小説 | ナノ


▼ 12.修羅場

約一週間後。
花弁を敷き詰めた桜の絨毯を、陸上部をも凌ぐ速さで疾走する零。目指すは正門を抜けてすぐ目の前にある『ひまわり商店』だ。
蓮華高校では、昼休みになると業者が弁当やパン、惣菜、飲み物を昇降口まで売りに来るのだが、放課後はこの商店が唯一の調達場所となる。学校が丘の上にあるため、コンビニは坂を下りて駅まで行かなければならない。
よって、十六時を過ぎるとひまわり商店には部活前の腹ごしらえにと多くの生徒が来店するのだ。店の面積はせいぜい六畳。ぎちぎちに混むことも少なくない。

「お、まだ残ってた」

パンの棚で小さめのシナモンロールを発見し、すぐさま懐に確保する。お求め易い価格に程良いサイズ。薫の好物なのだ。
続いて自分用の軽食を、と思い、零はカップ麺のコーナーを物色する。"大盛り"、"MAX"、"食べごたえ"、など男子高校生を魅了するキャッチコピーが強めのフォントで並ぶ中、零が手を伸ばしたのはコーンたっぷりの味噌ラーメン。するとそこへ、三回りは小さな手がさっと伸ばされ、思わず視線が腕から顔にシフトする。

「あっ」と手を引っ込めた主は、二つのおさげを揺らして零を見上げた。

「ん?彩音ちゃん?」

「零先輩!こんにちは」

彩音も驚いた表情で手を止めていたが、零は瞬時にカップ麺の存在を思い出し、はい、と彩音に味噌ラーメンのカップを渡した。自分の分もひとつ取って、年配の女性が待つレジへ共に向かう。

「どう?あれから、いろいろ部活見てみた?」

はい、と彩音はラスカルの小銭入れを掴み出して頷く。

「中学の時は合唱だったので、合唱と吹奏楽を、ちょっと見学に。あと、絵も好きだから美術部も見てきました」

「良いところ、あった?」

レジで会計しつつ、割箸をセルフで袋にしまいこむ。うーん、と彩音はことんと首を捻った。

「どこも居心地は良さげでしたけど、その中だと美術かなって。自由そうでしたし。……あの、」

えっと、とやや遠慮がちに、彩音は零をちらちらと見やる。もしかして、美術部入りたいのかな。雲行きの怪しい応答に、零はちょっとドキッとした。

「い、いいよ、そんな遠慮しないで」

見学自体に強制力はないし、彩音にだって心変わりはあるだろう。薫には言わないでおくか、なんて気を利かせる算段を考えていると、彼女は意外な言葉を放った。

「わたし、もう一回化学部行きたいんですけど、今日、これからだと迷惑ですか…?」

「へ…?えっ、全然いいよ!一緒に行こ!」

予期せぬお願いに、零はぱっと表情を輝かせた。脈があったのだ。ぶんぶんと見えない尻尾を犬のように振って、夕日の灯る道へ闊歩していく。お湯は、と彩音が店を振り返りかけた。

「大丈夫、実験室で入れられるからさ!」

カップ麺を購入した者は、たいてい店のポットから湯を注ぎ、溢れないようにそろそろと正門をくぐっていくものだが、零はいつも実験室のティファールを使用していた。一度『ビーカーで沸かさないの?』と期待を込めて薫に訊いたが、睨まれたので諦めた。確かに衛生的ではない。
ふんふんと小躍りしそうなステップで、零は彩音を引き連れてピンクの絨毯を踏み締めていった。



そこから十分程前のこと。
商店へ駆け出していく零を見送ってから、薫は実験台に肘をついて、退屈そうに図鑑をめくっていた。
先週、彩音と凛が見学に来て以来、新入生の足はぱったりと途絶えていた。自分がテストなど課したせいだろうか。今になって不安が襲ってくるが、化学に全く興味がないのに入部しても活動が苦痛になるだけだろう。幼馴染くらい情熱があるなら別だが。

