小説 | ナノ


▼ 12.時宮 輝

「って、そういえば火野先輩食べてないじゃないですか! 彩音、ほらお碗取ってっ」

新たに具を追加した鍋をみなが貪る中、火野は薫を撫でたり携帯をぽちぽちしたりと一向に食べる様子を見せない。慌てた凛の言葉に、平気だよ、と彼は微笑んで見せる。

「僕そんなにお腹すいてないし、みんなが食べてる顔見てるとそれだけでお腹いっぱい」

「そういや俺、火野先輩がなんか食べてるの見たことないような。薫、ある?」

薫は少し考えて、緩く首を横に振った。由姫と天子もそっと顔を見合わせ『あります?』『ないよな?』と目線だけで会話する。ええ、と化学部の一年生が戦慄した。

「お腹、すかないんですか?」

四杯目のカレーをよそった彩音が心配そうに尋ねる。

「うん、あんまり。でも食べる時は食べてるから大丈夫。ああでも、せっかく水川とみんなが作ったんだもんね。ちょっとだけ食べるよ」

彩音からスチロール製の椀を受け取って、すき焼きを少しだけ取り分けて。綺麗な箸使いで白菜を繊維に沿って切りながら、火野はくすくすと笑った。

「そうやって注目されると、ちょっと食べにくいな」

確かにそうだ。視線を注いでいた何人かが、気を利かせてすっとうつむく。凝視しているのは彩音と天子くらいである。

「うん、おいしい」

恐ろしく不似合いな発泡スチロールと割箸を手に、白菜を口にした火野はにっこりと笑った。由姫ほどではないにしろ、彼もまた、同世代で鍋を囲む経験が乏しいのかもしれない。
バタン、と実験室側のドアが閉まる音がした。火野は素早くローテーブルの下に手を滑らせ、そこからあるものを取り出す。ブツに目をやったみなは唖然とした。――何故、そこに、水鉄砲が。
火野は肩越しに、背後へ銃口を向ける。次の瞬間、準備室のドアが豪快に開かれた。

「やあ、生物部と化学部の諸君――ぶふぉ!」

ピューッ、と顔面に水を浴びた時宮は、派手に水飛沫を散らしてもがいた。何が起こったのか、理解できなかった者は時宮だけではあるまい。火野が水鉄砲を元に戻しつつ、時宮の表情を見ないまま上機嫌で尋ねた。

「生徒会長殿は入室前にノックもできないのかな?」

ジャケットの袖口でぐいと水を拭ってから、時宮はわなわなと拳を震わせて叫んだ。

「おっ…まえは相変わらず…! 人に向けんなって教わんなかったのか!」

ようやく時宮を振り返った火野は、あれ?と自らの狙いに首を傾げた。

「顔だった? おかしいな、心臓辺りに向けたんだけど。身長縮んだんじゃないの?」

「縮んでねーよ! ったく、教室私物化する奴に礼儀なんか言われてたまるか」

ぽんぽんと幼馴染はひととおり文句の応酬を交わし、時宮が疲れ切った様子でため息をつく。なるほど、火野が気を遣わない関係とはこういうものなのだろう。彼の珍しい一面に、一同はやや驚いた様子だ。
切り替えの早い時宮は、おっ、とソファを見渡して嬉しそうに笑いかける。

「女の子もいるのか。みんなかわいいなぁ。えーと、地衣良由姫ちゃんに、結城彩音ちゃん、光坂凛ちゃんだな」

「えっ、あたしたちのこと知ってるんですか?」

うん、と時宮は心持ち胸を張って頷いた。

「全校生徒の名前と顔は把握してるよ。もちろん、君たちのこともな」

君たち、と零や薫と順番に目を合わせて、彼は手に提げていたビニール袋をテーブルに置いた。午後の紅茶、麦茶、オレンジジュースのペットボトルがお目見えする。

「少しだけど、タダでご相伴に預かるわけにはいかんしな。みんなで飲んでくれ」

こちらの状況を察してか、ご丁寧に紙コップも持ってきたらしい。火野の無茶苦茶な挨拶にも本気で怒らなかったくらいだ、根はとてもいい人なのだろう。
ありがとうございまーす、と零たちが口々に礼を言って飲み物を注ぎ合う中、火野は笑顔で手のひらを向けた。

「僕には?」

はー、と息を吐いた時宮は至極嫌そうに、袋の底から500ccの紙パックジュースを差し出した。白と薄緑色のパッケージには、アロエの葉が鮮やかに印刷されている。付属のストローをトントンとセットする火野を横目に、天子が恐る恐る声をかけた。

