▼ 11.成果
片づけを粗方済ませ、生物準備室に順次運び込まれる、カセットコンロ及び鍋。ローテーブルがいっぱいになってしまうので、ふっくらと炊けた白米はひとり分ずつスチロールの椀によそって、残りはオブジェに見守られながら鍋ごと飾り棚に置かれた。
猫がすっぽり入るだろうサイズの鍋二つ、じゃーん、とテンションの高い零が両手で蓋を開ける。甘辛味がよく染みたすき焼きと、トマトの風味豊かなカレー。空腹極まった高校生の男女たちは、おお、とどよめく。
「おいしそう! ああ、閉じ込められてるのにこんなの食べれるなんて…頂きます!」
我先にとお椀にカレーを分けると、プラスチックのスプーンで彩音はやたら大きなひと口を押し込む。んー、と至福の悲鳴を漏らし、彼女はがつがつと周囲に目もくれずカレーを流し込んでいく。さながら飲み物のようだ。こら!と凛が彩音の後頭部を軽く叩いた。
「全部あんたのものじゃないんだから、調整しながら食べるのよ! 誰かがあんたのために我慢しちゃったら嫌でしょ!」
「うっ、それは。ごめんなさい、ゆっくり食べます」
「大丈夫だよ、米ならまだあるし、カレーもルー残ってるから。よーし、食べよっか。へへ、薫の作った肉じゃがとすき焼きが一番好きなんだ、俺」
唐突に褒められた薫は僅かに頬を赤くしたが、素知らぬふりですき焼きの白菜をつついた。園芸部産の野菜は甘く瑞々しく、肉の旨味をたっぷりと吸っている。こうなると、やっぱり肉があってよかったと思わざるを得ない。
「おいしいですわ。水川先輩、ご指導ありがとうございました。経験不足なものですから、大変勉強になりましたわ」
由姫が品の良い所作で頭をそっと下げれば、薫はぷるぷると首を振った。薫にしてみれば、色とりどりのクッキーやフィナンシェを作る由姫の方がよほど凄いのだ。
「由姫ちゃんのお菓子もおいしかったってさ」
横から零が通訳を施せば、まあ、と由姫が照れたように微笑む。水川、と天子が手のひらを差し出した。
「そのカゴくれ」
調味料の詰まった小さなカゴを、薫がよいしょと両手で天子に渡す。その中からチューブや瓶をいろいろと引き抜いた末、選び出されたのは一味唐辛子。彼は躊躇なく、瓶を逆さにしてとんとんと底を叩く。ひと振り、ふた振り、まだまだ。うわぁ、と辛味の苦手な薫と彩音が苦い顔をした。
「てんこ先輩、それ絶対辛いですよー」
「だよなぁ。あんまり辛いと痔になるぞ」
「うるせーな! 辛い方がうめーだろ」
「アレンジせずに一度はそのまま頂くのが礼儀ですわよ」
「三口くらいは食った。こいつの料理がうまいのはわかった。その上でやってんだ」
満遍なくカレーに唐辛子を振らせてから、天子はぱくりと口に収める。咀嚼しながら、
「うまい。やっぱカレーは辛くねえとな」
頷きつつ、今度はコショウを振りかける。そのままでも十分おいしいのにな、と直はすき焼きの豆腐を肉でくるんで口へ招き入れた。ひまわりでは焼き豆腐がちょうど売れ残っており、零がレジに駆け込む際にひっつかんだのだ。普通の豆腐にはない独特の風味がいい味を出している。
不意に背後のドアが開くと、何人かがぱっと顔を上げた。火野はすっかり整った食事風景を見渡して、満足げに頷いた。
「教室の外までおいしそうな匂いがしてたよ。うんうん、やっぱり水川は料理が上手だね。みんなお疲れ様」
春菊と白菜をもぐもぐと味わっていた薫の髪を優しく撫で、火野はその隣に腰を下ろして現状を伝える。
「生徒会が把握してる限りだと、今のところ安全確認は八割方済んでるみたいだよ。倒木もトラックで撤去したから、食べ終わる頃には帰れるかもしれないね」
「ほんとっすか。よかった!」
朗報に零が明るい声を発すると、そうだねと同調してから火野は続ける。
