制服の上着をファミレスに置いてきてしまったが、きっと沖田さんが回収してくれるだろう。彼が素直に渡してくれるとは思わなかったが、予備は見廻組の屯所に戻れば何着かあるし、問題はなかった。ただ、風がいつもより冷たいと、そう思った。

真選組屯所に戻らなければならなかったが、足はふらふらと行く宛もなく彷徨うだけだった。気づけばわたしはかぶき町に居た。まだ日が明るいため、ネオンライトは眠っていたが、人通りは多かった。その人混みに紛れるように歩いた。ただ紛れて、このまま私という存在がいなくなってしまえば、と少しだけ期待した。
だが、その期待は身体に走った痛みが打ち砕いた。正確には、手の甲の痛みだった。一瞬、鋭い痛みが走ったあとに、鈍くじんじんと痛み始める。視線を向ければ、手の甲が切れていた。綺麗に赤く一の字が描かれていた。そう深い傷ではない、よくある怪我とそう変わりないものだ。毒の気配も感じない。そう思ったが、この傷は何者かが意図的に私を襲ったという証拠に他ならなかった。

何者か。見廻組に敵対するものか、私個人に怨みを持つものか。私はすぐに振り返る。人混みの中で、キラリと光るものが見えた。私は手を伸ばし、それを持っている人間の腕を掴む。細くて白い腕だった。女だ。私は視線を腕から顔にかけて辿る。紫色の髪の毛に、赤縁の眼鏡が見えた。

「……何してくれるんですか猿飛さん」
「いやね、かぶき町に見慣れない干からびたゾンビみたいなヤツがいると思ったら名前さんだったのね、あー危なかった。かぶき町のジル・バレンタインになるとこだったわ」
「勝手に人でバイオハザード始めんなァア!!」

私に闇討ちのような真似を仕掛けたのは、猿飛あやめだった。彼女はおそらく、かぶき町周辺に滞在している。そのため、暫くかぶき町を訪れなかった私とは必然的に会わず、今日が久々の再開とうことになる。再開を望んでいた訳では、ないのだが。

「相変わらず辛気臭い面なのよ、アナタ。そんなんで主人公やれてるのかしら?!そこのポジ変わりなさいよ、私が全部やるから。トリップも転生も特殊技能持ちも記憶喪失も全部やるから!」
「何の話だァア!!いい加減にしなさいよほんと!!」
「あ、けどアレは駄目ね、逆ハー。私銀さんにしか興味ないから。銀さん落ち一択だから。ルート分岐とかされても意味ないから」
「やめろ!!もうやめろォオ!!」

猿飛さんの口を塞ぐ。彼女はまだモゴモゴと何かを喋っているが、私の手のひらに温もりが伝わるだけで言語にはなっていない。そのまま彼女を人通りが多い場所から連れ出す。あんな目立つ場所で喧嘩まがいのことをしたくはなかった。猿飛さんにもその思いは伝わったのか、途中で彼女は静まり、私の手を振りほどいた。そして、付いてきなさいと一言、私の前を歩き始めた。
たどり着いた先は公園だった。子供が遊んでいる姿はあるものの、広々としたスペースにおいては、私達の周りには誰もいなかった。遠くに白い犬が見えた。犬の散歩でもしているのだろうか。いや、それにしてもあの犬、大きくないか?遠近法の概念を疑った。

「…私も暇じゃないんです。お前の奇想天外行動に付き合ってられないんですよ」

彼女のあまりにもツッコミどころが多い言動と行動に、理性なんてものが働かなくなってきた。言葉が汚くなっていくのを感じる。ちなみに、沖田さんに対してもこの現象は起こる。彼も私の冷静さを削ぐ天才である。

「いい感じに本性が見えてきたわね。正直になっちゃって。貴方、敬語とか似合ってないのよ」

彼女はそんな私の姿を、本性と言った。随分な言い草ではないか。せめて素だとか、ありのままと言って欲しかった。

「銀さんにもそうしていればいいんじゃないの」

猿飛さんは言う。

「はぁ?どういうことですか」

彼女の言葉に、無意識に語気が強くなってしまう。彼女の言う言葉の意味なんて、本当は自分が一番よくわかっているはずなのに、わからないふりをしていたくて、無駄な問いかけをする。

「最近顔を見ないと思ったら、辛気臭い顔になって。私と銀さんのヴァージンロードの邪魔なのよ。前みたいに能天気な顔してた方がまだマシだわ」
「何も知らないくせにいい加減なことを言わないでくれますか」
「知ってるわよ。私がどれだけ銀さんと一緒にいると思っているの」

多分彼女は、私と坂田さんが今どのような関係なのか、私が今何に悩んでいるのかも知っているのだろう。猿飛さんは私を見つめる。レンズの先の瞳はまっすぐな目だった。
私は今までの人生、人に好き嫌いだとか言う感情を大きく持ったことはない。家族も、仕事の人間も。そんな私が、なぜこうも目の前の女性にいらいらとさせられるのか。それは嫌悪や憎悪ではなく、ただ羨ましいだけなのではないかと、私は今ようやく理解できた。
純粋にまっすぐに、好きな人に好きだと伝えることができる。護ることができる。その姿に、私は今までの自分の中にはないものを見出している。自分では出来ないことを軽々とやっているこの女が、羨ましい。