「……先輩」

「ん?」

「それ…飲むんですか」

「うん。僕ね、これ好きなの」

天子の言わんとしていることを受け取った直が、複雑そうな表情でアロエジュースを指差した。

「それ、すごく美味しくないやつでは…。この前、クラスでジャンケンの罰ゲームになってました」

そうそう、と時宮も紙コップを取り出しつつ頷く。

「ほんとな、なんで売ってんのかわからんレベルで不味いんだよ、それ。こいつは平然と飲んでるけど、君たちはやめといた方がいいぞ。お、ありがと! いやー、うまそうだな」

由姫が白米とカレーをよそうと、時宮は礼を言いつつスプーンを手にした。学内の雨漏りの点検や職員との打ち合わせで忙しく、ろくに食べ物を口にできなかったようだ。

「あー。確かに去年、火野先輩がそればっか飲んでたのは覚えてます。な、薫」

「ん。俺も、飲んだことある…けど、飲めない」

「てんこ先輩も飲んだんですか?」と凛。

「学校の自販機のジュースはほぼ飲んだな。唯一ってわけじゃねーけど、俺が最後まで飲めなかったもののひとつだ」

「人気ないんだよねぇ。僕はおいしいと思うんだけどな」

ちなみに味の方は天子曰く、蜂蜜と牛乳を足した漢方茶を煮詰めてミントエキスとレモンを加え、酢で全てを台無しにしてからアロエを冗談半分で風味付けしたようなもの、だそうだ。聞くだけで想像を絶する味わいである。
カレーをがつがつと気持ちよく減らしながら、時宮は感激したように叫んだ。

「ん、うまいな! いいなぁ、こんなのを作ってくれる彼女がほしい」

「ダメ! あげないっすよ、薫は俺のなんだから!」

褒め言葉を真に受けた零がぎゅっと幼馴染を抱くと、あぁ、と納得したように時宮が二人を交互に見やった。

「そうか、君たちか。こいつから話は聞いてる。うーん…邪魔する気はないが、立花くん、それでいいのか? 正直、君はモテると思うしもったいないとも思うんだが」

薫への想いに圧倒されて、誰しもが言いたくても言えなかったことを、ここで時宮は代弁してくれた。彩音も凛も、その点には深く同意している。
空気を読まずに突っ走ってしまうことはあれど、一度決めたことをやり通すところは零の長所でもある。抜群の運動神経に加えて後輩の面倒見もよく、はきはきとした切れのいい姿勢も好感度は高い。告白だって、恐らく何度も受けているはずだ。
しゅん、と薫が僅かに目を伏せたのを、火野は優しく見守っている。零は椀と箸を置いてはっきりと言い切った。

「もったいなくないです! 俺はずっと薫しか見てないし、見えないし、それでいいと思ってます! 薫じゃなきゃダメです!」

「お、おお…そうなのか。だったらいいんだ、うん、悪かっ――ぶふぉ!」

スケルトンなプラスチックの鉄砲が水を吹く。なんなんだよ!と時宮が再度、火野に向かって声を荒らげた。

「他人の事情に首を突っ込むからだよ。ちなみにさっき立花はね、僕とお前のことを『幼馴染ってことは、俺と薫みたいな感じですか?』と訊いたからね」

「うおおええやめろぉ吐き気がするうう」

口許を覆って悶絶する時宮をよそに、零はすりすりと薫を抱き締めて頬擦りしている。薫もぷうと頬を膨らませているが、抵抗はごくごく緩い。彩音はにこにこを通り越してにやにやしながら携帯カメラを構え、直は困惑、天子は呆れた様子で鍋をつついている。

「ね、ゆっきー」

凛がこつんと肘で由姫の腕を小突けば、彼女ははっと我に返った。

「は、はい。なんでしょう」

「もしかしてさ、零先輩のこと、」

由姫にだけ聞こえる小声でそこまでを言いかけると、彼女はわたわたと頬を赤らめて取り乱した。

「ち、違います、そんな、私は。その、素敵な方だと思っただけで……恋愛とか、そういったものではなくて…」

「憧れ、みたいな?」

「そ、そう…ですわね、はい……」

「そっかー。んー、でもわかるわ。頼れるお兄ちゃんって感じだもんね」

夕方から、度々由姫の視線が零に注がれていることは気づいていた。彼女が零の気持ちを理解した上で、恋愛感情に成りきらない憧憬を抱えていることも。
いいじゃん、と凛は笑って由姫の背を叩く。

「ときめきって大事よ。毎日楽しくなるなら儲けもんでしょ? その気持ちは大切にしとこうよ。今だけでもいいんだから」

「凛ちゃん…」

不安げだった表情が、少しずつ明度を取り戻していく。受け入れてしまえば、意外にも馴染む感情だった。
年を重ねようと、心の表面から失われようと。その想いはきっと、生涯色褪せることはないのだ。



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