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▼ 4.天子 竣

「あ、思い出した!なんかさっきから見たことあるなーって思っててさ」

「そうなの?凛ちゃん」

彼女、由姫の名を耳にした凛は、自らの華奢な膝をぽんと叩く。

「新入生代表挨拶!入学式で見たんだ。でしょ?」

「はい。確かに私は新入生代表を拝命しました」

て、ことは、とフィナンシェに夢中だった薫がぬっと顔を上げる。スイーツをこしらえる腕にも尊敬の念が生まれたが、彼女はそれだけではないのだ。

「入試の得点が、一番ってこと…」

「そっか!へえー、すごいな由姫ちゃん」

「えっ……あ、は、はい…」

薫の言葉を受け、零が素直な称賛を送ると、由姫は白い頬をほんのりと赤らめてはにかんだ。おや、と彩音も凛もその反応に目を留める。

「あっ、名前急に呼ぶの、ダメだった?ごめんな」

普段恐ろしく空気を読まない零も、女の子が相手ならそれなりに気が回るらしい。瞬間、由姫は勢いよく立ち上がった。化学部の面々も、びくっとしてソファの背もたれに密着する。

「そ、そんなことありませんわ!あ……す、すみません」

しおしおと項垂れるように座って、

「その…お好きなように、お呼び下さいな」

「凛ちゃん、これはまさか」

「まさかかもね」

一縷の可能性に気づいた彩音が耳元で囁くと、凛も由姫を窺いながら頷いた。

「『地衣良』さんってことは、もしかしてあの、お金持ちの…?」

己の記憶を手繰り寄せて、直もおずおずと由姫へ尋ねる。その手は小刻みに震えていた。

「はい。と、自分で言うのもおかしな話ですれども。私は地衣良財閥のひとり娘ですわ」

「や、やっぱり!ううわぁ、何か失礼してたらごめんなさいごめんなさいっ神沼直です!」

「いえ、ここは学校ですもの。私がどんな立場であろうと、同期生として接して下さいな」

考えてみれば、財閥の令嬢たる由姫がここまでホスト側で尽くしてくれているのも化学部だからこそだ。名字に胡座をかくような成金とは格が違うのだろう。恐れ多くも変に畏まらず、ひとりの女の子として見られる方が本人も気楽なのかもしれない。
彩音と凛がソファの背もたれを離れ、由姫の方へ身を乗り出した。

「よろしくね、由姫ちゃん。わたし、結城彩音」

「あたしは光坂凛」

「結城さんと、光坂さんですね。それと、神沼くん」

ううん、と彩音も凛も、そして直も、きゅっと強い眼差しで首を横に振る。まあ、と口許に手をやった由姫は少し圧倒された。

「あたしは凛。で、こっちは彩音。で、こっちは直。おっけー?」

「あら……ふふ。そうでしたわ。では、彩音ちゃん、凛ちゃん、直くん、ですわね」

いえーい、と彩音のハイタッチに応える由姫は、愛想ではなく生来の上品な笑みを浮かべていた。よろしく由姫ちゃん、と直も照れながら応じる。
異物蠢く部屋に和やかな空気が流れた、その時。ガタン、と外からきつい物音がした。恐らく、準備室のドアを窓側の壁にぶつけた音だろう。由姫はさっと眉間に皺を寄せてドアへ闊歩していく。

「え、今の、何だ?」

零がちらちらと部屋の外を見やるが、こちらのドアに窓はない。誰か来たんだろ、とほっぺにフィナンシェの欠片をくっつけた薫が目で由姫を追う。
コンコンと、打って変わって穏やかなノックが部屋の外から聞こえた。どうぞ、と由姫が棘のある声で返答する。そしてまた、乱暴に開くドア。

「んだよ、お前か。って…こいつらもう来てんのかよ」

ショルダーバッグを肩に引っかけた男子生徒は、つり上がった目でぐるりと化学部を見回してからフンと鼻を鳴らした。ワイシャツのボタンはやはりひとつも留められず、派手な色のインナーが上半身のメインと化している。蓮華高校、つまり一応の進学校ではなかなかお目見えできぬ彼の出で立ちに、化学部は唖然とした。由姫は流麗な眉をキッと上げて立ち向かう。

