慌てた様子で自室に駆け込んできた私に、高杉くんは視線を向けた。走ってきたため、私のおでこには汗が滲んでいて、髪の毛も少し乱れている。息も絶え気味に高杉くん、と名を呼ぶと、彼は相変わらずの低く重みのある声で「どうした」とだけ言った。高杉くんはクールだ。私の元に歩み寄って来る姿は、月明かりに照らされて、神様か何かだと言われても納得できるかもしれないくらいに美しくて、気品を感じてしまう。側に来た高杉くんは、私を見下ろす。彼の片目と視線が合って、思わず息を呑む。

「これっ、すごくない?ヤクルコサワー!ヤクルコの、お酒!最強じゃない?!」

私は手に持っていたものを高杉くんに見せる。ヤクルコサワー、と表記されているペールオレンジ色の飲料缶だった。販売員のように明るい声で飲料缶を見せびらかす私に、高杉くんは少し黙って、それから「それだけか」と言った。私はその反応に不満を持つ。高杉くんはヤクルコが好きだ。昔からよく飲んでいる。味か好きなのか栄養分的に好んで飲んでいるかは聞かなかったけれど(彼は他の男子と比べて身長が低いことを不満に思っている可能性があると聞いたことがあるから)とにかくよく飲んでいることは確かだった。それに加えて、彼はお酒も飲む。お酒を飲みながら煙管をふかして、たまに三味線を弾く。雅だ。雅すぎる。他の人間がやるとかっこつけと思われるかもしれない組み合わせでも、高杉くんがやると何でもキマってしまうのだ。

「ヤクルコもお酒も好きな高杉くんのために折角取り寄せたのに。港じゃ人気らしいよ?これ」
「余計な世話だなァ」

高杉くんは少しだけ笑っていた。機嫌が悪いわけではないようだった。けれど買ってきたお酒をこのまま無駄にするわけにもいかない。私の心遣いも含めて高杉くんには是非飲んでもらいたい。カシュ、とグラスも用意せずに私はプルタブを引っ張る。匂いを嗅げば嗅ぎなれた乳酸菌飲料の匂いに、少しだけツンとしたアルコールの気配を感じた。「はい」と礼儀も作法もなく、私は酒を押し付ける。

「一口、一口だけでいいから飲んでみてよ。美味しいよ。美味しくて常識変わるかもよ?」
「安い常識だ」

私の強引さに観念したのか、彼は私の手からヤクルコサワーを手に取る。高杉くんの手に渡った瞬間、缶が小さく見えた。そのまま一口、彼はヤクルコサワーを口に含んだ。ごくり、と喉が動くのを私はじっと見つめる。彼は私の視線に気づいているようで、すぐに口を開いた

「何だ」
「…や、なんか、高杉くんが一本100円の安酒缶サワー飲んでるの、どきどきしちゃうね」

そう言うと、高杉くんはあからさまに「は?」と言わんばかりの表情をする。いや、私の耳に届いていないだけで実際に言っていたのかもしれない。確かに自分でも変なことを言ってしまったな、とは思った。だが、いつもお高い日本酒なんかを飲んでいる総督様に、こんな庶民の安酒をグラスに注ぎもせずに飲ませてしまった罪悪感と背徳感が私の口を開かせたのである。時間が経つに連れ、恥ずかしさが襲ってきた。私は誤魔化すように大きな声を出す。

「そんなことより、味!どう?!美味しい?!」

私の言葉に、高杉くんはもう一口ヤクルコサワーを飲んだ。これは、美味しかったと言う意味だろうか。彼は素直なタイプではないから、きっと言葉より行動で示したということだろう。なーんだ、美味しいじゃん。と先程までの恥を私は忘れる。きっと今の私はドヤ顔だ。ヤクルコサワーが高杉くんの喉を通るのを眺める。しかし予想外に、ヤクルコサワーは喉を通らなかった。高杉くんは少し背中を曲げて、私との距離を近くする。私の身体に影が射した。目を見開いて、驚きを全面に出す。だってこの距離、キスするみたいな距離じゃないか。そう思えたのも一瞬で、彼は本当にそのまま私の唇に自分の唇を合わせた。突然のことで閉じることもしていなかった私の口が、すぐに濡れた。唇の端から少し溢れたヤクルコサワーは、まだ炭酸は抜けていなかったようで、小さな気泡が弾けている。

「ん、ッ…ふ」

温くなったお酒を飲み込む頃には、私はロクに息ができない状態で、先程よりも頬は熱くなっていた。高杉くんは満足そうに私の唇の水滴を舐め取って、口を放した。

「とんだ安酒だなァ、お前もそう思うだろ」
「…わ、かんないよ、味なんて…」

拳を握りしめて震える私に、高杉くんは「まだ飲むか?」と缶を揺らした。

まだまだ中身が入っているそれは、ちゃぷ、と音を鳴らして、飲んでくれとアピールしているようだった。





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