小説 | ナノ


▼ 13.集結

「初めまして、わたし結城彩音。八組だよ。直くんは?」

「おれは六組。あ、彩音ちゃん、でいい?」

いいよー、と彩音がほんのり笑えば、柔らかそうな両頬にぽこんとえくぼができる。もうそれすら可愛い。直は少し、いや相当舞い上がっていた。憧れの先輩の部活に招待してもらった上、可愛い女の子と会話までできるなんて。彩音は薫に出してもらったバームロールを遠慮なくかじっていた。

「直くんは零先輩の後輩なんだよね?」

「うん。先輩とは同じ中学で、バレー部に誘ってもらって続けてたんだけど、バレーが特に好きってわけじゃなくて。中学だとあんまり選択肢もなかったからかな。もともと、先輩みたいに運動大好きってわけじゃないんだ。あっでも、体力落ちちゃうから今も少しずつ走ってるよ」

すごい、すごいぞ。女の子とこんなに自然に喋れる自分がいたとは、直も正直びっくりである。いや、自分がすごいのではない。彩音のふんわりした雰囲気が舌の回転を滑らかにしているのだろう。気負って話そうとしなくていい、そんなふうに言われている気がした。自分はこういう子が理想のタイプなのかと、高校生にして新たな発見ができた。
零と薫がまた実験の準備で奥に引っ込んでしまったので、彩音と直はそれらが整うのを待ちながら、のんびりとプロフィールを交換していた。

「彩音ちゃんは二度目なんだね」

「先週、友達と来たんだよ。いろんな色のカプセル作って、瓶詰めにしたの。楽しかったし、わたしはもう決めちゃってもいいかなーって思ってて」

彩音の心境としては、入部がかなり濃厚らしい。零がいる準備室のドアに目をやって、直も頷く。

「おれも、そうしようかな。まだ迷ってるけど」

薫は懸念すべき人間だが、零の方は快く入部を迎えてくれるだろう。彩音とも仲良くなれるかもしれない。これで化学の点数が上がれば言うことなしだ。
一方の彩音は、会話を続けながら直をじっと窺っていた。

(直くん、零先輩のこと好きなんだなぁ。うんうん、だから水川先輩、嫌そうな顔してたんだ。ふふ)

先程の軽い修羅場を耳にしながら、零の背後で彩音は凛宛のメールを打っていた。

『件名 修羅場
化学部にいるよ。
今、零先輩に憧れてる一年生が来てる。
水川先輩、むっとしてる。かわいいけど(笑)
わたしは今日、見学していくよ』

一分もしないうちに返事が届く。

『件名 Re:修羅場
いつの間に!
わかった、購買部寄ってからすぐ行く。
遅れたらごめん』

(早く来ないかな、凛ちゃん)

口をきゅっと結んでいた薫も非常にプリティだったが、その前の、嫌悪感剥き出しの表情も悪くなかった。零を慕う後輩の存在がよほど目障りなのだろう。気弱な彼と言葉を交わしつつ、彩音は実験室の入口を時々盗み見る。
零と薫が中央の実験台で器具を並べ始めた頃、膝上まで露になった細い脚を繰って、凛が廊下から駆けてくるのが見えた。彩音はぽんと腰を上げて手を振る。

「凛ちゃん!」

「?……ああ!凛!」

彩音の目線を追った直は、弾かれたように席を立って名前を叫んだ。その声にふっと顔を上げた凛もまた、目を丸くして直を見つめる。

「え、直!?うわー、久しぶりじゃん」

突然の再会に、凜は笑いながらスクールバッグを揺らして近づいてきた。彩音は二人を交互に見やって、どちらにともなく尋ねる。

「知り合いなの…?」

「そ。幼馴染ってわけじゃないけど、昔から知ってるんだ。親同士の勤め先が一緒だったから、年二回くらい、たまーに遊んでた。なんだ、あんたも蓮華に来てたの。てっきり落ちたのかと思った」

「お、落ちたってなんだよ。そりゃ、おれはそんなに…頭良くなかったけど」

最後に凛を見たのは去年の夏辺りだろうか。中学は別だったが、彼女はその頃から蓮華を志望しており、合格すればまた会うだろうと話していたのだが。確かにその時も、本当に受かるのかと訝しげに尋ねられた覚えがある。
あーびっくりしたわ、と実感たっぷりに、凛はバッグを肩からどすんと引き下ろした。