「お客様に向かって失礼ですわ。それと、ドアは静かに開けて下さいと再三申しておりますけれど」

「ああ?何でお前の忠告なんか聞くんだよバカじゃねーの」

めんどくせえ、とざっくりした髪を掻きながら、彼はカウチに荷物を放ってさっさと上体も預けた。一瞬、ここが彼の城なのではと思うほどには自由人である。世間の基準はいざ知らず、平和な蓮華高校ではまず不良の分類に括られるだろう彼を、一番近くの直がぶるぶると怯えつつ凝視している。
何事にも几帳面でありそうな由姫が、文句を連ねたくなるのも仕方ないタイプと言えるか。彼女は罵詈雑言にも屈せず説き続ける。

「私の忠告など先輩は気にもなさらないでしょうけど、私たちの言動は私たちの、ひいては火野部長の責任になりますのよ」

火野の名が出ると、ぴくり、と彼も僅かに反応を示した。ため息と共に長い脚を組み替え、チッと忌々しげに舌を打つ。

「うるせーな、火野先輩は関係ねーだろ。つーかお前こそ仰々しく毎朝送られてくんじゃねーよ、悪目立ちしやがって」

「話を逸らさないで下さいな。私は車も正門より遠くに止めていますし、近隣にもできる限り配慮しておりますわ。部長も認めて下さってますの」

「はぁ?誇らしげに言ってんじゃねーよ、お嬢様ぶりたくねーなら堂々と歩いて来いっつってんだ」

令嬢vs不良の丁々発止の口喧嘩は終わらない。止めたほうがいいのかな、と困惑した彩音が視線をさまよわせると、大丈夫、と零がこの場の空気にそぐわぬ、のんびりした声で彩音をなだめた。

「俺、ちっさい弟と妹がいるんだけどさ。喧嘩する時、まんまこんな感じなんだ。おにーちゃん返してよ、うるせーお前が取っ返すからだろ、とか。な、薫?」

「ん。一樹と、ふたばちゃんに似てる」

薫もうんうんと頷いて兄妹喧嘩を眺めている。ボキャブラリの多さは違えど、口調や展開は零の弟妹と似たりよったりだ。たびたび立花家を訪問する薫は幾度となく目の当たりにしてきたので、そう考えるとこれも仲良しの儀式みたいなものかもしれない。
呑気な部長と副部長は途端に微笑ましい眼差しを向け出したが、一年生はそうもいかない。直が半泣きで遠ざかろうとするので、彩音も凛も逆側にぐいと身を寄せる羽目になる。

「この際ですけど、先輩こそ――」

「ぐちゃぐちゃ言うんじゃねーよ、てめーが――」

不意に、パタン、と外のドアの閉まる音が静かに鼓膜を揺らし、薫はふと、背後の扉を振り返る。――間違いない、この気配は。薫はついっと零の袖を引いた。

「零、来た」

「え?来たって――」

零が口を開いた瞬間、部室のドアがゆっくりと開閉した。耳に届くはやや低い、落ち着いた声音。

「廊下まで声が聞こえてるよ、二人とも」

穏やかながらもたしなめる言葉に、はっと彼らは驚いて口をつぐむ。入室した彼は、眼鏡の奥から優しい瞳を疑似兄妹へ向けた。

「喧嘩もいいけど、お客さんに笑われちゃうからね。まずは座ろうか」

「…! あー!」

その彼を両の目に収めた彩音が驚嘆の声を上げるが、慌てて口許を手のひらで塞ぐ。おや、と彼は彩音に目をやって微笑んだ。

「化学部だったんだね。よろしく」

「彩音彩音、もしかして、さっき言ってた人って」

こくこく、と小刻みに頭を振って見せる彩音に、凛はこっそりとハイタッチを交わした。これぞ逸材、よくやったとの意味を込めて。

「火野先輩、久しぶりっすね」

零がにっと笑って言葉を掛ける。火野は零と薫と――特に薫と、長めに視線を合わせた。

「そうだねぇ、ちゃんと会うのは一か月ぶりかな。立花も水川も元気そうでよかった」

火野は奥のデスクではなく、由姫の横のソファに腰を下ろして化学部の面々を見渡す。
興奮した彩音が実験室で捲し立てていた通り、彼は造形の整った理知的な顔立ちだ。加えて長身とくれば、女性には事欠かないに違いない。もっとも、彩音も凛も彼と女性の絡みを根掘り葉掘り聞きたいわけではなかったが。
右に由姫、左に天子を従えて。部長はにっこりと笑いかける。

「じゃあ、改めて。新生化学部のみんな、我が生物部へようこそ」



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