「女中を辞めようと思っていまして」

ぽろり。
そんな効果音が本当に聞こえるように、一本のタバコが土方さんの手から落ちる。そのままタバコは畳の上に落ちる。引火することはないにせよ、畳の上に火や灰などと言うものはよろしくない。私は懐からハンカチを取り出し、畳の上で寝そべるタバコを包んでやる。安物のハンカチだ。別に何も問題はない。

「大丈夫ですか、土方さん」
「え、ああ…わりいな、ああ」

しかし、目の前にいる土方さんの顔は問題がないとは言えない顔だった。彼は眉間のシワを濃くしながらまた新しいタバコとマヨネーズの形をしたライターを取り出す。火をつけようと試みていたが、いつもは一回でつく火がどうやら中々つかないらしい。土方さんの舌打ちが聞こえた。少しして火がつき煙を吸えば、ようやく落ち着いたのか、私に向き直る。

「理由は何だ。給与が足りねぇのか」
「え!いやそんな、充分頂いてます」
「じゃあ何だ。局長がゴリラだからか」
「いいんですか?土方さんは近藤局長がゴリラってことでいいんですか?」

それでいいのか、真選組。
少し白けた目を向けるが、彼はそれ以上は何も喋らずタバコを吸うだけだった。

「親から結婚を急かされてまして」私がそう言うと土方さんは煙を吐いて「結婚?」と意外そうな声で返した。声だけでなく、その表情にも驚きの様子が見える。しかし少しすると納得したような顔になり、「そうか」と一言頷いた。

「そりゃァ…そうか。お前もそんな年か」
「まぁ、そうなりますかね。流石にそろそろお相手を探さないと、って親からうるさくて」

苦笑いをしながら話す。自分の年齢を考えて、そろそろ結婚をした方がよいこと。お見合いや実家への帰省などのために職をやめること。辞めるのは数ヶ月後を考えていること。それらを土方さんは相槌を打ちながら聞いてくれた。

正直に言うと、真選組の女中という仕事を辞めたいとは微塵も思っていない。真選組というこの場所は女の私が居るにはふさわしい場所ではないかもしれないが、それでも彼らは私を迎え入れてくれた。泣き言を言う暇もなく仕事をしているような毎日ではあったが、それでもその生活の中には楽しみがあり、真選組という組織の縁の下を支える自分に誇りすら持っている。しかし、女というものに生まれた以上、ただの誇りに縋って職を続けるというのは中々難しい。自分の中で折り合いをつけて、前に進まなければならない。自分が白無垢を着る姿すら想像出来ないような現状であるが、それでも結婚という道を歩みはじめる必要がある。

「…名字」
「は、はい」
「お前が女中を辞職するのはわかったが、まだ期間もある。他の隊士にもゆっくり挨拶をしておけ」
「それは、はい。もちろん」

土方さんにまっすぐに見つめられて、思わずどきりとしてしまう。いやだって、お顔がよろしいんですもの。彼の言葉に私は頷く。そう、他の皆さんにもご報告をしなければ。真っ先にご報告しょうと思っていた近藤局長は屯所を離れている。そのため、真っ先に副長である土方さんにご報告をしたのだ。

「特に」
「え?」
「総悟の奴には早めにしとけ」
「沖田さんですか?」
「あいつァお前のこと、気に入ってるからな」
「気に入ってる?私を?」

私は自分で自分の顔を指差す。
土方さんが総悟と呼び、私が沖田さんと呼ぶ1番隊隊長沖田総悟という少年は、これがまた非常に厄介な人間なのである。私より幾分か年下で、出会った当初はそりゃぁ可愛いもんだと思っていたが、その実態は生意気と性格の悪さでミルフィーユを作ったようなものであった。私のことを召使いのように扱い(それも雑に)、会って一言目には「鈍臭い」だの「使えない」だの。役職的に下とは言え、年上の女性に対する扱いではない。

「はは。寧ろ喜ぶんじゃないですかね、沖田さんは」
「何でィ、とうとう土方さんが死んだかィ」

また苦笑いをしながらそう述べれば、返事は私の背後から返ってきた。その声はちょうど今話していた人物であり、恐る恐る振り向けば赤色の瞳が私を見つめていた。

「死んでねーよ」
「なーんだつまんね。何2人でオイシイ話してんでさァ」
「美味しくもねえ。丁度いい、名字。話しとけ」

土方さんはそう言うと早々に立ち上がり、部屋から出て行った。襖が閉じられ、部屋には私と沖田さんの2人きりになった。沖田さんは一瞬襖の方に視線を向けたが、それよりも私の話に興味があるのか、またすぐに私に向き直った。正座をする私の正面に気だるげに座る彼の目は、さっさと話せ、と言っているようだった。実は、と私は口を開く。

