やってしまった。
後悔しても時は戻らず、日よ昇るなと願っても無情に夜は明ける。

「なんっで、あんなこと言っちゃったかなぁ…」

朝から何度ついているかわからないため息をつく。手に持つ筆の動きも止まる。
お花屋なんて。幼稚園の将来の夢Best3にも入ってない。

警察。

私の夢は昔からただ1つである。そして、今の私は夢を叶えている。
見廻組。江戸を護る警察組織。名門の良家より秀英をよりすぐり構成されたエリート組織。
かくゆう私も、実家は名門と呼ばれる一家で、親からは正しい愛と正しい教育と正しい正義を受け継いだ。驕り高ぶることはしてはいけないが、誇り高くあるべき姿を私は毎日目指している。それなのに私は、誇るべき職をあろうことか隠してしまったのである。

「バレたら嫌われるよな…あー…なんでこんなことに…」

生まれてはじめて己の職を呪った。私が本当にお花屋さんだったら、今頃は坂田さんのために花束を作っているだろう。彼はきっと花になんて興味はないけど、それでも大事にしてくれる。生憎、私の生活は薔薇の棘を手入れするように、斬った斬られたを繰り返す毎日なのだが。

「浮かない顔ですねえ、名前さん」
「!局長…」

突然の呼びかけに、わたしはハッと意識を戻す。顔を上げ、私に声をかけた人物を見る。
見廻組局長、佐々木異三郎。私の上司にして「三天の怪物」と呼ばれる彼に、私は日々畏敬の意を向けている。ただ、大量に送られてくるメールがうざい。どうでもいい内容ばっかりだし。いちいち返信していたら味を占めたのか、ここ最近は更に量が多い気がする。訴えようかな。あいや、警察ここだった。

「申し訳ありません…。仕事に支障はないように勤めますので」
「いえいえ、いいんですよ。貴方が仕事熱心なのは充分に伝わっています。信女さんなんてメール返してくれないんですよ」
「私の仕事はメール返信じゃないんですけど。メールで稼いでたら私の職業チャットレディみたいなモンなんですけど」
「いやね、私は心配しているだけなんですよ。貴方は確かに仕事熱心で、こうして信女さんの残した書類仕事にも勤しんでいますが。同時に情に弱い所がありますから」
「情に弱い…ですか」
「ええ。エリートならばいつでも効率的に要領良く仕事を果たすべきであることを覚えておきなさい」
「…はい」

頷くことしかできなかった。情。それに私はどうやら弱いらしい。今までの私ならばそんなことはない、私は局長と志を共にすると豪語していたものだが、現在の私にはその資格はない。恋煩いに影響されて嘘をつき、こうして仕事中にもため息をついてしまっているのだから。公私混同など社会人としてあるまじき行為である。気合いを入れ直すために私は軽く頬を自分で叩く。よし、と呟いて筆を握り直す。

「差し入れ」

瞬間、書類の上に長方形の箱が置かれる。今まさに役目を果たさんとしていた筆は行き場をなくし宙に彷徨う。

「副長、そこ書類の上です」
「見えない」
「見てください。確かに副長の目には光ないですけど、頑張れば見えます。見えないものを見ようとしてください。天体観測してください」
「おや信女さん、おかえりなさい」

書類をくしゃくしゃにした犯人は、ちらりと局長に顔を向ける。
見廻組副長、今井信女。私の直属の上司であり、組織内で数少ない同性でもある。その目に光はなく、いつだって目標を斬るために動く彼女のことを、私は少し死神みたいで怖いと思う。エリートはエリートでも、殺しのエリート。局長は彼女のことを暗殺部隊から引き抜いたと言っていた。家柄に関係なく副長という座に彼女がいるのは、ただただ彼女の強さ故だろう。

「ポンデリングは私の」

だが目の前でポンデリングを頬張る今の彼女に、死神としての姿は見えないように思える。何を考えているのかはわからないけれど、ドーナツを頬張る彼女は年相応の女の子であることは確かだ。
私は副長が買ってきたドーナツの箱の中を見る。食べられるのを待つように一列に揃う丸いドーナツ。だが、その列の最後尾は、そこまでの整列を乱すような姿をしていた。

「名前はセイボリーパイでしょ」

四角いセイボリーパイ。中にフランクフルトが入っていて、香ばしいそれは甘さなんて感じるものではない。

「あ、ありがとうございます」

副長は私が甘いものが苦手なことを知っている。だからこうして、ドーナツを買う時には私のために甘くないドーナツを買ってきてくれるのだ。私はそんな副長の姿を見ると、本当にこの人は人斬りなのかと、一瞬疑問に思ってしまう。確かに私は副長のことを怖いと思うけれど、それ以上に尊敬しているし、好きなのだ。

書類を机の端に避難させ、空いたスペースに紙ナプキンを敷く。そしてセイボリーパイを手に取る。いただきます、と一口。あまりにもサクサクとした食感に、焼きたてをそのまま持ってきたのではないかと錯覚する。…いや、副長めちゃくちゃ足早いし、店から直にここまできたのならば、それは最早焼きたてなんだろうな。

「美味しいです、副長」
「そう」

信女さん、私にも1つ、という局長の声を聞きながら、私は聖ボリーパイを食べ進める。
この仕事は楽ではないけれど、私は確かに自分で望んでこの場にいる。
いつか坂田さんについた嘘を謝ることが出来たら良いな、と私は漠然と思うのであった。




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