「そーちゃんに友達が出来てよかったよ。いつもミツバと心配してたんだ」

台所でミツバが料理をしている音を聞きながら、名前は言った。沖田が道場に行くようになってから、彼は楽しそうだと感じていた。それは沖田自身も認めているらしく、照れたように少し笑った。

「名前さんは友達いるんですか?」

聞きようによれば嫌味にとれるようなものではあったが、そんなつもりはないのだろう。純粋な好奇心による質問だった。

「いるよ、ミツバ」
「姉上だけ?」

首を傾げる沖田に「ううん」と答える。

「まだいるよ。年下の可愛い生意気くんとか」
「ええ、俺は生意気なんかじゃ…」
「誰もそーちゃんって言ってないよ」
「じゃあ俺じゃないんですか?!」

沖田の顔は心外だ、と言わんばかりの顔だった。自分が生意気だと言われたことか、友達としてカウントされていない可能性があることと、両方のことからだろう。

「ふふ」

名前は微笑んだ。



江戸における名前の仕事は、叔母の生活の補助と、古本屋の店番だった。経験のない名前が店番などできるものかと不安に思ったが、叔母とは電話で常に連絡が取れるようになっていた。店を開く日も減らした。やるべきことは事前にメモに書いて渡されていたし、店に来る人間も常連や本好きの穏やかな人たちばかりだった。

「ありがとうございます」

まだ少しぎこちない御礼を述べて、名前は客に本の入った袋を手渡した。客は頷き、袋を受け取ってそのまま店から出た。慣れない接客に、ふうと息を吐く。そのとき、人が入ってくる気配があった。唇を開いたところで動作が止まった。

「なるほど、名前さんの叔母さんは本屋を営んでるって言ってたっけ。もしかしてここがそうなんですかィ?」

先日名前の腕を掴んだ男、沖田がそこに立っていた。彼は物珍しそうに店内を見渡していた。その姿を見て、また親友の姿を思い出した。顔を見ていられなくて、視線は自ずと下がった。沖田は黒色の制服を着ていた。江戸に来て間もない名前ではあったが、その制服はテレビで見かけたため、知っていた。江戸を護る警察、真選組。彼の腰には得物が差さっていた。このご時世に帯刀を許される存在。沖田の職業は警察で間違いないと、遠く考えた。

「名前さんですよね」

あの日と同じように、沖田は言った。いつの間にか彼の目は店内ではなく名前を見つめていた。彼女の唇が僅かに開く。

「…うん、そうだよ、覚えててくれたんだ」
「ああやっぱり。もちろん。会うのは随分久しぶりですけど、すぐにわかりやしたよ」
「わた…しはわかんなかった、かな。男の子の成長って、すごいね」

微かな声だったが、沖田の耳には届いたらしい。彼は顔をほころばせた。「この前はごめんね」と視線を合わせることなく、不器用に笑いながら言った。人違いだと言った上にその場から慌ただしく立ち去ったのだ。失礼だと怒られても仕方のないことだ。だが、予想に反して沖田の表情は暗いものだった。

「いや、江戸の街で突然話しかけられちゃァ、驚きますよね。謝るのは僕の方でさァ」
「いや、そんな…」

警察の身分である男が自分に頭を下げているという状況に、戸惑いが隠せなかった。本当に気にしていない、と言うように名前は手を顔の前で振った。

「…江戸にはこれからずっと?」

沖田は顔を上げて、そう言った。

「…さぁ。叔母さんが怪我しちゃって、1ヶ月くらいは居ると思うけど、そこからは何とも…」
「そうですか。俺としては居てほしいですけど、名前さんもお忙しいですもんね」
「…そんな、ことは」

そんなことはないのだ。 名前は定職につくことなく実家の農業の手伝いをするのみだったし、己の将来というのも、いずれ結婚して身を固めるのだろう、というあやふやなビジョンしかなかった。忙しいと感じたことなんて、年に数回しかない。結婚にしたって、適齢期は過ぎていると言ってもよかった。親からの縁談の話はあったが、何かと理由をつけて断っていたのだ。

「沖田くんの方が忙しいでしょう。おまわりさんなんだって?凄いね、立派なお侍さんだ」
「いえ、僕なんてまだまだ…。沖田くんなんてやめてください。それじゃァ姉上と被っちまう」

謙遜する沖田が言った言葉に、また名前の動作が止まる。姉上。沖田ミツバ。頭の中の考えが途端にぐちゃぐちゃになった。「名前さん?」と自分を呼ぶ声を聞いて、名前は沖田を見た。

「そ、そうだね。じゃあ、総悟くんって呼ぼうかな。そーちゃんじゃ、子供っぽいよね」
「俺は別にそーちゃんでも。何だかあの頃みたいで懐かしいっす」

名前は思わず手を握った。照れたような表情をする沖田を見て、憎しみに近い強い感情を抱いた。沖田はもう君しかいない、あの頃には戻れない。そう言ってしまえば、彼はどんな顔をするのだろうか。姉上姉上とミツバを慕っていた男だ、今度こそ激昂するかもしれない。「そうだね」名前は力無く言った。手からも力を抜いた。言葉を並べる勇気もなかったし、なによりこれ以上沖田と話していたくはなかった。

「ごめん、やらなきゃいけないことがあるから」

名前はそう言うと、後ろを向いた。奥には事務室のような小さなスペースがある。その入り口に仕切りのためにかかっているのれんをくぐった。「また来ます」と沖田の声が背中に聞こえたが、振り向くことも、言葉を返すこともしなかった。




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