X子を買うの続編です



「えーと、それじゃあ。無事性別が元通りになりました記念に、乾杯」
「おう」

ふたつのグラスが軽くぶつかって、カン、と小気味の良い音が鳴った。

かぶき町を襲った一連の性別転換の悲劇は、元凶であるデコボッコ教の次の目的地に先回りし、彼らを直接叩くことで幕を閉じた。その目的地にはある特定の人物の顔を持つ生物しか居らず、私は首を傾げることしかできなかったが、この話は特に話すことでもないので割愛する。強いて言うなら最近はあの人あんまり見ないよね、ということくらいだ。
美男子として生きていた私は普通の女に戻ってしまったが、やはり今までずっと生きていた性別の方が暮らしやすい。イケメンだのスタイルが良いだの、女の子にチヤホヤとされるのも満更ではない気分ではあったが、私は男の人が恋愛対象であったし、その恋愛対象というのも既に決まっている。

「煙草、つけますよ」
「あァ、悪いな」

私の手に握られるライターに顔を近寄せるこの男性、土方十四郎という人物が正にその人である。と、言っても、彼は江戸を護る警察組織真選組の副長。私ごときがおいそれと手を出せる人間ではないし、そもそも彼自体恋愛ごとには興味がないらしい。いつも自分の上司の恋愛劇をため息と煙を吐きながら眺めているのだ。だから私は土方さんと友人のような付き合い出来るだけで満足であったし、上司の監視と言う名目付きであるにせよ、私の働くスナックすまいるに来てくれて共にお酒を飲めるだけでよいのだ。
真横に座る土方さんをちらりと見る。今日はかっちりとした制服でなく、着流しをゆるりと着ている。いつも首元から足先まで服によって隠されているが、今日は首どころか胸元まで見える。土方さんは顔だけでなく体つきも男前で、どきりとしてしまう。土方さんは私の視線に気づいたのか、「どうした」と私に言葉をかける。

「いえ!本当に、もとに戻ってよかったなー!って!」
「違いねぇ。あんな目は二度と御免だ」
「最近値段も高騰してるらしいですしね」
「誰も豚肉の話なんざしてねーよ!」

土方十四郎と言う人間は、顔も良くスタイルも良く収入も良い。言わばハイスペック男子である。しかし彼にはニコチン中毒とマヨネーズ中毒という重度のデバフがついている。先日の性別転換騒動においては、後者のマヨネーズ中毒が彼に牙を向いた。万事屋の坂田さんや一番隊隊長の沖田さんが羨むような美少女になる中、土方さんは今まで蓄積したマヨネーズのカロリーが暴走し、結果豚と揶揄されるような外見になった。豚肉ブランドを捩り「X子」とすら呼ばれていたし、私も呼んでいた。

「いやぁでも、本当によかったです。脱・ミニスカポリスしてもらえて」

私の言葉に、土方さんは顔を歪めた。
女となった真選組一同はしばらくの間「クラブミニスカポリス」という店を営んでいたのだ。好きな人がブランド肉になってミニスカポリスを着て風俗を営んでいる件について、などと言えば面白おかしくまとめられそうなものだが、私からすれば一大事であった。何せ客などつかないと思っていたX子さんに上客がついたと言うのだ。

「土方さんが知らんオッサンにぺろりと食べられるなんて、私許せません…」
「もう終わったことだろうが。あと食べるって表現やめろ」
「やっぱり外バラからいきますよね。中バラ、肩ロース…。そしてモモ」
「それただお前が焼肉食う順番だろ」

呆れたように土方さんは私を見るが、キャバクラやクラブと言ったお店には程度はあれどいやらしいことが付き物である。好きな人が男にとはいえあんなことやこんなことをされているのを知ってしまえば、嫌な気分になるしかない。

「本当に大丈夫でしたか?おじさんにやらしいことされてないですか?」
「ねぇよ。ンなもんあったとしても黙って受け入れるかよ」
「『X子ちゃんのここ、もうラードでヌルヌルだね…』」
「やけに具体的だなオイ!誰が豚だ!豚脂なんざ出ねーよ!」

私が想像していたようなことはどうやら起こってなかったらしい。ひとまず、ほっと安心する。すすると、「つーか、」と土方さんがこちらを見ることなく言う。

「やけに詳しいじゃねぇか。まさかお前、アフターだのなんだの営業してるんじゃないだろうな」
「え?」

先程も言ったように、キャバ嬢のお仕事には少なからずお客様との接触が発生する。すまいる常連にして土方さんの上司の松平公なんかはしょっちゅう女の子の肩を抱いている。それはもう楽しそうに。勿論私も様々なお客様と手が触れたり、肩を抱かれるくらいはある。というか、それくらいは許容していかないとこの夜のかぶき町で生きていくことは出来ない。これは仕事、と割り切って私は働いている。
しかし、彼が言うような特定のお客様と営業後も一緒にいたりだとか、酔った勢いでお持ち帰りされたり、なんていう行為はした覚えがない。うちはそういう行為をしないキャバ嬢もたくさんいる。特にトップクラス嬢のお妙ちゃんなんかは、私より年下なのにその美しい顔立ちと話術、そして武力でキャバクラという戦場を生き抜いている。「いやいや、してませんよ」と私は顔の前で手を振る。

