「へえ、前は会社勤めてたんだ」
「そうなんです」
「わかるよお、会社って大変だよねえ、おじさんもさあ」
あれが大変だの上司がどうだの喋っているお客に、ステアしたお酒が入ったグラスを渡す。
すなっくスマイルで働き始めてからも幾分の時が過ぎた。最初はびくついていた私だったが、よくよく考えれば、愛想よくおじさんの話を聞くということは営業のようなもので、慣れてしまえばそこまで苦しくはなかった。
もちろん、まだまだルーキーである私は先輩嬢が来るまでのお客の繋ぎだとか、指名なしのお客についたりすることしかできないが。
「聞いてるゥ?!」
「っわ」
ただ、営業と異なる点があるといえば、相手にアルコールが入っているという点だ。お酒は人を狂わす。さっきまで意気揚々と会社の愚痴を零していたサラリーマンのお客は、私の肩を寄せ距離を詰める。驚きと少しの恐怖が私の頭を埋める。穏やかにお喋りをする程度なら慣れたものだが、こうお酒が入った人に絡まれるのは未だに慣れない。しかも、それが男の人なのだから尚更である。手でお客の肩を押し制止する私に構わず、距離を詰められる。私の微笑みが耐えるのもそろそろ限界だ。お客の口から発せられる言葉と酒臭さに顔をしかめそうになる。
「お、お客さん、聞いてますよ、ふふ」
「ええ、ほんとォか!?」
そしてお客は肩に置いていた手をそのまま下ろす。胸のあたりで止まったその手の指は必要以上に動いていて、胸を揉むような仕草である。ていうか、もはや揉んでいる。
「お客さん、あの、」
「ここはおっぱぷじゃないですよ」
がしり、と私の胸を揉んでいた腕が何者かによって掴まれる。
「胸が欲しいなら…ママに会いに田舎に帰ンなァア!!」
「うわあああああああ!!!」
そのままお客は投げ飛ばされた。
ガッチャーン!!!と大きく食器が割れる音が店内に響く。
投げ飛ばされたお客を見れば意識がないようだ。
「大丈夫ですか」
「あ、ありがとうお妙ちゃん…」
力強い一撃を見せてくれた人物に私はお礼を言う。その細腕にはどこにそんな力があるのかと疑いたくなるもので、顔だって美少女そのものである。
お妙ちゃんは年こそ私より下であるものの、この「すまいる」においては先輩である。とても気がいい人で、私はこの子に色々と指南を受けたものである。たまに信じられないくらいの暴行をしている様子を見かけるが、あまり触れないようにしている。怖いから。
先程までの蛮行などなかったようにお妙ちゃんは微笑んでいる。
「ああいう人は思い切りいったほうがいいですよ。ッネ」
「はは…」
愛想笑いをすることしかできない。
「いやッネじゃねーよ。ここ闘技場?目と目が合ったらバトルする約束でもあんのか?」
私がお妙ちゃんになんともいえない気持ちを抱えていると、先ほどまではなかった男の人の声が聞こえた。お妙ちゃんに隠れて見えなかったが、人がいるようだった。
見上げればそこには、倒れたお客を見やる銀髪の頭の男がいた。
「あ…」
「あら銀さん、来てたんですね」
「銀さん」だ。いつもと服装は変わりないし、お妙ちゃんも「銀さん」と呼んでいから、間違いない。お妙ちゃんとも知り合いだったのか。おじさんとも仲が良かったし、「銀さん」は社交的な人なのかもしれない。しばらく見つめていると、私の視線に気づいたのか、「銀さん」も私を見る。
「ん?…あ、お前。え、あれ?」
「銀さん、名前さんのこと、知ってるんですか?」
「知ってるっつーか……あれだろ、団子屋の」
「銀さん」は私を見て不思議そうな顔をした。
その後は、私に興味をなくしたのか頭を掻きながら視線を逸らした。
「名前さん、銀さんの知り合いなら丁度良かった。今暇でしょう?このロクデナシの相手をしてくれるかしら」
「っえ」
「誰かロクデナシだ。言っとくけど今日の俺は昨日までの俺と違うからね。今日は俺勝ってるから。いやぁ、やっぱ借りパクしてた傘戻したのが効いたな。善行はするべきだぜ。あとこいつは今お前が暇にしたんだからな」
とんとんと進む会話についていけない。私が「銀さん」を接待する…ということだろうか?
パー子さんと似ている「銀さん」と話してみたい気持ちはあった。しかし、私はよくても、彼は他の女の子の方がいんじゃないだろうか。ここはキャバクラだ。私より可愛い子もお喋りが上手な子もごまんといる。知り合いというほど知り合いでもない。
自分では役不足な気がしてならなかった。
「あの、私じゃ…」
「ということは俺がお妙さんと相席ってことだな!!っはっはっは!!」
「どこから湧いてきたんじゃァアアア!!!」
ガッシャーン!!!
唐突に現れた男。
その男を投げ飛ばすお妙ちゃん。
地に伏す男。
あまりにも一瞬の光景に最早鮮やかさすら感じてしまう。唐突に現れた男は、周囲の机や食器を巻き込んで血まみれになっている。店内の一部がめちゃくちゃな状態である。
恐る恐るお妙ちゃんを見れば、その背後には黒いオーラが見えるような気がした。
「ほんっと動物園って、施錠管理が甘いのかしら」
拳を合わせて戦闘態勢に入っている。正直めちゃくちゃ怖い。お妙ちゃんはそのまま男の方へ向かった。恐らく最終駆除を行うのだろう。
残されたのは私と「銀さん」である。
「…卓変えましょっか」
「そーね」
大の大人が、可愛い顔をした女の子にぼこぼこに殴られているという異常な光景を眺めながら、私は「銀さん」と初めて言葉を交わした。
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