小説 | ナノ


▼ 6.恍惚

「趣味はお菓子作りと解剖です。皆様、蛙の心臓が生身で動く場面をご覧になったことがありまして?あれは本当に不思議な動きを――」

「はーい姫君、ストップ。僕らはいいけど、慣れてない子たちは青ざめてしまうよ」

引きつった表情で両手ヘッドフォンをした直がぶるぶると震えている。そこまでのリアクションは見せずとも、化学部の面々は誰もがうっすら冷や汗を滲ませていた。生の、蛙の心臓。見たのか、このお嬢様は。彼女の唐突なグロトークに、アホじゃねぇの、と天子が横から突っ込む。火野にも優しく諭され、由姫は素直に謝罪を述べた。

「そうでしたわ。ご気分を害されてしまいましたわね、申し訳ありません」

ぱっつりと切られた黒髪を前に揺らすと、火野が続きを請け負った。

「ごめんね。でも悪く思わないであげてね、それだけ熱心ってことだよ」

「えーっとまたおんなじ質問なんですけど、先輩は由姫ちゃんを何で姫って呼ぶんすか?」

再び頭をもたげた零の疑問に、火野がテーブルに置いたままの手帳とペンを拾う。今度は『由姫』だ。

「ほら、姫でしょ?大切なご令嬢でもあるわけだし」

由姫は仄白い頬をやや膨らめて火野を睨む。

「部長が仰ると、何だか嫌味のように感じられるのですけど」

「僕はそんなつもりないけどなぁ。地衣良家が本気出したら、あの病院なんて更地にできるよね?」

「ですから、そういうところですわ。ここは学校ですのよ。家のことなど関係ありません」

「だったら尚更、部長である僕が君を何と呼ぼうと構わないんじゃない?」

火野は終始笑顔だ。こんなやり取りも、彼の中では楽しみの内、というふうに。対する由姫はまだ不満げだが、何を言っても無駄と割り切ったのか、わかりましたわと顔を背けてしまった。

「そういうわけだから、僕らの立場は気にせず気軽に声を掛けてね。さて、一応紹介は済んだけど、化学部のみんなから質問はあるかな」

はい、と凛が素早く挙手をする。

「生徒会が作ってる、部活のすすめっていう冊子があるじゃないですか。あたし全部読んだんですけど、生物部が載ってないのは何でですか?」

「さっきも言ったけど、中途半端な人に来てほしくなかったんだよ。ほら、立花だって目立ったはいいけど、女の子がわんさか来て困ったんだろう?」

「え、何でそれを……って、薫か!もー、内緒で電話すんのやめてよぉ」

薫の肩にぐりぐり額を押し当てる零を引き剥がそうとするが、脳みそスカスカのはずなのにどうしてか頭は重い。彩音と凛の瞳は依然輝いている。

「それに、僕は自分の気に入った子しか立ち入らせたくなかったんだ。先日この子たちにも言ったけどね。逆に言うと、これ以上人はいらない。僕が欲しいのはこの二人だけだよ。まぁ水川なら別だけどね」

火野が薫に流し目を送ったところで、彩音は凛にだけ聞こえる呟きを漏らした。

「ひ、の、み、な、キター」

意図せず被弾してしまった直は、悲しそうに目を萎ませてうつむく。ぎゅう、と零の腕がいきなりウエストに回ってきたので、薫は今度こそ容赦せずに空っぽな頭を叩いた。

「いだっ…もー、先輩はいつもそうやって!薫は俺のもの!ですから!」

「そんなのまだ決まってないよ、別に籍を入れてるわけじゃないし。ねぇ水川?」

「世の中には事実婚ってもんがあるんですー!」

「おや、知恵をつけたね。で、水川の同意は得ているのかな?」

ふるふる、と無情にも振られる薫の細い首。ひどい!と喚く零を無視して、火野は一年生に向き直る。

「他には?ああ、どうぞ」

「気になるんですけど、てんこ先輩はどうして生物部に入ったんですか?あっ、悪口じゃないですよ、全然!」

好奇心を湛えた彩音が慌てて顔の前で手を振ると、由姫が口許に手を当ててそっと笑っていた。吹き出した、のかもしれない。天子がひょいと体を起こして由姫を睨みつける。

「お前何笑ってんだ」

「いいえ。思い出し笑い、ですわ」

「ちっ…喋りたくねーから答えねー。別にいいだろ」

がしがしと居心地悪そうに頭を掻いた天子に、えぇ、と彩音と凛が残念そうな声を落とす。由姫も不思議そうに火野を覗き見たが、彼はいつも通り微笑むばかりだ。

「うんうん、少しはお互いのことがわかってきたかな。これからおいおい聞いていくといいよ。…それじゃ立花と――水川はいいか。直くん、だったね?てんこと三人で、荷物の搬入をやってくれないかな?僕、そういうの苦手なんだよね」

