小説 | ナノ


▼ 1.合格

「どう?薫」

先程から解答用紙に赤ペンを滑らせていた薫は、トントンと三枚の用紙を揃えてから各々の名前を呼んだ。

「彩音ちゃん」

「はい!」

採点の間、別の実験台で一年生は待機していたが、まずは彩音が緊張した面持ちで前に進み出る。ごくり、と唾を呑み込むと、合わせて小さな頭が前に傾ぐ。

「八十七点。合格」

「やったぁ!ありがとうございます!」

厳かに言い渡された得点は、ボーダーラインを七点越えている。受け取った解答用紙を手に、彩音は満面の笑顔でその場をくるりと回った。

「次、凛ちゃん」

「はい」

彩音と入れ違いに、凛がつかつかと実験台へ向かう。すれ違い様、彩音に手を伸ばしてハイタッチするのも忘れない。

「九十五点。合格」

「ありがとうございます」

さすが凛ちゃん、と彩音の嬉しそうな声を背に、凛はしっかりと、努力の結晶を両手に受けた。直は試験終了からずっと小刻みに震えている。

「最後。直」

「は、はい!」

行ってこい、と零にやや強めに背中を叩かれてよろめきそうになりながらも、直は一歩一歩を踏みしめていく。この一週間、本当に頑張って勉強した。不明点は勇気を出して薫に尋ね、復習のみならず高校理科の予習までした。ひたむきな努力は零だって認めてくれている。大丈夫、大丈夫だ。
薫はじっと解答用紙を見つめ、首をちょっとだけ捻った。

「零点」

「へ」

「名前。書いてない」

ほら、と掲げられた解答用紙は、氏名欄が空白のままだった。さーっと血の気の引いていく音が全身を粟立たせる。

「うそおおおお!」

「ちょっ、薫!さすがにそれは…」

確かに公式の試験であれば零点でもおかしくない致命的なミスなのだが、この場ではあまりにも酷な判決だ。直の視界が滲んでいく。

「……今回は、特別にする」

零が庇い立てるのは納得いかない点であるが、この試験にそこまでの拘束力はない。やる気を試す度合いとしては十分見られるものがあっただろう。

「八十五点。合格」

「ほ、ほんとですか!ありがとうございますっ!次はちゃんと名前書きます!」

次があるか否かはいざ知らず、三人の一年生は無事に入部試験を突破した。それぞれから安堵の息が漏れる。

「よかったぁ」

「ほんと。八十点以上って聞いた時は焦ったけど」

「怖かった……」

「お疲れ!これ、俺と薫からのお祝いな。ちょっとだけど」

じゃーん、と零が冷蔵庫から取り出してきたのは白い箱。取っ手の形が特徴的だ。とくれば、中身はあれしかない。

「もしかしてケーキ…?」

「その通り。はい!」

実験台の真ん中でぱかっと箱を開ければ、フルーツたっぷりのタルトや装飾に凝ったチョコレートケーキ、旬のいちごを使ったロールケーキなど、色とりどりのカットケーキが五つ収められていた。新入生たちから歓声が上がる。薫はいそいそと紙コップに紅茶を用意し始めた。

「みんな頑張ったからな、入部祝い――って、俺たちが祝うのも何か変だけど、これからよろしくってことで。ほら、選んで選んで」

「じゃあ、わたしチョコ」

「あたしはミルフィーユにしよっかな。直は?」

「えっと、これって何?」

「レアチーズじゃない?」

「チーズ?じゃ、これにする」

夕方の実験室で、五人の祝賀会がささやかにとり行われる。 失点した問題は後で個別に説明すると言い、薫も心なしかうきうきした様子でタルトを手にした。

「頂きます」

「「頂きまーす!」」

思い思いにケーキをつつきながら温かい紅茶を口にすると、試験の疲労はあっという間に消し飛んでいく。ん、そうだ、と零は口の中をいったん整理して、手元のクリアファイルから用紙を三枚取り出す。