「私だって、迷ったこともあったわ。男に懸想なんてして仕事ができるのかって。浮かれて大切なものを失うんじゃないかって」
「…」
「でも、私は変わらず銀さんを愛するわ。だって、大切な人がいた方が、それを護るために大切な力を発揮できるじゃない」
「もし護らなきゃならない人を、好きな人を、斬らなければならないなら?使命と愛を、どちらかって選ばなければならないなら!?」

懇願するように私は問いかけた。猿飛さんは、しばらく何も言わなかった。レンズが反射して、その瞳を見ることは出来なくなっていた。遠くで遊ぶ子供の声だけが聞こえた。犬の鳴き声も聞こえる。わんわん、と甲高い鳴き声が妙に頭に響いた。

「どっちも護りなさいよ」

猿飛さんは言った。

「どっちも、って…」
「悩むくらいなら、どっちも護れるくらい強くなるしかないのよ。あなたも私も、ただの町娘じゃないんだから」

猿飛さんの手には苦無が握られていた。私の手に傷をつけた、人も殺せる恐ろしい武器だ。呼応するように、私は腰に差している刀に触れた。何度も握ったその柄は、公園という平和な場所であるにも関わらず、私の手に馴染んだ。

この刀で、私の心で、どっちも護れるくらい強くなる。

そんなことが、できるのだろうか。大した志も持たず、ただ従うのみで、空っぽの正義を振りかざしていた私に、そんな強さを得ることができるのだろうか。地面を見る。乾いた土の上に、石ころがいくつも転がっている。その石ころに自分を重ねてしまいそうで、私は目を瞑る。暗くなった視界で、屋上で出会った坂田さんのことを思い出す。あのとき、私がもっと強ければ、もっと別の形で事件は解決できたのだろうか。そう思った。けれどやはり、あの時にした行動以外の選択肢は見つからなかった。私は非力で、弱く、そしてー

「1人じゃないわよ」

届いた声に、目を開いた。

「少なくとも、銀さんが他の誰かと結婚したときに、一緒に泣いてやる女くらいはいるわよ」

まぁ、そんなことは万が一にもありえないんだけど、私もう銀さんと8回くらい結婚してるし?と、最後に悪役のような高笑いを猿飛さんはした。

「私と銀さんの結婚式では、あなたにブーケトスしてあげるわよ!あなた友達いないんだから、そんな経験今後もないでしょう?精々引き出物の菓子でも食べながら惨めに受け取ることね!」

公園に響くような大声で、彼女は誇らしげに言った。相変わらず、支離滅裂な言動だった。そんなんだから、お前は坂田さんに邪険にされているんだよと伝えたかった。けれどどうせ伝えたところで、彼女はめげることなどないのだろう。今日も明日も明後日も、きっと彼女は愛を伝える。それが、私の知る、皆の知る、猿飛あやめの姿だ。

「…猿飛さん」

私は小さく呟く。高笑いをしている彼女には届かないような声量だ。すぐに空気に吸い込まれた。私は、刀を握る手に力を込めた。私の気持ちに答えるように、音を鳴らした。

「結婚式だのブーケトスだの……妄言も大概にしろぉオオオ!!!!」

猿飛さんに向かって振るった刃は、彼女の苦無によって受け止められた。鉄と鉄がぶつかる甲高い音が聞こえた。戦場の音だった。

「なんで私がお前みたいな変態ストーカーに慰めされてるみたいになってるんですか、何どさくさに紛れて8回結婚式あげてるんですか、何友達みたいな面してくれてるんですか」
「友達なんかじゃないわよ」

猿飛さんのもう片方の手にも苦無が握られていた。それを目にした瞬間、私は彼女と距離をとった。案の定、先ほどまで私が立っていた場所に苦無が突き刺さっている。地面の石ころは、私と彼女の喧嘩の中で、飛んで行ったのか砕けたのか、その姿は見当たらなかった。

「私たち、お互いが嫌いな、ただの好敵手じゃない」

赤縁の眼鏡をくいっとあげた。眼鏡っ娘らしい動作だった。刀を握ったまま、私は笑った。はは、あっははは、と。彼女の言ったように、今までロクに友達すらいなかった私に、好敵手、ライバルなどという存在ができるなど。更に言うなら、友達を作る前に恋もしている。おかしな話だったけれど、簡単な話だった。私はただ、順番を間違えただけだったのだ。地図を持たずに道を進んでしまった。教科書を読まずに勉強をしてしまった。
今ならまだ、戻れるだろうか。ごちゃごちゃになった順番を、解いて元に戻せるだろうか。ひとしきり笑って、私は言う。

「じゃあね、あやめ。私の好敵手さん。次坂田さんに変なことしたらマジで刺す」
「さよなら、名前。次銀さんに色目使ったら縛る」

私は刀を鞘に収めて、歩き出した。




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