おでんが食べたい。

そんな欲求が唐突に湧き出たのは、とある冬の日の、夜の10時頃であった。冬の夜10時と言えば、それはもう暗く、そして寒い。雪が降った後の日であれば道がツルツルと滑る可能性もあるし、何より江戸の夜というのは物騒なものである。そんな夜を私のような非力な女が一人おでんのためにうろつくというのはあまりにもリスキーであった。

しかし、おでんが食べたい。

物騒という話だけでない。こんな夜にものを食べるということもリスキーだ。おでんはカロリーが低い方ではあると思うが、それなら食べない方がカロリーは低い。なんたって0だ。ここでおでんを食べることを諦め、おとなしく寝ることができれば、寒い風に当たることはなくお金も消費せずにすむ。カロリーを気にする必要もない。

いやしかし、おでんが食べたい。

そう思った次の瞬間には、私は半纏を羽織って外に飛び出ていた。ひゅぅと冷たい風がを撫でる。アパートのドアノブを触ればそこは冷え切っており、その冷たさに思わず身を震わせた。
目指す先は大江戸マート。家からコンビニの距離なんて、そう遠くはない。私の頭の中は身の危険なんかより、なんの具材を買って食べるかで満ちていた。大根と卵は必須、こんにゃくにちくわにがんも。変わり種でロールキャベツなんてのもたまにはいいかもしれない。寒さのせいか足はいつもより早めに動く。気づけば、大江戸マートの光が目に入る距離まで来ていた。

「オイ」

そんな後一歩、というところで、前方から声をかけれらる。声からして、男の人。周囲には私以外誰もいない。この人は私に声をかけたのだ。びく、と身体が強張るのがわかった。どうしよう、こんな夜に声をかけられてしまった。幸いなことに目の前にはコンビニがある。そうだ、とりあえず、聞こえなかったふりをしてコンビニに入ってしまおう。そこで話を聞けば、少なくとも今よりは安全だろう。わそう思い、私は返事をすることなく歩を進めた。

「あー、ちょっと待てって!」

しかし、私の思惑は叶わなかった。声をかけたきた男の人が、私の腕を掴んだのだ。まさかの実力行使?!と驚きながら、私はそこでようやく声をかけてきた男の人の顔を見ることができた。コンビニの光に照らされる銀髪が目に入る。

「さ、さかたさんっ」
「そーだよ坂田さんだよ。ンな警戒してンならはなから外になんて出るんじゃありませんー」
「ご、ごめんなさい…」

そこにいたのはかぶき町で万事屋を営む坂田銀時さんであった。相変わらずの格好ではあったが、よく見るとがほんのり色づいている。もしかしたらどこかで飲んでいたのかもしれない。とにかく、私は怪しい人でなくてよかった、と安堵の息を漏らす。「で」、と坂田さんは私に向かって言う。

「こんな時間に何してんだ?家出か?そういう年頃か?」
「いや、そういう年頃でもないですけど…」

坂田さんの言葉に私は苦笑いを返す。家出少女ということを言いたいのだろうけど。私は生憎もう少女と呼ばれる年齢ではない。それは坂田さんもわかっているはずだ。それなのにそんなことを言うのだから、やはり少し酔っぱらっているのかもしれない。彼は江戸に顔が効くし、よく夜は飲んだくれている、と彼の部下から愚痴を聞くこともあった。
私は「おでんが食べたくて」と私が外に出た理由を話す。食欲に負けてこの場にいることに少々の恥ずかしさを覚えて、私は身体を縮こませる。

「あー、なに、おでんん?」
「は、はい…」
「なるほどねぇ、おでんねぇ。いいね名前。いい案出すじゃねーか」

しかし彼は私のそんな様子を機にすることなく、上機嫌に喋る。顎に手を添えながらうんうんと頷いているその姿に私は首を傾げる。いい案?なんの?と頭の中に疑問符がいくつか浮かぶ。「行くぞ」坂田さんはそんな私の腕を取って歩き出した。目の前にまで迫っていたコンビニが遠ざかる。