なるほど、力仕事であれば薫は除外した方が無難だ。というか、この口振りでは火野もやる気がないようである。彼はこの中で随一の長身だが、運動がキライと宣うほどには華奢寄りでもあった。
お呼びがかからなかったことに、薫は安心してまたフィナンシェをつまんだ。じっとしているのが苦手な零は、嬉しそうにすっくと立ち上がる。腕がなる、と言わんばかりだ。

「いっすよ!直、やろうぜ」

「あ、はい!何を運ぶんですか?」

「新しく購入した器具や機材が、ちょうど中央玄関に届いてると思うんだ。僕も一緒に行くよ」

行ってくるね、と甘味に夢中な薫の髪を零が撫でていく。直もリュックを置いてソファから下りた。
まだ口をへの字に曲げていた天子が億劫そうに腰を上げると、火野は小さく笑ってそっと手を伸ばす。髪の隙間をさらりと指が抜けていく感触に、天子は驚いて瞠目した。

「てんこも、手伝ってくれるよね?」

みるみるうちに赤く染まっていく頬。
凛に肘で小突かれた彩音も、その光景にぽかんと口を開ける。
狼狽に揺らめく瞳を、まっすぐに射抜いて。自らが乱した髪を、火野は優しく直すように撫で付けた。

「ね?」

「は、はい……」

わなわなと震える手をきつく握り、あらゆる棘が削ぎ落とされた声音で、天子はゆっくりと返答する。開襟したシャツから覗く首筋までもがうっすらと赤みを帯び、魅せられたように火野を見上げる様はまさに恍惚といっていい。

「うん。じゃあ、行こうか」

火野の後をふらふらと追い掛けていく天子は、彼が居室を出た辺りで我に返ったらしい。ドアを押さえながら、普段通りのしかめ面で彩音たちを威圧した。

「おい。見せもんじゃねーぞ」

バタン!と殊更乱暴に閉まるドア。
彩音はぽりぽりとクッキーを咀嚼して、複雑な表情のまま凛を振り返った。

「そういうことかぁ」

「そういうことなのねぇ」

脳筋の零が化学部というのも浮くが、それ以上に浮いていた天子の存在について、彼女らは大いに得心がいった。

「ひのてんかぁ」

「ひのてんだったのねぇ」

「逆はない?」

「ない。火野先輩のが背ぇ高かったし」

「あれってもしかして両想い?」

「いやー、違うと思うな。てんこ先輩の片想いでしょ」

「なんで?」

「両想いだったらもっと、てんこ先輩だってフワフワしてんじゃないの。水川先輩のこと時々睨んでたじゃん」

え、俺?と薫はココアクッキーを手にしたまま、自分の名が出たことに驚く。が、そのタイミングでお茶のおかわりを淹れてくれた由姫に礼を言おうと、すぐに会話からは外れ出た。

「…どう、凛ちゃん、ぶっちゃけ」

「あたしは嫌いじゃないかも。でもひのみなも見たい」

「うーん、迷うなぁ。それにしても…似てる」

「何が?」

「てんこ先輩。この前見たカンガルーに似てる」

「カンガルー?」

ポットを置いた由姫も、ソファに体を戻して彩音の話に聞き入った。

「凛ちゃん見たことある?動物園のカンガルーって、すごいやる気ないの」

春休みに家族で動物園を訪れた時のことだ。カンガルーといえばピョンピョンと軽やかに跳ぶ姿を想起させるが、実際のカンガルーは驚くほど怠惰に寝そべっていた。時折水のカップに顔を突っ込むだけで、客が来ようと全く跳びはしない。

「でもね。飼育員さんが来たら、何でかピョンピョンし始めたの」

「そりゃ餌くれるからでしょ。――え、そういうこと?火野先輩が飼育員?」

「うん、今の見てて思い出した」

「まー、あの感じだと火野先輩が跳べって言ったら跳びそうだけどね」

彩音が堪え切れずにぶふっと吹き出せば、先程から我慢していたのだろう、由姫も肩を震わせて小さく呟く。

「カンガルー……ふっ…」

「ありゃ、ゆっきーも笑ってんじゃん」

「す、すみませ……ふっ…」

「おっかしいよね、わたしもずっと笑いそうだったもん。てんこ先輩…ぷふ、恍惚カンガルーって感じ」

「あんたねぇ、本人にしばかれるわよ」

と言いつつ、うっとりとした天子の様子を思い出しては、凛も笑いに混ざらざるを得なかった。



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