「憎いよ」

顔を上げることなく、名前は口を開いた。

「そんな割り切れてる総悟くんが憎いよ。姉上がいなくても頑張ろう、姉上の分まで幸せになろう、とか思えちゃう君が憎いよ」

はっきりと聞こえる言葉に、沖田はただ黙っていた。名前の口が閉じることがなかった。

「とうしろうって言う男も憎い。いっそのこと、あの時ミツバを連れて行けば、ミツバは一番幸せだったんじゃないの。私はやだけど、それでも時間が経てば、純粋に応援できたかもしれない。かっこつけないでよ、男なら守ってやるの一言も言えなかったの?」
「ミツバだってなんなんだよ。江戸に行く江戸に行くって。商人だかなんだか知らないけど、私と一緒にいた方が絶対楽しかった。あの子、死ぬかもしれないのに。わかってたくせに、何で江戸になんか行っちゃったんだよ、こんな、暑い、最低の街に」

蝉の鳴き声が遠くに聞こえた。

「…けど、親友を憎いと思った自分が、一番憎いよ…」

名前の目から涙が流れる。一度でたそれは止まることを知らず、ぼろぼろと地面を濡らした。

自分が、純粋に親友の幸せを願えるような人であればよかった。ミツバに依存しすぎていたのだ。こんな感情を抱くことなく、彼女の恋を応援し、彼女の旅たちを笑顔で見送れるような人間であれば、こんなに苦しい思いをすることもなかった。

「…泣かないでくだせぇよ。芋侍にゃ、女の涙の拭き方のひとつも知らないんでさァ」

静かな声だった。

「初めて名前さんを江戸で見た時、思いました。きっとあんたは、俺なんです」

そう言うと、沖田はその場にしゃがみこんだ。涙が溢れる名前の目と、沖田のまっすぐな目が、そのとき初めて合った。

「近藤さんが、…真選組がいない俺。姉上だけに縋って、一人暗闇で迷ってる子供だ」

沖田は名前の肩を掴んだ。女性の肩を掴むにしては、強い力だった。

「忘れないでくだせぇよ、姉上のことも、俺のことも」

名前は言葉を返そうとしたが、嗚咽がそうはさせなかった。子供のように泣きじゃくる名前を、沖田は慰めることもなくただ見ていた。

「…つらいん、だよ。後悔ばっか、で。私は最低、なんだよ…。親友なんて、言えない…」
「俺に悪友がいるように、あんたにも姉上がいたんだ。やり方は違うんでしょうけど、きっと名前さんたちも、お互いを想ってるんでしょう。昔も、今も」

俺がずっと姉上の弟であるように、名前さんもずっと姉上の親友だよ。

沖田の目は強く、言葉はまっすぐだった。そこに沖田ミツバはいなかった。名前の肩を掴み、語りかけているのは沖田総悟だった。一人の男が、名前を見ていた。

「そーちゃん…」

無意識に、名前は沖田を昔のように呼んでいた。そーちゃんと呼んでしまえば、ミツバを思い出してしまう。だから呼びたくなかった。

「名前さん、本当は姉上のこと、忘れたくなんかないんでしょう」

沖田は肩から手を離し、立ち上がった。その姿を名前は見上げた。日差しが起きたを照らしていた。名前は目を細めた。

「たくさん姉上の話をしましょう。姉上に話したいことの話もしましょう。昔のことも、今のこともこれからのことも。そんで、土方の野郎を一緒に殴りにいきましょう」


警戒に握りこぶしを作る沖田は、いたずらっ子のような顔をしていた。随分成長したと思っていたが、根っこの生意気は変わっていなかったらしい。それでも、名前は掠れた声で言った。

「…立派になったんだね、そーちゃんは…」

沖田は名前に手を差し伸べた。あの夜に取られることのなかった手に、名前の手が重なった。名前はそのまま立ち上がった。

「…名前さん?」

名前は立ち上がった瞬間に、強烈な立ちくらみを感じた。目を開いていられなくなって、痛む頭を押さえた。足に力が入らず、そのまま名前は沖田の胸に倒れこんだ。





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