会社をやめた。

 退社宣言をしてから数日携帯電話が鳴ったが、それも全て無視していれば収まった。
晴れて労働という枷から解放された私は、江戸の町を散歩しようと外にでる。
ずっと江戸に住んでいたのに、ゆっくり散歩する機会なんてなかった。少し歩いただけで、そこは未知の世界のようで、いかに自分が閉ざされた世界で生きていたのかを痛感させられた。
 公園に行くと、尋常じゃない大きさの白い犬がいて、近頃の犬はあんなに大きいものかと驚嘆する。あと、ベンチにはおじさんが座っていた。

 しばらく散歩をしていると、私はふと甘いものを食べたくなって、商店街に寄った。目についた団子屋に入り、美味しい団子を堪能する。みたらしにあんこに、ごま。身体に染み渡る美味しさ。暖かいお茶に泣きそうになった。

「美味しそうに食べてくれますねえ。ありがとうございます」

 をかけてくれたのはお店のおばさんだった。お茶のおかわりを持ってきてくれたのだ。ありがとうございます、とお礼をいっておばさんを見る。優しそうなひとだ。目が合って、微笑まれる。人の暖かさを感じるやりとりに私はまた泣きそうになった。

「あなたみたいなかわいい子がお店にいればいいのにねえ。ああでも、そしたらあの人が仕事しなくなるかもね」
「そ、そんな」 

 ふふ、と笑いながらおばさんは店奥に目線を向ける。そこには、店主でもあり夫でもある男の人の背中があった。夫婦で切り盛りをしている団子屋だったらしい。

「今日はお仕事はお休み?」
「んッ。いや…実は先日辞めちゃって…今は無職です」

おばさんの言葉に団子が喉に詰まりそうになる。

「あらあそうなの。新しいところは探しているの?」
「それもまだで…なんか、三徹とかなければどこでもいいんですけど」

三徹?と首を傾げるおばさんに少しギャップを感じて、悲しくなる。

「じゃあよかったらウチで売り子とかどう?1人欲しいなあと思っていたのよ」
「え…」

多分三徹?はないわよ。と優しく微笑むおばちゃんに串を落としかける。まさかの勧誘に、驚きを隠せない。団子屋で、アルバイト。想像もしていなかった展開に私は言葉を詰まらせる。

「ああいや、もちろん無理にではないのだけれど」

ーどっかの看板娘でも目指せよ。

ふと、頭の中に昨晩の言葉がよぎる。私に会社をやめるきっかけをくれた人の言葉だ。

「や、やります!ここで看板娘目指させてください!」

いきなり立ち上がった私におばさんは少し驚いていたようだが、またすぐに微笑んでくれた。
そしてありがとねえ、と団子を一本サービスしてくれた。





「いらっしゃいませ」

 にこ、と笑う。大事なのは、奉仕の心と愛想。…ナース服は知らないけど。
団子屋で働くようになってから数週間。以前までの日常とは打って変わって、私は平和かつ、幸せな日常を過ごしていた。団子屋のおじさんとおばさんは私を暖かく迎えてくれて、労働条件も私の希望をすごく親身に聞いてくれた。お客さんだっていい人ばっかりで、常連さんと仲良く話すおばさんを見ていると、江戸の町の良さを感じることができた。

「団子3本くれ」
「はい!3本ですね、少々お待ちください」

 それに、お客さんの中にも気になる人ができた。好きとかそういうものではないけれど。
その人はいつも白い着物を片腕だけ通して、皆が足袋の中、珍しくブーツを履いている。和装と洋装が混じっているような不可思議な格好をしている人だった。しかし、私が一番に目についたのは髪の毛だ。
銀髪なのである。
しかも天然パーマ。多分。そう、まるでパー子さんのような髪の毛を持つ人で、私はこの人がお店にくると、パー子さんに会えたような気がして少し嬉しいのだ。
男の人は苦手だけれど、私にとって目を惹く人物であった。

「親父にツケといて」
「こらあ銀さん、またか?」

私から団子が乗ったお皿を受け取ると、銀さんと呼ばれているその人は、店前の座席にどっかりと座った。おじさんと銀さんは、知り合いらしく、よくツケがどうこうとか、味がどうこうとかを言い合っている。

「お茶です」
「どーも。……」
「?あの、何か…」

 私がお茶を差し出す。すると「銀さん」は私をじっと見つめる。実はこれは初めてのことではなく、会計の時や私が団子を包んでいるときなども、よく見つめられている気がする。

「いやあ、やっぱ寂れた団子屋も看板娘1つで映えるなって思っただけよ。俺ンとこも若ェ女がいればなあ」
「銀さんとこにも神楽ちゃんがいるじゃねえの。名前ちゃんはやれねえなあ」
「いやあれは看板娘ってか看蛮娘だから。蛮族の頂点で女でもねーよ」

「銀さん」は視線を団子に戻して、おじさんと会話を始める。彼はおじさんと話し込むことが多くて、私は未だまともに話したことがない。
 彼が店に来るたびにパー子さんのことを思い出す。私の人生を変えてくれたパー子さん。別に彼女からしたら何の気なしのアドバイスだったのかもしれないけど、結果、私は今自由に生きることができている。

「…今夜行ってみようかな。かまっ娘倶楽部…」

もしそれでパー子さんがいたら、ちゃんとありがとうございますと言おう。
また飲みつぶれて一緒に畳に転がりたいと思った。





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