「えちょっと、坂田さん」
「いーからいーから、ちゃんとしてるのにしよーぜ」

季節は冬で、吹いている夜風も冷たい。けれど坂田さんの大きな手は暖かくて、その熱は私にも伝染する。少しだけ積もっている雪に2人分の足跡がついた。



ちゃんとしてる、という坂田さんの言葉はおでんに関してのことだったらしい。手を引かれ数分歩いた先にたどり着いたのは、「おでん」の三文字が掲げられている屋台だった。私たちと同じように屋台もあったかい白い息を吐いていて、冬の風物詩を体現しているようだった。「親父ぃ、2人」と坂田さんは慣れたようにのれんをめくり、どかりと椅子に座った。私たちの他にお客はいないようで、私もおずおずと彼の横に座った。どうやらこの屋台を切り餅する親父さんと坂田さんは知り合いのようで、「女連れたァ万事屋の旦那もやるねェ」「うっせ」と軽口を叩き合っている。私は屋台でご飯を食べるということなど初めての経験で、ただきょろきょろと辺りを見回すことしかできなかった。

「何食う?お前」
「っえ」

そうしているうちに、2人の会話はいつのまにか終わっていたようで、坂田さんが私におでんの具材を問いかける。突然のことに私は驚き、ええと、と言葉を濁す。

「とりあえず、おすすめをいくつか…?」

勝手がわからない状態の答えだったが、親父さん的は「あいよ!お嬢ちゃんにはサービスしなきゃなァ」と元気な返事をした。どうやら間違いの答えではなかったらしい。

「あー俺にもよろしく。あとイイ感じの酒」
「全部しらたきでいいか?」
「なんでだよ!ズルズルさせんな!」

2人のやりとりに私は思わず笑ってしまう。

「私、初めて屋台のお店に来ました」
「あ?そーなの」

私の言葉を聞いた坂田さんは少し以外そうな顔をした。坂田さんはおそらく、どんな居酒屋でも屋台でも気にすることなく入れるのだろう。しかし私は1人ではあまり飲もうとは思わないし、屋台のようなお店に入るのも臆してしまう。

「女1人だと、ちょっと入りづらくて」
「ふーん。そりゃそうか。でもよォ、んなもん彼氏の1人や2人誘って行けばいいじゃねーか」
「ええ、1人どころか彼氏なんていませんよ」

坂田さんはカウンターの向こうから差し出された徳利とお猪口を受け取りながら言う。彼氏、というワードに私は顔の前で手を振ることしかできない。彼はそんな私をちらりと見て、「ふぅん」とお猪口に酒を注いだ。私は彼から徳利を受け取って、同じようにお猪口に酒を注いだ。互いに酌をするという経験もあまりない私だったが、坂田さんとこうしてお酒が飲めることに少し嬉しさを感じる。夜に外に出てよかったかもしれない。かん、と小さな音が鳴って。私はお酒を飲む。坂田さんが飲むようなものだから、すこしきつめの日本酒かなにかかと思っていたが、飲み口がすっきりしていて飲みやすいものだった。もしかしたら親父さんが気を使ってくれたのかもしれない。そう思って目線をやれば、ちょうどおでんが差し出された。大根や卵といったメジャーな具材がある中に、私が食べようと思っていたロールキャベツなんてものあって、私は早々に割り箸を割った。大根を箸で食べやすいサイズに割り、まずは何もつけずに食べた。あつい汁が口の中に巡って、「はふ」、と思わず息が漏れる。

「ふぁあ…美味しい…」

一緒にお酒も1口運んで、私はまた大根を口に入れる。

「家出の甲斐あったなァ」
「はい!」

私が元気な返事を返せば、坂田さんもおでんを食べる。寒さを感じることはもうなかった。



「んん、坂田さん、大丈夫ですか」
「んあー、ぜんっぜんだいじょうぶ、これはいけてるやつだってばァ」


丁度日が変わったくらい、私たちは帰路についていた。私の肩には坂田さんの勇ましい腕が回っていて、私は彼を支えながら歩いている。坂田さんは親父さんや私と話すうちに気分が良くなったのか、お酒をどんどんハイペースに飲んでいたのだ。話を聞いていたところ、本当に2件目だったようだし、人のお酒の耐性というのも人それぞれなので、酔っぱらってしまうのは仕方のないことだ。しかし、この状態はいかんせんどうしたものだろうか。

