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▼ 5.火野 珪太

「今日はここまで来てくれてどうもありがとう。僕の我が侭を水川が聞いてくれてね。どんな子がそちらに入部したのか気になってたから、一度会っておきたかったんだよ」

喧嘩の嵐の後の、凪のように澄んだ声音が流れる。慣れているのだろう、由姫はその間に火野の分のコーヒーを淹れていた。天子に茶を汲まないのは、彼が既に炭酸飲料らしいペットボトルをテーブルに出しているからか。
カップとソーサーが目前に置かれると、ありがとう姫、と火野が小さく礼を述べた。姫?と彩音も凛も首を傾げるが、火野を遮ることはしない。

「じゃあ早速だけど、部員の紹介を頼むよ。立花」

「はい!」

これから皆勤賞でも授与されるのかと思うほど立派な返事で、零の紹介が始まった。

「えっとまず、俺!部長の立花零です、よろしく。好きなことは体を動かすこと、とにかく運動!」

勢いのまま連ねられる単語に、はぁ?と天子が眉をひそめる。彼も彼で、皆が姿勢を正して臨む中、ひとりゆったりとカウチにもたれて脚を放っていた。

「お前、入る部活間違えてんじゃねーか」

「それいろんな人に言われるけどな、運動は部活じゃなくてもできんじゃん! 俺は運動より何より、いっちばん好きなのは薫だから!いだっ、やめて薫っ…」

きちんとした会の中で、こんな大勢へ引き合いに出された薫はたまったものじゃない。手の甲をつねられ、零は形ばかりの反省を口に、わざとらしく咳払いをして続けた。

「ともかく幼馴染が困ってんだし、俺にできることは部長になって、表で頑張ることだって思って今ここにいます!てわけで、よろしく!で、こっちが俺の幼馴染の水川薫、副部長です!はい、ひと言どーぞ」

「えっ…」

急にバトンを手渡された薫は困惑して周りを見回し、唇をそっと噛んで、僅かに開いた。

「みっ……水川、薫です…。好きなことは、化学。……よろしく…」

「と、こんなふうに人見知りだけど、人が嫌いなわけじゃないからお話ししてやって下さい!ね?」

息の合ったフォローに何度も頷き、薫はほっとした様子でぽふんとソファに背を預ける。

「じゃ、新しく入った子を紹介します。まずは彩音ちゃん。ひと言どうぞ!」

「こっこんにちは、結城彩音です。好きなことは、食べること!化学にはあんまり自信ないですけど、これから覚えるのでよろしくお願いします」

緊張しきった彩音の台詞へ、火野が穏やかに口を開いた。

「君たちは自分の力で水川の試験を突破してきたんだから、少なくとも君の先輩たちは認めてると思うし、自信だって持っていいんだよ」

「はい…」

自身曰く最高の攻めキャラからのありがたいお言葉に、彩音はじんと胸が熱くなる。どういう心境かはその萌えを経験した者にしかわからない。

「よし、次は凛ちゃん。どーぞっ」

「光坂凛です。私は運動部だったんですけど、高校はいろんな部活があるから今度は文化部にしようって決めてました。理科も好きだし、化学部は零先輩も水川先輩も優しく教えてくれて、やっていけそうだなって思えたので。よろしくお願いします」

凛は面接のように淀みなく話し終え、波打つ髪を揺らして頭を下げた。水川から聞いたけど、と火野がそれに応える。

「試験はかなりいい得点だったそうだね。難しく作った問題もちゃんとできてたって、水川もいたく褒めてたよ。ね?」

返答を促され、薫も凛に向き直ってこくりと頷く。ありがとうございます、と凛も二人に笑みを向けた。

「じゃ、最後は直な」

「は、はい!神沼直です。零先輩や水川先輩とは、同じ中学でした。おれも、その…自信は持てない、んですけど…先輩たちに教わって、頑張ろうって思います。よろしくお願いします!」

