小説 | ナノ


▼ 14.それぞれの思い

ずるるる、と勢いよく麺を啜る音が二人分、交互に聞こえる。夕日の落ちかけた実験室では、小腹をすかせた部員たちが思い思いに軽食(本人にとって)を口にしていた。

「んー、うまい。味噌バターコーンはやっぱ間違いないな」

「ですねえ」

ひまわり商店で購入したカップ麺は、先程水を入れたティファールを再度利用してラーメンへと変貌していた。顔ほどもありそうな大きさの容器を、零と彩音はがっつりと抱え込まんばかりに覆っている。
薫は零がついでに買ったシナモンロールをちみちみとかじっていた。夕飯が入らなくなるからちょっとだけ、と零に忠告されたことが気に入らないのか、単に忘れているのか、そろそろ半分に達しそうだ。
凛は携帯食らしい玄米ブランを、直は彩音にほとんど貪られながらも何とか残っていたバームロールをもらうことにした。

「いつも、こんな感じなんですか?先輩」

直が物珍しそうにきょろきょろ周りを見回す。

「ん?ああ。どうやってもこの時間って腹減るしな。もちろん、薫に実験任せきりにはしないけど。けど、薫は『自分が好きでやってるからほっといていい』って言うし。ほっときたくないよぉ〜、いててっ」

「うるさい」

シナモンロールをいったんキムワイプの上に置いてから、薫はぐるっと一年生それぞれの顔貌を見ていく。少し前まで零と二人きりでいるのが当たり前だった空間に、慣れない顔が三つもあるのだ。
不思議だ。正直、部員を集めることにそこまで積極的でなかった薫は、このままでいいから廃部も致し方ないという気持ちと、部の存続と化学の楽しさを広めるために頑張りたい気持ちの両方が常に拮抗していた。

でも、今は少し違う。
どこにいたって零は零で、自分は自分。完全でないものがいくつも複雑に絡み合って出来上がったのが人間で、その人間たちが様々な場面で触れ合うのもぶつかり合うのもまた、世界における化学反応の一種なのだ。
ひとりきり、ふたりきりで、居心地のいい檻に閉じこもっていることが、化学だと言えるだろうか。

「見学、来てくれて、ありがとう」

ぽんと薄茶の頭を落として、薫はゆっくりと自分の思いを口にする。

「俺は、化学しか頭になくて、話していてもあんまり楽しくなかったかもしれない、けど。少しでも、興味を持ってもらえたら、嬉しい」

ちらりと横を向くと、やや驚いた様子の零と目が合う。零は声に出さず、続けて、と言うように笑いかけてくれた。

「部活としては全然有名じゃないし、もっと活躍できるところも、あると思う。でも、その……よかったら、考えてほしい。化学の宿題とか、教えるから…」

ぷ、と零が隣で吹き出すのがわかった。

「そーんな頼りなさげにしちゃだめだろ、先輩。アピールはちゃんとしなきゃ」

でも頑張ったなぁ、と零は自分のことのように嬉しげに笑って、薫の髪をくしゃりと撫でた。薫もこの時ばかりはむうと恥ずかしそうに唇を結んだままだ。どん、と凛の肘で小突かれた彩音は、萌えに同意するべく軽く小突き返した。

「お礼言うのはあたしたちですよ。水川先輩、ありがとうございました。ね、彩音」

「うんうん。(萌えを)ありがとうございます」

「お、おれも。ありがとうございました。えっと、やっていけそうだなって思います。覚えが悪いかもですけど」

あれ、そういえばと零が薫に向き直る。

「どうすんの?テストはやるのか?」

「……やる」

直が口許だけで悲鳴を上げる。彩音もごくりと唾を飲み込んだ。

「でも、簡単にする。器具の取扱いとか、中学までの理科の内容で、復習しておけば大丈夫なものにする」

「あたしは賛成です。基本的なことがわからないと実験するにも危険だし、先輩方はモテるから、ふるいにかけたほうがいいと思います」

凛が毅然と放った、先輩方、の『方』に薫は引っ掛かりを覚えたが、確かに零だけモテるなんて言いにくいよな、と違う方面で納得した。自分への好意には恐ろしく鈍感であり、零のような直接的な言葉がないと自覚できない薫であった。