「これ、入部届。俺と薫と先生のところはもう書いてあるから、あとはみんなの名前書いて。判子もな。食べてからでいいよ」

「この届っていつまでに出すんだっけ」

チョコレートケーキをあっさり胃に収めた彩音は、特徴的な丸字を記入しながら凛に尋ねる。

「あたしたちが出すのは今日まで。各部の部長に提出ってことになってたはず。で、部長は…」

「明日の放課後に部活総会っていうのがあって、部長と副部長は放課後集まるんだ。そこで、人数分の届をまとめて生徒会に出すことになってる。えーと、場所どこだっけか」

「選択B」

薫は短く言って、フルーツタルトのオレンジにプラスチックフォークを突き立てる。そうそう、と零が頷いた。

「選択教室Bか。んー、たぶんそんなに時間は食わないと思うから、いつも通りここに集まって待っててくれる?」

「はーい」

明日は、記念すべき初日の部活動。どんなことをするのかと、ふと直が口に出してみると。
零はそっと横目で薫を窺った。どことなく、視線に険しさが感じられる。

「薫、明日行くの?」

「行く」

「んー、そう」

「……なんだ」

零はややつまらなさそうにかぶりを振り、堪えきれなくなったのか、ケーキそっちのけで隣の薫を勢いよく抱き締める。おお、と女子二人の瞳がらんらんと輝いた。

「行きたくないー!てかずるい、そうやって内緒で連絡取ったりして!浮気だ浮気!いて!」

「浮気……?」

さっぱり話が見えない新入生たちが顔を見合わせると、薫は尚もぐずる零を引き剥がしてから告げた。

「明日は、生物部に行く」

「へ?生物…部?」

生徒会発行の『部活動のすすめ』を隅から隅まで読んだ凛でさえ、そんなのあったっけ、と疑問を呈した程だ。後から知るのだが、何と公式冊子にも関わらず、生物部は詳細どころか名前さえ載っていないのであった。
零がようやっと落ち着いて補足する。

「実は、生物部っていうのは今年できた部活なんだ。部活申請すれば部活は作れるんだけど、今年生物部を作った人は、去年この化学部を作った人でもあるんだよ」

「ええ!化学部って最近できたんですか!」

蓮華高校がそもそも百年以上の歴史を持つ伝統校であるせいか、マイナーな部活動であってもある程度の年数を経ているような気がしていたのだ。薫はゆっくりと首を横に振る。

「できたのは、かなり前。でも、流行り廃りがあって、復活したり廃部になったり…の繰り返しだった。それを去年、復活させたのが火野先輩」

「先輩ってことは三年生ですよね?」

「うん。で、俺と薫が入学した年、つまり去年、化学部に俺たちを迎え入れてくれて、今年は生物部作るからよろしく、って感じで俺たちに化学部を託していった」

なるほど、と一年生は一応納得してみせたものの、まだ疑問は多く残っている。
その火野とやらは何故、廃部の危機を知りながら零と薫に化学部を任せたのか。また、火野自身も何故いきなり生物部を作ると言い出したのか。いや、作りたいだけと言われたら、そうですかと答えるしかないのだが。
うーん、と零も首を捻る。

「よくわかんないんだ、俺も。変わった人っていうか、不思議な人だよな」

「優しい」

「薫には優しいじゃん。甘やかすのが好きでさ、膝の上でお菓子あーんしたり、何かあると薫に電話してきたり。俺だって火野先輩は普通に好きだけど、そういうとこはやだ」

「ひ、膝の…上……?」

理解不能な直の表情が凝り固まっていく中、えらく興奮して少々息の荒くなった凛はおずおずと問い掛ける。

「あの……男性ですよね?」

「火野先輩?うん、男」

がし、と実験台の下で彩音との熱い握手が交わされる。そうだ、ルックス。話だけなら萌えだが、何よりも大切なのは外見だ。薫につり合うレベルがそうそういるのだろうか。

「かっこいいですか?」

彩音の直球の質問に、何を訝ったか、多大なショックを受けた直がフォーク片手に絶句する。うん、と零は素直に頷き、薫にも同意を求めた。

「な?」

「ん。かっこいいと思う」

「俺は?俺のことは?ね?」

よほど火野の存在に危機感を覚えるのか、零がいかに彼を意識しているのかは伝わった。話が逸れちゃったけど、と薫はまた零を剥がして向き直る。

「火野先輩が、化学部に新しく入った部員を見たいって言ってて。生物部にも入部した人がいるし、顔合わせしようって約束したから、明日は生物部に行こう」

「凛ちゃん、これは新たな修羅場、いや、萌えの予感だよ」

「今日は早く寝るわよ。ひのみなに期待」

「ひのみな!いい響き!零薫もいいけどね!」

化学部へ無事に入部した直の最大の誤算と言えば、この可愛らしい彩音が凛と同胞であったことだろうか。彼はこの一週間で薄々感じていた気配を、ここで確かなものに位置付けた。



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