crescendo






そのメロディーには聞き覚えがあった。

(ルコ?)

違う。その声の持ち主は違う、けど、この曲は

(OverDrive‥‥)

忘れもしない。知らない訳がない。覚えがあるに決まってる。
それは嘗て、ミクオがみんなと、ミクとネルとルコと、一緒に作った曲であった。懐かしい、未練がましくスコアは全て、綺麗にファイルにしまってある。立ち止まって、らしくもなくぼーっと聞き入ってしまっていた。
すると歌声は消え、変わりに低音のエイトビートが聞こえた。ゆっくりと刻まれるそのエイトビートに合わせ、また歩きはじめる。音階を辿るような、しかしそれはコードに沿われ、一小節ずつ音が変わる。
そのコードは、その低音はやはり、自分たちの作った一曲のものであった。

音楽室に辿り着くと、ドアが少し開いていた。そこから、音が漏れていた。
一体誰が?そう思って少し開いた隙間に指を引っ掛け、ゆっくりドアを開くとそこには

「リンちゃん‥」

後ろ姿だけで分かる、黄色の目立つ髪に、白いリボンを揺らし、その子は顔を真っ赤にしてこちらを向いた。

「ミ、クオさん‥!うあ、えと」

いきなり開いたドアの前に立つ、先輩の姿にリンは焦り、ばばっと肩にかけたそれをおろして後ろに隠し、目を泳がせた。

「ベース、練習してたの?」
「あ、っと‥、ハイ‥‥」

なにもかも見られていたと分かったリンは、観念したようにその後ろに隠し持ったベースを前に出した。
何を言われるかと思ったか、リンは言い訳のような、弁解をはじめる。

「‥下手、なのは、分かってるんです。時々、レンがいないうちにここに来て、勝手にベース借りて、練習してるんですけど、ちっとも、できなくて」

リンは本当に恥ずかしそうに、ベースを抱きしめるようにして縮こまった。

「音は、あってたよ」
「へっ‥?」
「耳コピ?」
「や、えと、でもこの曲、ベース難しいから、全然弾けなくて、だからコードに合わせて‥‥」

机に広げてある紙をせかせかと、なにをするでもなく触りまくるリンを見て、ミクオは笑った。

「絶対音感、あるんだ」

リンの近くにあった椅子を引っ張り出し、ミクオは座ってその紙を奪った。あっ、とリンの声が漏れたが気にしない。有無を言わさないその態度、そこは先輩の権限だ。
その紙にはOverDrive、と、やはり自分たちの作った曲のタイトル、そして恐らく彼女の手書きであろう歌詞が書かれていた。その上に、カタカナながら殴り書いたようにオトが書かれ、それも恐らく、彼女の手書きであった。
そのオトは、自分の弾いていたベースライン。細かなところまでは音を取り切れなかったのか、なにやら暗号のようにぐちゃぐちゃと書かれている。そして色のついたペンで、アルファベット‥コードが書かれていた。

「楽器、なにかやってたの?」
「昔、ピアノやってて‥、だから少し」
「そっか」

元気な娘だと、思っていた。
脳天気というか、自分と真逆、彼女の眩しさは正直、鬱陶しいものがあった。悩みなどない、苦労などしなくとも全てのものが手に入り、全てのことが上手くいっていたかのような、世間知らずさ、苦労知らずさがあったのだった。
だからこそ、彼女がベースをやってくれないかと頼みにきたときには頑なに拒否をした。
きっとやってくれる、そう、希望に満ちた瞳がひたすらに鬱陶しかった。世の中そんな甘くないぞと、甘えるんじゃないぞと、知らしめたかった。

「ちょっと弾いてみてよ」

しかし目の前の彼女は、今日の朝とは全く違った。

「え、でも下手だし」
「いいから」

何様だと。世の中ナメてたのは自分であった。自分以外の人間をなんだと、思ってたんだ自分は、リンちゃんのことを。勝手に決めつけて、なんにも知らないくせに。
ゆっくり弦を抑え、右指で弦をはじく。彼女はきっと、タブ譜などの存在は知らないのだろう。弦を触って音を確かめながら弾いているのだ。無駄な動きこそ多いが、それでも確かな音でベースラインが刻まれていく。

「歌ってよ、これ」

歌詞の書かれた紙を指すと、弦をはじく彼女の指が止まった。

「うー‥‥」
「ん?」
「歌いながらだと、うまく弾けないんです」

なるほど、だから先ほど歌とベースが離れて聞こえたのか。弱々しい発言とは裏腹に、彼女はきつい表情で眉をしかめ、唇を噛んだ。ぐっと、ストラップを強く握っていた。

「わたし、不器用だから、2つのこと同時にできなくて‥‥言い訳、みたいに、なるんですけど。たくさん練習したらきっと弾きながら歌えると思って、何度もやって、でもできなくて、もう一週間も経ってるし‥‥、こんなにベースを簡単に、シンプルなリズムにしても、弾けなくて」

確かに、言い訳みたいな節だ。本当にたくさん練習した、なんて基準も証拠も、どこにもないのだから。

「一週間じゃできるわけないよ」

ミクオは、リンの小さな手を、ストラップを握る手を解き、その指を優しく撫でた。リンは、粋なりのその暖かな、大きな、優しい手に、思わず顔を真っ赤にした。ドキドキした。ミクオの触れた指先から熱が伝わってしまうのではないかと思った。暖かな優しさに、目頭が熱くなった。ジンジンした。ミクオが自分が泣く寸前であることに気付くのではと焦った。
ミクオは、リンの指先を、大きな手で、包む。
たった一週間。それだけじゃ水ぶくれがやっと出来にくくなるくらいだ。まだ固くもなっていない、指の天辺に僅かに水ぶくれが残るその指先。それはけれど、初心者なりに頑張った、向き合った証。
それでも、だ。例え頑張ったって、一週間で弾けたら苦労はしない。そんなに甘いものじゃないのだ。

「わか、ってるんです」

わかってる。きっとそう、だと思った。だって彼女はあまりにも自分を追い詰める。なぜそうまでするのか、なぜそんなに焦るのか、なぜそんなに、やりたいのか。

「でも、でもできないと、間に合わない、あと4ヶ月しかない、だから、だからリン、ぜったい、やらなきゃいけないの!」

それはわからない、わからないけどミクオは、リンが本気であることを、リンが、ちゃんと自分で頑張れることを、知ったのだ。この、今目の前にいる、今朝とは違った女の子が、それをしっかり伝えてくれた。







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