「そうだよね。初日だって女の子すごかったし、テストやめるって言ったらまた来るかも」

「こんな可愛い薫見たら、悪い奴が寄ってくるしなぁ。必要かな、やっぱり」

余計なことを言うな、と薫は実験台の下で零の足を踏みつける。

「もし、入部したいと思ってくれるなら、テスト勉強も手伝うし、模擬試験もする、から。よ、よろしく」

再び垣間見えた薫の後頭部に、彩音と凜はふたり、顔を見合わせてからにっと口角を上げた。答はだいぶ前から決めていたのだ。

「「入部します」」

「えっ」

薫がぱっと上体を起こして、長い睫毛を何度も揺らす。愛らしい唇は僅かに開いたままだ。

「もう先週決めてたんです。他に見て回って、心惹かれるものがなかったら入ろうって。あたしも彩音も各自でいろいろ見て、大丈夫って思いました。先輩たちも優しくて、頑張れそうだなって」

「わたしも。化学には自信ないですけど、凛ちゃんもいるし、頑張ろうって思います。水川先輩とお菓子食べるの、楽しみにしてます」

「あっあの、おれも」

慌てた直が彩音の後にすかさず滑り込み、今日一番の明瞭な声を発する。

「入部、したいと思います。でも、彩音ちゃんと凛を見てて、おれはまだ真剣に悩んでなかったんだって気づきました。…だから、通わせて下さい。他の部活もきちんと体験して、理科の勉強もして、その上でやりたいことを決めます。迷惑、絶対かけます。でもごめんなさい、頑張ります」

「おう!いつでも待ってるからな。お前は昔から努力するの得意だし、心配すんなよ」

ばん、とやや強めに背を叩かれた直はよろめくが、威勢のいい先輩の言葉に、ほっと安堵の表情を浮かべた。

「ん、薫?」

薫がしばらく沈黙を貫いていたせいか、零は腰を屈めて幼馴染の顔を覗き込む。
天使はそっと微笑んでいた。期待を湛えた茶色の瞳を、ほんの少しだけ潤ませて。三人は息を呑む。

「…ありがと」

紛れもなく本心からの言葉は、実験室の福音となって各々の心に小さく響いた。

◆◇◆

ブブブ、と内ポケットの振動に気づき、専門書にそっと栞を挟んでから携帯を取り出す。開いてメール画面を確認した彼は、ふ、と唇の形だけで笑った。

「予定は五人、ね。新入生は三人だ」

「何のことですの?」

ひとり掛けのソファで大人しく文庫本を読んでいた女子生徒は、不意を打った台詞に細い首をかくんと揺らした。艶やかな黒髪が片方の肩を覆う。

「化学部からの定期報告。まだ予定らしいけど、意外と多いね」

「まぁ。私たちも勧誘したほうがよろしいのかしら」

「やってられっかよ」

片耳にイヤホンを突っ込んだまま、カウチで怠惰に単語帳をめくっていた男子生徒が隙を与えず切り込む。指定シャツのボタンはひとつも留められておらず、赤地に髑髏がプリントされたTシャツが露わだ。

「人数ばっかいても仕方ねーだろ。つーかお前もいらねーし」

「私が不要か必要かは先輩が決めることではありませんのよ」

「ああ?んだとテメー」

「こらこら。喧嘩はダメだよ」

風の揺らぎの如く穏やかな声にたしなめられ、二人はむっとした顔を突き合わせたまま口をつぐむ。さながら兄妹のようだ。やや低い声が続ける。

「化学部は入部にあたって試験を課すそうだけど、我が部はどうする?」

「私は今からでも構いませんわ」

「俺も」

おや、と彼は嬉しそうに笑みを浮かべ、眼鏡の奥でそれぞれの強い意志を感じ取る。

「やる気は十分だね。まぁ、冗談なんだけど」

「冗談ならよして下さいな」

「ごめんごめん。試験ならもうやったでしょ」

え?と二人は確認し合うように視線をかち合わせたが、どちらの記憶にも共通したものはなかった。

「だって僕、自分が気に入った人じゃなきゃ入部させないって決めてたし」

「それが試験ですの?部長のお眼鏡に適うということが」

「そうだよ。君たちが揃ってくれたんだし、僕はもう他に欲しいものないなぁ」

うぐおおぉ、と歓喜に呻きながら男子生徒がカウチで悶絶するのを眺めつつ、彼女はため息をついた。

「ご満足頂けたのなら、よいのですけど」

「光栄だよ姫。さて……あと一週間もないね。どんな子たちか楽しみだ」

姫と呼ばれた女子生徒が、あら、と意外そうに彼を横目で見やった。

「ご存じないのですわね。てっきり、偵察でもしていらしたのかと思いましたわ」

「顔合わせしようって、水川と約束したんだ。だから待つことにしたの。びっくり箱って、正面から堂々と開けた方が楽しいでしょ」



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