「そもそも、私なんかをそう贔屓にするお客様なんていませんよ。X子さんみたいに太客がついてる訳じゃないんですよ。ペーペー嬢です」
「それもどうなんだ、ったく。…じゃあなんだ、金積まれれりゃァホイホイ着いてくつもりか」
「え、えぇー?」

冗談めかして笑う私の言葉に、話の終わり筋を見つけなかったのか、土方さんは話を続けた。

「いやぁ流石に、そんな安い女とは見られたくないですけど…」

うーん、と態とらしく唸ってみる。
正直なところ、御免こうむるの一言に尽きる。稼ぎが良い一点でこの仕事をしているが、普通に出勤して働くのみで私としては十分な賃金を得られている。わざわざ同伴出勤したり、アフターをする必要はないと思っている。なにより私自身あまりそういう行為に馴染みがない。ただのお客とそこまで付き合うつもりはない。

まぁ、でも、例えば。
例えばの話。
今横にいるこの男性とかに、誘われたら。

「行ってしまうかもしれない。K点まで」
「あ?」

土方さんの低い声が聞こえたのと、彼が灰皿に煙草を押し付けるのは同時だった。

「お前、あんだけ俺にどうこう言っておいて…」
「え、あ。いやいや…」

段々と顔つきが鋭くなる様子に私はまた否定の言葉を述べる。やはり、彼も警察なわけだし、夜遊び行為のようなものは気に入らないのかもしれない。それかやはりX子さんのときに嫌な思い出でもあったのかもしれない。名前も知らないX子さんを指名したというメカクレ忍者、絶許。

「冗談ですよ、冗談…」
「いくらだ」
「はい?」
「いくら出せばお前の太客とやらになれんだ」

どういうことですか、という言葉が私の口から出るより早く、目の前に紙が差し出される。見てみればそれは紙は紙でも紙幣。それも諭吉さんである。驚きのあまり瞬きをすることしかできない私に、土方さんは万札を握らせる。

「まずこいつァ以前お前が俺に握らせた金だ。返す」

そう言われ、私の頭に一つの映像が流れる。性転換していたときに、X子さんが他の男にあれやこれやされるのに耐えきれず、私はX子さんにお金を握らせた。そして永久指名だとか太客だとか、そういうことを口走った。その時の私は男として中々にレベルの高い、実写化するなら新田真○佑
よろしくである。調子に乗っているような発言をしても様になっていたのだ。

「で、あといくら払えばいい。アフターだのをするつもりはねぇが、そこらの男に買われるよりは高く買ってやる」
「ひ、土方さん。酔ってます?土方さんお酒弱いですもんね、チョコレートボンボンで酔っ払っちゃうようなヒロインですもんね」
「土方さんはそこまで弱くねぇしヒロインでもねぇよ。…何もおかしなことじゃねぇ。お前と同じこと言ってるだけだろ」
「そ、それは…」

先日の私のように、何を言っても様になっているのだ、この人は。いつの間にか土方さんの瞳には私が映っていて、大してお酒を飲んでもいないのに、くらくらとしてしまう。

「なんつったかな。…『お金ならいくらでも払います』?」
「っえと、」
「『だから、もう…他の男になんて買われないでください』」
「あの、」
「『あなたの上客は、ここに一人にしてくれませんか』」

土方さんはわざとらしい敬語を使って言う。私が彼に向かって言った言葉がこんなことになるとはあの日の私は思いもよらなかっただろう。土方さんの口がまた開く。その先の言葉を私は知っている。だからこそ、私は彼の口を閉ざそうと万札を投げ捨ててでも手を伸ばす。

彼の口を塞ぐのだ。そうでもしないと、私はどきどきのあまり死んでしまうかもしれない。しかし、伸ばした手は呆気なく掴まれる。軽い力で握られているのに、振り払うことも出来ない。

「お前が他の男となんざ、許せねぇよ」

掴まれた手からは熱だけが伝わる。とても熱かったが、きっと私のほおの方が熱い。「………なんてな、」と土方さんは私の手を離した。新しい煙草を取り出して火をつける。もう私を見てはいなかったけれど、腕には熱がじんじんと残っている。
私の言葉をそのまま返しただけ、と土方さんは言ったけれど。彼がそんな悪戯心で口説き文句を言うような男性ではないことを私は知っている。そんなことをする人ならば、きっと彼は夜の女の子たちに何回か刺されているはずだ。

「ひ、土方さん…」
「…なんだよ」

もう既に、K点超えちゃいそうです…

蚊の鳴くような声で言った私に、土方さんは「お前より俺のほうがまだキャバ嬢としてマシだったかもな」と返す。否定の言葉を言おうとしても、こうして人を魅了させているという点においては、私の完敗である。

確かに高級ですもんね、ブランドで。
と、私は見当違いな皮肉を言うことしかできなかった。






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