「とりあえず、万事屋に、…」
「それじゃあお前が帰るとき1人だろーが、お前ン家まで送ってやんよ。銀さんに任せとけえって」

言っていることは非常に紳士的なのだが、ろれつが回っていないことで台無しだ。

「でも坂田さんこんな状態で帰れるんですか?べろべろじゃないですか」
「だいじょぶだっての、それともナニ、泊めてでもくれんのか?」
「な、」

坂田さんの言葉に思わず身体がびく、と跳ねてしまう。冗談だとはわかっているが、私も酒が入っているせいか、どきどきとしてしまう。坂田さんを泊める?家に?確かに私は1人暮らしであるし、部屋だって今はそこまで汚いわけでない。ので、彼が泊まることは可能なのだが、坂田さんは男で、私は女だ。それもいい年頃の。どちらも少年少女ではないのだ。そんな2人が同じ部屋で寝るなんて、何かあってもおかしくないのだ。

「だ、だめですって。そういうのは。酔ってますし、何かあったらどうするんですか」

私は坂田さんから顔を反らしながら言う。顔に熱が集まっているのがわかる。坂田さんとの距離は近く。身体同士は密着している。肩に回されている腕を軽く掴めば、布ごしであっても私とは太さも厚みも全然違うのだと思い知らされる。

「なーに、何かってなによぉ名前ちゃん、やらしいねぇ」
「なんですかもう!からかわないでください!」

変わらない態度で軽口を叩く坂田さんに、私1人悶々と考えていたことにさらに恥ずかしくなる。

「もう」

文句を垂れながら歩いていると、私のアポートが見えた。足を止め、坂田さんを見やる。彼の言う通りにここまで来てしまったが、本当に彼は自分の家まで帰れるのだろうか。だらんと私に身体を預けている様子はまともでない。さかたさん、と声をかけると、うめき声をあげながら肩に回されていた手が離れる。

「ンだいじょぶだっての。帰れるし、ホテルにもしねーよ」
「本当ですか?」

自力で立ち上がっている姿はふらふらと揺れており、私は一層不安になる。まぁ、私と違って坂田さんは男の人だし、腕っ節もたつと聞く。そこまで心配することはないのだろうが、やはり酔っぱらっている人間をこの寒空の下に放り出すというのは私の良心が痛むものだ。しばらく坂田さんに心配の目線を向けていると、その視線に気づいたのか、坂田さんも私も見つめる。そして彼はまたろれつの回らない言葉を喋る。

「いやだってまぁ?フリー発覚した名前の家に転がりこんじゃあナニか起きねえわけねーもんなぁ」

いやゼッテー起きるわ、寧ろ起こすわ、俺が。

坂田さんはそう言うと私に背を向けて歩き出した。
私は彼の言葉を聞いて数秒、頭が真っ白になるのを感じた。え、いや、なんていった?起こす?ナニを?そういうこと?意識は戻るも、頭の中はパニック状態である。「あ、ちょ、え」と確かな言葉になっていないものが口から飛び出る。坂田さんはそんな私の様子を見ることなく、ひらひらと片腕を振るのだった。

「次はちゃァんと誘うわあ、それまで彼氏つくんなよ」

追い討ちのような言葉に、私はとうとう言葉を発せなくなって、その場に立ち尽くすしかなかった。そこまで酔っぱらっているわけでもないのに、身体中が熱いのがわかる。なんなんだ、いったい。

その晩、私は彼の言葉の真意を考えて寝ることすらままならなかった。冗談なのか、それとも本気なのか、今度坂田さんが素面の時に問いただしてみようかとも思ったが、そんな恥ずかしいことも聞けるわけなく、私はそこから坂田さんとろくに顔を会わせることもできなかった。









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