「名前ちゃんは、結婚…とか考えているのかしら」
「結婚?うーん、そりゃあ将来するんだろうけど。正直想像できない」

ミツバの言葉に、名前は読んでいた本から目線を外した。

「ミツバとずっと遊んでたいんだけどなぁ」
「そうね。私も名前ちゃんとずっといたいもの」

2人の間に穏やかな風が流れているのを名前は感じた。視線を本に戻し、小さな声で呟いた。

「…好きな男の子とか、これから出来るのかなあ」



また来ます、と言った沖田の言葉は社交辞令ではなかった。店を開けていると、ふらりと彼は現れるのだ。初めて来たように黒い制服を着ている日もあればそうでない日もあった。ご丁寧にお菓子を携えて「今日も暑いですねぃ」と彼は言う。歩くだけで汗をかく外の暑さを見かねて、冷えた麦茶を出すこともあった。彼はそれを飲みながら、名前と少し世間話をしては店を去る。沖田の顔立ちや話に、やはりミツバの存在を感じざるを得ない。名前の方からミツバの話題を出すことはなかった。

がさりと食材が入ったビニール袋を携えて、名前は夜道を歩いていた。少し遅くなってしまった、とやや早足だ。江戸の夜は武州に比べて明るい。人工的な電灯が町を照らしている。見上げれば、空に雲がかかっていた。武州の空にあった光はそこにはなかった。「あ、」ぼんやりと歩いていると、目の前の人とぶつかってしまった。肩が少し接触した程度の軽いものではあったが、名前はすいませんと誤った。ぶつかったのは名前よりも少し年上であろう男だった。知らない男性に身をこわばらせていると、男は「大丈夫ですよぉ」と芯のないふんにゃりとした口調で言った。

「あぁ、ところでオネーサン、これからお帰りですか?」
「え…」
「実はちょっとお話したくて、あ全然怪しい者じゃないですよ!ほんとに!ただちょっとだけお時間を頂きたいな、と」

そのまま立ち去ると思っていた男は、予想に反して話しかけてきた。笑顔で話しかけてくるこの男は、どこかのお店のスカウトなのだろうが、かぶき町などといった歓楽街にも近寄らない名前にとっては未知の存在であった。ただ、大人として怪しいと察知することは出来た。

「結構です」

出来るだけ淡白に述べて、名前は男の横を通った。しかし男はそれだけでは諦めず、「そんなこと言わずに」とまた笑顔を貼り付けながら名前のあとをついてきた。どこまで着いてくるのだろう、と恐怖心すら抱いた。武州にいた頃は知らない人間に話しかけられることなんてそうなかったし、そもそも夜道には人が歩いていなかった。どうしたものかと頭を悩ませている。
ピピーッ
すると、2人の背後からホイッスルの音が聞こえた。足を止め振り返ると、ホイッスルを口にした沖田が立っていた。

「アーハイ、おにーさん駄目ですぜぃ、無理なスカウトは。どこのお店?」
「えっ…ああいや、何でもないですよぉ」

男は沖田の制服を見てすぐに去って行った。警察に目をつけられるのは避けたかったのだろう。男が去り、名前は沖田と2人きりになった。

「かぶき町じゃないからって、江戸の夜はなかなかに物騒なんです。大丈夫ですか」

沖田が名前に近づく。名前が持っているビニール袋を見て笑顔を見せた。

「送ります。僕、持ちますよ」
「……いい」

手を差しのばした沖田に帰ってきたのは、小さな声だった。

「え?」
「…結構です」

スカウトの男に言ったような、淡白な拒絶の言葉だった。

「君を見ると、ミツバを思い出して、すごく嫌だ。…だからもう、関わらないでください」

名前はそう言うと、すぐに後ろを向いて歩き始めた。沖田の差し伸べた手は空中に留まった。









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