彩音より遥かに緊張を湛えた瞳がやや潤み、丸い頬も紅潮している。ふふ、と火野は小さく笑った。

「君のことも聞いてるよ。頑張り屋さんなんだろう? じゃあ大丈夫だよ、心配しないで」

「は、はいっ」

直はきつく両目をつむって叫び、それからふうっと脱力して背を屈めた。さて、と火野は視野を全員に広げる。

「じゃあ生物部を紹介しようか。僕は部長の火野珪太。聖慶総合病院の息子だよ」

わぁ、と途端にどよめく化学部の一年生。
聖慶総合病院は、蓮華高校から坂を下った先の駅から徒歩で十五分ほどの、市街にある大病院だ。市内では二、三番目の規模だが、それでも個人病院としては相当の知名度を誇っている。そんな病院の子息と言われれば、なるほど彼の落ち着きにも少し得心がいく。

「立花や水川から聞いていると思うけど、去年は化学部に所属してたんだよ。でもまぁ、幼い頃から医学書に囲まれて育ったようなものだからね。化学は二人に任せて、バイオ系の研究をするために今年生物部を設立したんだ」

「先輩、今だから訊きますけど…もし誰も部員来なかったらどうしてたんすか? 最低三人いないと部活申請できないし…」

零の遠慮のない質問に、むっとする天子の肩をぽんぽんとなだめ、火野は続ける。

「その時はもちろん、立花と水川の名前を拝借しようと思ってたよ。僕はひとりでも構わなかったし、自分の外面だけの情報に釣られてくる人のほうが厄介だったから」

もしかしたら由姫も同じような経験があるのかもしれないが、この容姿にあの家柄とあっては、無闇に近づいてくる人間を警戒するのは当然だろう。

「僕のことはそんな感じでいいよね。じゃあ、てんこ」

一瞬、火野が何を言ったのかわからなかった者がほとんどだろう。恐らく指名だろうと皆が予測すれば、天子がのっそりと上体を起こした。

「天子竣。お前らと仲良くする気はねーけど、名前くらい知らねーと後々面倒だから覚えといてやるよ」

「……えーっと、先輩」

天子の気怠げな自己紹介が終わるのを待って、零がおずおずと火野に尋ねた。

「何でこいつが『てんこ』なんですか?」

「おいテメー何軽々しく呼んでんだ」

となると、やはり彼がてんこらしい。零の疑問はもっともだ。
火野はジャケットの胸ポケットから生徒手帳とボールペンを取り出し、さらさらと適当なページに『天子』と書き付けた。

「あまこって、漢字でこう書くの。だから、てんこのほうが呼びやすいかなって」

「そっか。よろしくな、てんこ!」

「ぁあ?」

当の天子は眉をつり上げ、眼光鋭く零を睨み付けるが、零はどこ吹く風といった調子だ。てんこ、と薫の確認するような声も聞こえた。これでいいのか、というふうにこてんと首を傾げる薫。

「よろしく」

「だからお前らには呼ばせ――」

「てんこ先輩よろしくお願いしまーす」

苦言を凛の明るい声が遮ると、ここぞとばかりに彩音も続く。直だけがタイミングに乗れずにスタートを切れなかったものの、天子、いやてんこは舌打ちをしてそっぽを向いてしまった。了承ととっていいのだろう。火野が付け加える。

「うんうん、仲良くしてあげてね。根はとってもいい子なんだよ」

ちらり、と天子の目が僅かに横へ動き、火野を見やってまた元に戻る。反論したかったのか、本心故の台詞とわかって諦めたのか。彼はまた、カウチにぼすんと背中を沈ませた。

「さて。じゃあ姫、どうぞ」

「はい。ご紹介に与りました、地衣良由姫ですわ。先程と重複致しますけど、ご承知おき下さいませ。私は地衣良財閥のひとり娘で、東櫻から進学致しました」

「東櫻!ふわー、名門じゃん」

「そうなの?」

「そうなのってあんた、有名でしょ」

東櫻は市の南部に位置し、初等部から高等部までの一貫教育を行っている私立校である。所謂エスカレーター式だ。
初等部にも入学試験があり、要求される学力は極めて高い。創立されて二十年と間もないが、高等部からT大進学者が出る日も近いと評判だ。学力向上も侭ならぬ県立の蓮華高校とは天と地ほどの差がある。何故由姫が好き好んで県立へ進んだのかは少々理解し難い。
由姫は続けた。



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