「雨もさっきに比べると弱まってきたし、雨雲レーダーでもこれから弱まるのは確認されてるようだから、交通機関もそのうちきちんと復旧すると思う」
「そうなんですか。残念ですねー、てんこ先輩」
「ああ?」
けたけたと笑う彩音に、天子はつり上がった目をさらにきつくして威嚇する。少し前の『火野の家に泊まればいい』発言の続きである。その際は聞き流していた火野だが、今回は微笑のままで優しく爆弾を落としていく。
「僕は構わないけど」
カラン、とテーブルに落下したスプーンがプラスチックの安い音を立てる。滑り落とした手はわなわなと震え、己も含め、周囲に動揺をありありと伝えていた。声にならない、歓喜の(?)悲鳴。彩音がこっそりと凛に囁く。
「カンガルー、再び」
「泊まりだしね。いろいろ順番吹っ飛ばしてるなぁ」
「わたし、ひとつ疑問に思うんだけど」
「うん。もしかしてあたしの疑問と一緒かな」
「てんこ先輩の中では、ひのてんなの? てんひのなの?」
「あ、やっぱそれか。そりゃ、てんひのなんじゃないの」
「んえっ?」
「だっててんこ先輩だもん。あれ絶対受けになる気ないじゃん」
「そうなの? 火野先輩の手の中で遊ばれてるのに?」
「恍惚タイム抜けたらいけるって思ってそう」
「恍惚してる時点で、ねぇ」
ふふふ、と怪しい笑みで盛り上がる二人をよそに、てんこ?と薫が横から心配そうに顔を覗き込む。
「辛かった…?」
「ちげーよ!」
会話の一部始終がうまく伝わらなかったのか、薫の恐ろしくド天然な一言でようやく天子は我に返ったらしい。はー、と深く息を吐き出してからスプーンを拾った天子の頭をぽんと撫でて、元凶たる火野は年長者らしく促す。
「でもまぁ、親御さんも心配してるでしょ? 許可が下りたらちゃんと帰るんだよ、みんな」
「「はーい」」
ちょっと残念そうに天子が目を伏せると、どこからか携帯の振動音が聞こえた。火野が胸ポケットに手を伸ばす。
「もしもし? うん、部室。化学部もね。……え、今? 鍋の前にいる。なんでって…作ったからでしょ? 僕じゃないよ。…ふうん。いいけど、手ぶらでは来ないよね? ……まぁ、及第点かな。はいはい、じゃあね」
火野にしてはややぞんざいな言葉遣いだ。が、彼は別に機嫌を損ねているわけでもないので、電話の奥にいるのが単に気を遣わない相手だったのか。
パタンと携帯を閉じて、火野はみなにお伺いを立ててきた。
「生徒会長がここに来たいって言うから、食べさせてあげてもいいかな?」
「生徒会長? て、ええと…入学式の時に演壇で喋ってた人ですよね?」
生徒会長、時宮輝。青春の素晴らしさを熱く説いた彼の姿を思い出しつつ、凛が確認を入れる。そういえば、と肉中心にすき焼きを取り分けながら零が口を開いた。
「時宮先輩って、火野先輩の…」
「幼馴染だよ」
「えっ。あの、熱血!な会長が、ですか?」
「あら、そうでしたのね」
間髪入れずに答を出した火野へ、彩音と由姫が驚きの声を放つ。ふーん、と唐辛子をまた追加しながら、心なしか面白くなさそうに天子が頷く。意外だわ、と凛が呟き、
「なんて言うか、冷静と情熱の間って感じですね」
「あはは、それはよく言われるよ」
「幼馴染ってことは、俺と薫みたいな感じですか?」
「立花? 君たちが普通の幼馴染じゃないってことをまず自覚しないとダメだよ。僕はアレと結婚したいなんて微塵も思ってない」
「えっ、俺たちちょー仲良しの普通の幼馴染っすよ! な、薫?」
ぽすぽす、と独特の擬音で怒りながら、ほっぺた桃色の薫が弱い力で零の背中をめちゃくちゃに叩く。痛いよぉ、と思いきり相好を崩す零。これが幼馴染のスタンダードであるなら、世の中の幼馴染はえらいことになるだろう。
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