小説 | ナノ


▼ 8.足止め

それからしばらく経った後。
依然雨は止む気配を見せず、両部の部員は準備室で課題に手をつけたり茶を啜ったりと、思い思いの時間を過ごしていた。

不意に、へくちゅっ、と彩音が両手で口許を覆った。続け様にもう一回。長く編まれたおさげが揺れる。

「んー、なんか寒くない?」

「そういやそうね。ひんやりしてきたって感じ」

凛がスクールバッグからやや皺になったジャケットを引っ張り出す。由姫も胎内オブジェ上部のハンガーに掛かっていた上着を下ろし、袖を通しながら窓に目をやった。

「雨で気温が下がってきたのでしょうか。昼間は暖かったのですけど」

「だよね、最近ずっと五月並みの陽気だって言ってたのに。うう…」

彩音はジャケットを持っていないのか、ニットベストに覆われていないブラウスの腕を擦り合わせた。あの、とソファの背にかけておいた自分のジャケットを、直が遠慮がちに差し出す。

「彩音ちゃん、よかったら…」

「え、いいの? 直くん寒くない?」

「うん、大丈夫。さっき、荷物運ぶ時には脱いでたから、汚れてないと思う」

さすがに洗えはしないが、一月も着ていない新品ではあるし、毎日きちんと消臭剤も吹き掛けているので汗くさくはないはずだ。彩音はそうっと受け取り、正直にすんと鼻を動かして、そのまま背中に羽織った。ありがとう、と微笑まれて直も頬が緩む。

「これ以上冷えるようなら、暖房器具も出し直した方がよさそうだね。水川、寒くないかい?」

火野の隣で、天子の数学の教科書を横から覗いていた薫が振り返る。薫もベストを着こんだだけだが、つい、と自らの長袖シャツの袖を摘まんで示した。ああ、と火野が納得して華奢な腕を撫でる。

「下にも長袖を着てるの。じゃあ大丈夫だね」

あ、今のそういう意味だったんだ、とわかりにくい薫ジェスチャーに周囲が納得する中、火野は手元の本をテーブルに置いて薫に両手を伸ばした。

「でも僕はちょーっと寒いから、あっためてほしいなぁ」

座ったままの体勢で軽やかに浮き上がった薫は、ぽんと火野の膝の上に乗せられてしまう。本人は慣れているのか、特に驚いた様子もない。

「ふぁ!」

その一瞬を間近で拝んだ彩音がひっくり返った声を発したが、慌てて口を塞ぐと携帯をポケットから躍起になって取り出した。凛は既に携帯を開き、ショートカットでカメラを起動している。ひのみなひのみな、と動画の妨げにならないような小さな呟きが凛から漏れた。由姫は額に手をやって呆れている。
あー!と直と携帯ゲームに興じていた零は、半狂乱でソファを掻き分けていった。

「先っ輩!それやめてってずっと言ってるじゃないすか!薫をかーえーしーてー!」

「いーやーだ。いいじゃない、水川は嫌がってないし。ねー?」

「ねーじゃない!薫、ほらっ寒いなら俺があっためるから!おいで!」

「?別に、俺は寒くない」

火野先輩が寒いって言うから、と薫は火野に差し出されたチョコレートに目を奪われながらどうでもよさげだった。火野も火野で、彼は決して自分では甘いものを口にしないにも関わらず、薫と関わる日はほぼ確実に菓子を持ち歩いているのだ。
金色の包み紙をぺりぺりと剥いて。生クリーム入りの丸いミルクチョコレートを、長い指がそっと摘まむ。

「ほら、あーん」

女性誌の巻頭を飾れそうな美形の甘い微笑。促されるまま素直に口を開け、チョコレートを食む美少年。
ここは楽園かな、と彩音は中央のボタンを幾度もプッシュして泣いた。凛も手を震わせて嗚咽を漏らしていた。普段さっぱりしている凛ちゃんがこんなに狂っちゃうなんてやっぱBLって罪だなぁ、と彩音は罪深き二人を見守った。