「女中を辞めようという話でして…」
「は?」
「あ、あと数ヶ月先なんですけどね。そろそろ結婚を考えてるん」

です。
私がそう言い終わる前に、沖田さんが私のほおを片手で掴む。「むぎゅ」という間抜けな音が口から漏れる。

「誰だ」

身を乗り出している彼の目を見て、私は思わず喉に抗議の言葉が詰まる。私は今までの人生、真選組の皆さんのように人と戦いあったことなどないから、殺気だとか怒気だとか言う人の気には鈍い方だと思っている。しかし、いやしかし。目の前のこの男、は。確実に怒っている。私はこのまま顔を握りつぶされるのではないかと恐怖する。

「アンタに男なんて話、聞いたことなかったですぜ。…それともなんでぃ。内密に社内恋愛でもシッポリかましてたっつーことですか?」
「ひ、!そ、それはこえからさがしゅんれすけお…!」

私は恐怖と戦いながら言葉を発する。言葉とうにはお粗末だったが、沖田さんには伝わったらしい。彼は私のほおから手を離す。私は両手でほおを触って、どこも潰されてないかの確認をする。うん、大丈夫、ちょっと痛いけど…。

「…まぁ、そうだよな。こんなみそっかすに男なんざデキてる訳ねえか」

沖田さんは未だ怒気を孕んだ声でそう呟いた。いや、聞こえてますけどね。誰がみそっかすやねん。

「辞めたとこでロクな男見つかる訳もねェ。アンタみたいな鈍臭い奴、どこ行ったって無理でさァ」
「な、なんで沖田さんにそんな事言われなきゃいけないんですか…!」

沖田さんのあまりの物言いに、私は思わず抗議の言葉を口にする。怖いという思いは確かにあったが、それ以上に私も怒りを感じているのだ。大人として、ここで泣き寝入りするわけにはいかない。

「確かに私はみそっかすかもしれませんけど、それなら居なくなって清々するでしょう、沖田さんは。そうやって毎回毎回、子どもみたいに嫌なことばかり言うのはやめてください!」
「……」

てっきり、強烈なプロレス技でも飛んでくるのかと思ったが、沖田さんは無言だった。それが余計に私に恐怖を与えるのだがー。私は今、「言ってやった」という気持ちが心の大半を占めていた。あの生意気少年に一言申してやったぞ、というような。

だからこそ、私は彼の突然の動きに反応することも出来ず(彼の身体能力を考えれば結果は同じかもしれないが)、気づけば視界が沖田さんと天井の2つだけになっていたのである。

「…………え」

押し倒されている、と気づいたのは沖田さんの右手に掴まれている両手首に、痛みが走ったときである。

「ちょ、ちょっと」
「子どもに見えますかィ。俺が」

沖田さんの顔と私の顔の距離が縮まる。さらりと垂れる彼の前髪が、彼の整った鼻が、唇が。私のものと1つになりそうなほど近くて、一瞬で身体が熱くなり、汗が吹き出る。

子どもに見えるかだと?こんな子どもがいるものか。顔立ちが可愛らしいだけで、眼前の人間は確かな男だと感じる他ない。

「み、見えない!から、離れて!」

敬語も忘れてそう言うと、沖田さんの顔が遠ざかり、私の腕も解放される。しかし彼が私の上に乗っている状況は変わらず、誰かに見られれば確実に状況を疑われる態勢だった。

「結婚して仕事をやめる。仕事を続けて結婚を諦める。結婚して仕事も続ける」
「え?」
「名字さん。アンタどれがいいんでさァ」
「そ、そりゃお仕事は続けたいですけど…。でも結婚も、考えなくちゃ…」
「いい方法がありやすぜ」

そう言った沖田さんの顔は先ほどまでとは打って変わってにこやかで、声だって数段階明るい。彼がこう言う顔をしているときは、土方さんへのいたずらが成功したときや、悪巧みをしているときだ。私の汗は止まらなかった。

「アンタを今ここでキズものにして、俺から女寝取ろうって奴もキズものにしてやらァ」

俺ァ刀の使い分けには自信があるんでさァ。

そう聞こえた次の瞬間には、私の視界は暗くなっていて、唇だけに柔らかいものを感じた。





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