「まさかねー、こんなとこで会うなんて。…ああ!もしかしてあれなの?あんたが中学の時によく言ってた、憧れてる先輩って零先輩?」

「うん…」

零と薫に聞こえていないことを目で確認しつつ、おずおずと直が頷く。ぐるん、と凜は首を無理やり捻って彩音の目をしっかりと見据えた。

「てことは、修羅場ってそういうこと?」

「そういうこと!」

彩音は相変わらずにこにこしたまま、また新しいバームロールの個包装を豪快に破った。



「実験の見映えっていう点からすると、まぁまぁいいんじゃん?」

「ん」

頷いて、薫はポリアクリル酸ナトリウムを薬匙で二回すくってビーカーへと入れる。粉体ほど粒は小さくないが、白色固体の高分子はさらさらとしていた。ビーカーの底に五ミリほど堆積した物質に、三人の視線が注がれる。

「じゃーん。ここに水を入れます」

普段茶を淹れる時に使うティファールへ、零が水道から水を汲む。といってもそれほど大量ではない。せいぜい三百ccか。別に茶のためではないので、沸かさずそのまま使うようだ。

「この水を、このビーカーへ注ぐ」

「俺たちが見せてもいいんだけど、やりたい人いる?」

一年生三人がそれぞれ目線をうろつかせる。あの、と直が遠慮がちに尋ねてきた。

「爆発したり…します?」

「しない」

そんなことやるわけない、と薫があっさり首を振ると、零は笑ってフォローを入れてくる。

「でも、びっくりはすると思うぞ」

「うう……」

小心者の直は悩むまでもなく、おとなしく身を引くことにした。はい、と隣の凛が肩の高さまで手を上げる。

「あたしやります」

「凛ちゃんさすがー」

彩音もさほど怖がりではないが、心臓に悪い系のサプライズは苦手だ。やはり凛に任せておくのがいいかもしれない。

「じゃあ、はい。保護眼鏡してるから大丈夫だと思うけど、あんまり顔は近づけないようにね」

「はい」

ティファールのポットを零から受け取り、凛がビーカーを手元に置いて構える。そこで今一度、先輩に問を投げ掛けた。

「…ゆっくりのほうがいいとか、あります?」

「ゆっくりじゃないほうが、いい」

今度は薫が答える。勢いよくやりますねとの意気込みに、彩音も直も僅かばかり後方に下がりつつ、両目でしっかりとビーカーを見守った。

「いきまーす」

ティファールを傾け、ジャーッ、と多量の水がビーカーへ流れていく。瞬間、変化は起きた。

「わ!え、何これ」

水を受けた白色の物質は、ビーカーの中でシュワシュワと泡立つように膨れ上がり、米飯の如くこんもりと山を作ってしまう。
注水をやめても尚、内部で生み出される無数の白い物質はビーカーから溢れ、黒い実験台に降り積もる。三人は唖然としていたが、ビーカーの周りがすっかり白雪で覆われた頃、ようやく増殖は収束した。

「ふ、増えましたね…」

「水をかけると増えるのかな」

薫は粉雪のような堆積を手のひらでさらりとすくう。手袋もしていないので、触れても大丈夫な物質らしい。凛もちょいちょいと指先で押してみた。

「これは、ポリアクリル酸ナトリウム。水を大量に吸収する性質がある。だいたい、自分の量に対して二百倍の水を取り込む」

「ポリマーってやつですか?」

「そう。頭に『ポリ』が付くのは高分子化合物、つまりポリマー。高分子っていうのは、同じ構造が一定の単位でずっと続いてるもの。新聞紙を切って作る、手を繋いでる紙人形みたいな」

同じ形の人形が何体も続いている図を思い浮かべた三人に、薫は黒板に文字を書き連ねて説明を続ける。

『ポリアクリル酸ナトリウム…吸収性に優れる。
カルボキシル基(COO-)=親水性
網目構造に水分子を取り込んでゲル化』

「ポリアクリル酸ナトリウムは紙オムツや保冷剤に使われる。さっきの人形――構造の中には『カルボキシル基』っていう水と仲の良い組織が組み込まれてて、かつ分子が網目構造になっているからそこに水分子を取り込むことができる。これが吸収性の要因」

滔々たる薫の台詞を呑み込みながら、新入生は律儀にノートやメモを取っていく。三色ペンの動きを止めて、彩音はペン先で黒板を指した。

「ゲルって、前にカプセル作った時も出てきたね。えーと…?」

「繊維同士が絡み合ってる状態のことでしょ。網目の中に水がこう…絡むってか、そんな感じ、ですかね?」

「はえー、凛ちゃんよく覚えてるね」

「カプセル?」

本日が初回実験の直は首を捻る。今度直もやろうな、との憧れの先輩の誘いにほっとするも、薫はあまり面白くなさそうに、チョークで構造式をぐるぐると描いていた。



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