大衆居酒屋の座敷部屋、タバコとアルコールと食べ物の匂いが充満する空間で私はちびちびとオレンジジュースを飲んでいた。がやがやと人が渦巻いている光景は高校で過ごした教室を切り取ったようだったけれど、そこに居る人たちはかつての同級生ではなく、大学で新たな出会いを果たした面々だった。大学入学と同時、流されるままに入部した文化系サークルの飲み会。新入生を歓迎するために行われているこの集まりにおいて、私は歓迎される側だが、どうにも居心地が悪い。

「名字さんそれなに?ファジーネーブル?」
「えっいや、オレンジジュースです…」


無遠慮に近づいてきた男の先輩の右手にはロックグラスが握られていた。透明な液体が入っている。きっと水ではないんだろう。私の答えを聞いた先輩は薄い笑いを浮かべたまま「遠慮してるの?」とまた問いかけた。私はこの前19歳になったばかりで、お酒を飲んでいい年齢ではない。しかし、同級生はそんなことを気にせずにお酒を飲んでいる。そう訴えかけるように先輩は周りを見回した。卓の上に乱雑に並ぶグラスはビールジョッキだったりロックグラスだったりで、私のグラスのようにストローが刺さっているものはほとんどない。

「…20になるまでは、飲まないって決めてるので」
「ええ、真面目だねえ!」

ちゅー、と。
先輩の目を見ることなくオレンジジュースを飲む。先輩は大げさに驚いて、そのあとも私に他愛のない話を振った。私は適当に相槌を打って、大人数の中の一人としてその場を過ごした。



飲み会が終わった頃にはもう日が変わりそうな時刻だった。終電こそまだ来ていないものの、こんな時間まで外にいることはそうなかった。「二次会行く人ー!」遠くで先ほどまで一緒の卓に座っていた人たちの声が聞こえる。それを避けるように目の前のコンビニに入った。すぐ右に曲がれば雑誌コーナーだ。生憎と愛読書となるものはないので、封をされてない週刊誌を適当に手に取った。しかし、いつも彼が見ているから、という理由だけでは週刊誌の地続きの内容は理解できなかった。頭を悩ませながらページをめくる。

読み切りなら話が分かる、かも。
そう思ってぺらぺらと指を動かしていればこんこん、と耳に軽い音が届いた。

目の前の窓が叩かれたのだ。荒くはないその音に顔を上げる。窓の向こうには白衣に身を包んだ男、坂田銀八が立っていた。相変わらず気だるそうな顔をしている。特徴的な天然パーマはヘルメットによって見えなくて、スクーターに乗ってここまで迎えに来てくれたのだとわかった。私は週刊誌を元の場所に戻して早足にコンビニを出た。

「先生!」
「もう先生じゃねっつの」

ぶっきらぼうにそう言って、先生は私にヘルメットを渡す。確かに私は先生の元を卒業したけれど、先生は先生なのに。そう言おうとしたけれど、彼は私の言葉を聞く前にスクーターに乗って私に背中を見せた。走ってしまえば音に掻き消されて会話なんてできない。私は黙ってヘルメットを被って後ろに乗った。ぎゅ、と先生のお腹に手をまわして背中に顔を埋める。嗅ぎ慣れた煙草の匂いがした。

坂田銀八、先生とは高校を卒業しても定期的に会っている。高校生の頃から私は先生に想いを寄せていた私は、卒業と共に想いを伝えた。もう二度と会わないから、と最後の思い出として行った玉砕覚悟の告白に対し、先生は「んじゃはい俺のケー番とメルアド」と私の卒業アルバムに乱雑に書き殴った。はいでもいいえでもないあやふやな答えを突き詰めないまま、数ヶ月が過ぎた。今日だってメールのやり取りの中で飲み会の存在を知らせたら、理由も告げずに「迎えに行く」とだけ返ってきた。

私は先生が何を考えているのかさっぱりわからなかった。

「コンビニで何も買わなくてよかったのかよ。つってもま、お前はまだヘパリーゼとか必要ないか」

もやもやと思考を巡らせていれば、いつの間にか私の住むマンションについていた。「お酒飲んでないです」と答えれば先生は少し驚いた顔をした。

「マジで?大学の飲み会だろ?イッキもポロリもボッキもあるのが普通じゃねーの」
「先生、どんな飲み会でもイッキくらいしかないと思うんですけど」

外したヘルメットを乱暴に先生に押し付ける。鈍い声が聞こえたような気がしたが関係ない。

「お酒は、ちゃんと成人してから飲みたいです。初めては、先生とがいいなって」
「………」
「先生?」

押し黙った先生を見る。スクーターに乗ったままの先生と、降り立った私の目線の高さはいつもより近い。先生はこっちを見るなと言わんばかりに手で顔を覆っていて、「はあああああ」と大きなため息まで吐いた。不自然な反応に、私は出来すぎたことを言ってしまったかと少し後悔する。

「俺、基本何でもイケる口だから、いい酒とか知らねーけど」
「っえでも、ジンとかバーボンとかウォッカとか」
「お前のサークルってもしかして黒い感じ?子供になる薬とか調べてる感じ?」

けれど、すぐに先生はいつもの脱力しながら喋る姿に戻っていた。ほっと胸を撫で下ろす。そんな私を見ながら、先生はぽつりぽつりと話し出す。

「…成人したところで、酒だの煙草なんてものは元からやってるやつはごまんといるしよ。年齢の数字が1つ増えるだけで特に何にも変わりゃしねーんだよ。20歳になればはい大人、とか言う話でもねぇ」
「は、はい」
「けどなあ、お前」

するり。
珍しい低いトーンに戸惑いながら耳を傾けていた私の手に、大きくて骨ばった手が絡まる。力の入っていない私の手を逃さないように、指が絡められる。夜の風に曝されていた手は冷え切っていてもおかしくないのに、その手は私よりも熱を持っていて、その熱はすぐに顔にまで届いた。

「成人するっつうことは、それなりの責任が生じるってことだ。わかるか?」
「せ、先生?」
「若気の至りで悪い大人に引っかかった、なんて理由で逃せんのは今だけっつーこと」

手の甲をつつ、と撫でられる。厭らしさすら感じてしまう接触に、言葉が出ない。暫く無言で戸惑う私を見つめてから、先生は手を離した。「じゃ、俺帰るわ」あの日私が告白した日のように軽いトーンでヘルメットを締め直して、ハンドルを握った。

「あの、どういう!」
「宿題だ、考えときな。あ、けど俺、ワンナイトとか俺許さねーから、男の先輩ン家で宅飲みとかもダメだから。終電逃してカラオケオールとか一番危ないからね、うん」

早口で捲し立てて先生は去っていった。遠くなる姿を呆然と眺めることしか出来ない。
一年後に、解答を出せ、ということだろうか。
顔に手を当てれば、案の定ひどい熱を持っていて、私は暫く熱を冷ますように夜風に当たっていた。






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