コンコン、とノックらしい音がして、ふっと顔を上げる。誰か来たのか、まさか。再び図鑑に目を落としかけるも、再びノック。すみません、と細い声も聞こえた。恐らく男のものだ。
薫は素早く席を立って、ドアに近づいた。引き戸の窪みに手をかけてゆっくりとレールを滑らせれば、背の低い男が重そうなリュックを背負って立っている。頼りなさげな顔つきと茶色の猫毛は、どこか見覚えがあるものだった。

「うひゃあ!」

薫の姿を視認するなりバックステップを踏んだ直は、かちかちと緊張に歯を鳴らしながら、元の位置に戻って深く頭を下げた。

「お、お久しぶりです…水川先輩」

「…誰?」

記憶をまさぐりつつ、薫は目の前の人物とイメージを照合していく。が、なかなか合致してくれない。人の名前と顔を覚えるのは昔から苦手だった。眉を寄せる薫に、若干のショックを受けつつ直は一歩踏み出る。

「神沼直です。中学で、零先輩にお世話になってた…」

「……あ」

思い出した、とばかりに軽く手を打って、薫は改めて直をじっと観察する。
はっきりしない性格のせいか、中学では入学早々、上級生から金を巻き上げられていたらしい。一度その場面に出くわした際、零に助けられて事なきを得た直は、彼に憧れてバレー部へ入部した。シーズンオフも朝も夜もない練習まみれの日々。すぐ音を上げるだろうと周囲に言われながら、零に励まされ、そこそこの根性を見せていた覚えがある。

「…零を、追いかけてきたのか」

何か困ったことがあったらいつでも言えと、零はよく声をかけていた。だから直はいつでも零を頼っていたし、尊敬するのは当然のことだった。
そして薫が直を疎ましく思うのも、また道理ではあった。

「そ、それだけじゃないです。家も近いし、進路を考えるならここがいいって思って。…あの、零先輩は」

「買い物」

短く言い放った薫は既に背を向けている。実験台へすたすたと歩いていく薫の後を追って、直は食い下がった。

「見学に来たんです!先輩から昨日連絡をもらって、今日来ることも伝えました!」

「…聞いてない」

振り返った薫はきつく眉間に皺を寄せていた。ひっ、と直は顔を青くして後ずさる。薫が睨み付けるように直を凝視していた、その時。

「たっだいまー!薫、彩音ちゃん来てくれ――おっ、直!よく来たな!」

「せ、先輩…」

入口からビニール袋を提げた零の姿が見え、直は安堵の表情を浮かべた。あと少し遅ければ泣いていたかもしれない。

「来るなんて聞いてない」

零の存在にいくらか険しさも和らいだが、憤懣やる方ない薫はつっけんどんに直を指差して見せる。こーら、と零がその手を優しく包んで下ろした。

「指差しちゃだめって小夜さんに習っただろ? って、あれ?言ってなかったっけ」

「言ってない!」

「そ、そっか、ごめん。でもいいじゃん、せっかくの見学なんだしいろいろ見せてやってよ。ほら、彩音ちゃんも来てくれたんだぞ。さっきひまわりで会ってさ」

零が横に体ごとずれると、その背後にすっぽり収まっていた彩音が全身を現す。こんにちは、とこちらもひまわり商店の袋を手に、ぺこっと薫へ会釈する。

「零先輩にお店で会ったので、来ちゃいました。もう一回来たいねって、凛ちゃんと話してたんです。あ、凛ちゃんももうすぐ来るって言ってました」

驚いた様子の薫はちょっと間を置いてから、ありがとう、と小さく呟いた。
何せ一週間以上も、誰一人として実験室を訪れなかったのだ。それはひとえに自分が課した試験と、彩音や凛に対してきちんと応対できなかったことが原因だと思っていた。直は完全に誤算だったが、二度目の来訪者も嬉しい方面で誤算だった。

「今日も、よろしくお願いします」

彩音に倣って、直も慌てて佇まいを改める。

「よ、よろしくお願いします!」

零にちらりと視線をやり、薫は少々複雑な気持ちのまま、ゆっくりと頷いた。



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