「うーん、水川はほんとにかわいいね。懐かしいなぁ」

薫のスリッパをぽいぽいと床に放り、脚をソファへ伸ばすように体を横向きにして。火野は背中とウエストにそれぞれ腕を回して抱き込んだ。薫の平らな胸元に、ぽふっと顔を埋める。零はぐいぐいと薫を引き剥がそうともがくが、薫にぺちりと頬を叩かれて半泣きになっていた。

「なんで!浮気じゃん浮気!わかった寒い!俺が寒いからあっためてよねえ!」

「平熱が三十七度近い人に言われてもねえ」

「先輩には聞いてません!うう……なんでなの薫?俺がちゅーするのはダメでなんで先輩は―――いでででっ!」

耳たぶをぐいと引っ張られ、零が鋭い痛みに喘ぐ。薫は珍しく目をつり上げて怒りを露にした。頬の紅潮は昂った感情故か、もしくは。

「うるさい。どっか、いけ」

「うん? ああそっか、進展あったんだよね、水川。大人になったんだ。寂しいな」

ふふ、と優しく揶揄する言葉と共に、火野は薫をぽんと元の場所へ戻してやる。磁石の如く引っ付いてきた零の胸を押し返してはいるが、その抵抗を物ともせず大型犬はわふわふとご主人に絡み付くばかり。
火野はふと、薫を先程から横目で睨み続けていた天子に視線を移した。目が合った途端に、彼は教科書をわたわたと持ち直す。さすがに向きは逆ではなかった。
くすりと笑みを溢したものの、それは新しいおもちゃを見つけた子供と同じ顔だ。

「てんこも寒いの?」

「えっ…あ、………はい…」

プルプルと小刻みに震えながら、彼は欲に忠実に、口ごもって頷いてみせた。ベストどころか、ゲルニカみたいなインナーとワイシャツしか身に付けていないのだから、寒いと言うのも嘘ではないのかもしれない。凛の携帯は未だにカメラを回している。

「そう。じゃあ、はい」

どこからか持ち出した膝掛け、いやブランケットをひょいと羽織らせてやると、天子は豆鉄砲を食らった鳩よろしくぽかんとしていた。一拍置いて、何やら残念そうにブランケットの端をぐぐっと握る。

「うーん、飴と鞭」

ようやく録画を止めた凛は実に晴れ晴れとした表情だった。
と、その時。校内放送を知らせるチャイムがピンポンとスピーカーから響き出す。

『全校生徒の皆さんにお知らせします』

白峰副会長の声は、僅かに上擦っているようだ。

『只今、市の消防の方から豪雨についてご連絡を頂きました。大切なことですので、部活動を一時中断してお聞きください。また、今から帰宅する予定の方はすぐに校舎へ入って下さい』

数秒の間があって、白峰女史は続ける。

『学校付近にて、大雨による土砂崩れ、倒木が確認されました。場所はひまわり商店から五十メートル程下った先の地点です。現在消防の方で撤去作業を進めておりますので、前後の道は通行止めになります。また、周辺の道路においても土砂災害が懸念されますので、平行して安全確認を行っているとのことです。よって、倒木の撤去及び周辺の安全確認が完了するまで、全校生徒の皆さんは屋内待機となります。不要な外出を控え、部活単位、または複数人で待機をお願いします。生徒会からは以上です』

「倒木って、もしかしてあの辺かな」

「え、凛ちゃん心当たりあるの?」

放送が終わるなり、凛はうーんと腕組みをして唸った。

「帰り道にあったじゃん、工事予定の看板」

そうだっけ?と彩音は首を捻る。ああ、と天子が同調した。

「あれか。来週、土と木を支えるための壁だか何だかを作るって書いてあったやつ」

「じゃ、元から弱かったところが雨でダメになってるってことか?」

零が言うと、たぶんな、と天子も軽く頷いて返す。

「それなら少し安心…ではないのですけど、仕方ないかもしれませんわね。他の場所が安全であることを祈りましょう」

「ただ、周辺の道といっても高校に来るためのルートは結構多いからね。この辺りは木も多いし、時間はまあまあかかると見ていいんじゃないかな。みんな、おうちには連絡した方がいいよ」

火野の言葉に、がさがさと部員は一斉に電話をあさる。零も青色のシンプルな折り畳み携帯を開いて、まずは父親の携帯へ掛ける。母親は夜勤と聞いていたのだ。



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