敷き詰めて…みたいな?」
「そうそう! 天蓋レース付きの寝台で白絹の羽衣に〜みたいな」
「ちょ、何それほんとにそういうのなの? …でもまぁ、火野先輩と水川先輩ならわかるわ、確かに。スキンシップだけで十分絵になるし、水川先輩のことほんとに可愛がってるけど、あくまでもプラトニックが前提、っていう。百合に似た何かを感じる」
「ああー、素敵。零先輩が時宮先輩に断言してたのもよかったよね」
「もう公開プロポーズに近いよね。さすがだわー」
「水川先輩が照れてたのかわいかったぁ」
「そう、ほっぺたぷうってさせてさ、かわいいのなんの」
「零薫は王道なんだって再確認したよね。もちろん、今目の前にいる……ね、ひのてんもいいよ」
「カンガルーの是非はともかく、唯我独尊のてんこ先輩が言いなりになっちゃうんだもんね。火野先輩の魔力恐るべし」
「凛ちゃん的にひのてんのまとめをどうぞ」
「うーむ、神様に魅入られちゃった不良青年ってとこ? 優しく優しく可愛がってもらっておいしくぺろっと供物にされてしまえ」
「願望になってるよ! …あとさ、わたし完全に気を抜いてて後で気づいたんだけど…」
「時宮先輩のこと?」
「うん。あれはあれで、幼馴染としてありかなって」
「みんなに優しかった火野先輩が、時宮先輩には割と傍若無人だったし。あたしもちょっとびっくり」
「仲良しってことだよね?」
「うーん、たぶんね。もうちょい様子見たいかも」
「でも……どっちなんだろ? 身長、見てた?」
「見た。火野先輩の方が若干高かった。二、三センチだと思うけど」
「ひのとき…?」
「いやー、案外逆じゃないかな。突っかかっていくの火野先輩っぽいし、あれは結構好きなんだと思うよ。ツンデレの一種?」
「時宮先輩は女の子好きそうだったもんね。そっか、ストレートか」
「こらこら。ま、これからに期待ね」
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