「う゛、それで、私の管轄外なのに!監督不行届とか言われてェ!!うえ、いっぱい謝ってェ゛!!!なのにミスした本人はお礼すら言わないで!!」
「残業残業ばっかだし!!!残業どころか始業前に来ればタスク終わるよね?とか言われるし!!う、つらいよぉ゛…」
「もう働きたくないよ…ぐ、う゛、っひく、っウ゛…」

 数時間後。
その場にいたのはむごたらしく泣く一人の女だった。
私ではないと信じたかったが、どう考えても私以外の何者でもなかった。座卓には少しの刺身盛りと片手の指の数以上に開けられたビール瓶が乱雑に転がっている。手に持っているグラスの中ももう数センチしかない。

「ない…お酒…」

グラスを傾けながら呟く。身体は熱くてふわふわした感覚だ。
自分がちゃんと動けいるかの自信がない。

酔っ払った。こんなはずじゃなかったのに。

残りのビールを飲み干して、近くにあったおちょこを手に取る。もはや本能がこの日本酒を飲めと訴えかけてくる。ぐっとおちょこを口元に寄せる。

「それ俺の」

しかし、日本酒が私の喉を通ることは叶わなかった。
おちょこを持つ私の手が、横から掴まれたからである。手から辿って顔を見る。正直、視界もぼやけているため、鮮明に見えてるとは言えない。ただ、私の手を掴んだ人が、薄い桃色の着物を着ていることと、真っ白な髪の毛をしていることだけはわかった。

「あれえ、ヅラ子さんいつの間に羅刹化したんですか」
「いやしてねーよ!!確かに白髪灼眼みてーなモンだけど!!確かに周りにゃ羅刹よりも恐ろしい化け物しかいねーけどァ゛アッブ!!!」

どこからか飛んできた瓶ビールが頭に直撃している。痛そう、とぼんやりした頭で考える。しかし当の本人はいてて、と頭をさすっているだけである。頑丈な人だ。

「ってーなオイ…。おねーさんわかる?俺…アタシパー子。ヅラ子ならあっちで腰振ってるよ」

パー子さんは指をさす。その先ではステージ上で確かにヅラ子さんらしき人が扇子を携えて踊っている姿が見える。うん、多分ヅラ子さん。
目を細めながらステージを見る私の手から、パー子さんはおちょこを取り上げる。

「随分鬱憤が溜まってんなあ、おねーさん息抜きとかしねえの?便だけじゃなく息の通りまで悪くなっったらしめーだぞ」
「息抜く時間なんて、うえ…ないですよぉ。ずっと会社会社会社…!明日も明後日もその次もお゛…」

 煌びやかなステージで気が逸れていたが、パー子さんの言葉で会社の存在を思い出してしまった。酔っ払っていても、会社の存在は心に強く刻まれているらしい。なんだっけそれ?とは言えないあたりに、また涙が出てくる。
 パー子さんはそんな私を見て小さなため息を吐いた。そして頬杖をつきながら言う。

「じゃあ辞めちまえば?」
「ッ…!」

あっさり。
私が抱える問題すべてを解決する真理の答えを、パー子さんはなんのこともないように言う。

会社を、やめる。

「や、辞めるなんて…」
「なんで?」
「何でって!そりゃ、迷惑かかるし、怒られるだろうし、…」
「迷惑なら今お前がこうむってるじゃねーか。寿命削るくらい辛ェ以上の迷惑なのか?」
「でも…」
「怒るつってもどーせ上司なんて小さい希望頭に抱えてるだけのオッサンだろ?退職届バーコード頭に挟んでこい!」
「いや…」
「お前、何のために働いてんの?」

 何も言えなかった。
私を見つめる瞳は光なんて入ってなくて、社会の荒波なんて露ほども知らなさそうだ。そんな人に何を言われても、心になんて響かない。はず、なのに。
きっとお酒のせいだ。お酒を飲みすぎてしまったから考えがまとまっていないだけだ。ここで頷いてしまえば、今まで一心不乱に働いていた自分を否定してしまうことになってしまう。だから私が言うべきは、「あなたに何がわかるんですか」という言葉だ。
 しかし、今の私の喉から出るのは嗚咽だけだった。

「なんの、ため…」

やりがい?そんなものはない。
スキルアップ?技術を上げてどうするんだ?
お金?確かに大事だけど、使う時間なんてないだろう。

ずび、と鼻をすする。涙も止まらなくて、ただでさえ仕事帰りでひどい顔が、さらに酷いものになっていることだろう。

「自由に、生きたいです…」

絞り出た本音に、パー子さんは満足気に笑った。




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