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Aおいしくもないコーヒーを、なぜかおかわりした日のこと

1.

 会社帰りにアパート近くのスーパーで買い物をしていたら、ざわめきの中から「ともみ」と名を呼ぶ声があった。耳に染み付いたその声に、相手を確認しなくても名前が口をついて出る。
「光也君?」
 つぶやいてから振り向くと、スーツ姿で買い物かごを下げた光也君が「正解」と言って笑っていた。

 光也君は、私の恋人だった人だ。しかも、3年間の付き合いが終わったのはつい2週間前。確かに穏やかに別れたけれど、お互いかなり感傷的になっていたはず。それなのに目の前の光也君といえば、そんなこと微塵も感じさせない明るさで笑っている。
 私のことを引きずってほしいだなんて、そんな傲慢なことは微塵も考えていない。けれどあまりに自然体で話しかけてくるもんだから、私もつい、かつてのような遠慮ない口調になってしまう。
「珍しいね、ここ、光也君のアパートからは遠いのに」
 光也君の持つかごの中には豆腐と卵と水出し麦茶が見えて、いかにも、会社帰りのおつかい風だ。
「あぁ、今日はこの近くに泊まるつもりだから」
 だれか友達の家で宅飲みでもするのだろうか。だけど、かごの中には酒もなければつまみも無い。すると光也君が得意げに笑う。
「ちょっと、奴を口説くために胃袋から攻めてみようと思って」
「は?」
 光也くんの台詞が、まるで片思いに励む女子のように聞こえるのは気のせいだろうか。私はぽかんと口を開けてしまう。
「あいつ結構手ごわくて、俺今すげーがんばってる」
 楽しそうに笑う光也君に、私はため息を一つ。 
 光也君は「奴」だの「あいつ」だの、まるで私も知っている相手かのような口ぶりで話す。
「光也君、冗談が過ぎるよ」
 私は、こめかみを押さえた。
 冗談だと思ってしまうのは、光也君がまだ私を想っているだろう……なんて思い上がりからではない。そんなことは別にいいのだ。光也君が恋をするなら私は応援する……けれど、この話はいくらなんでも無いだろう。
「だって私、この辺に住んでる光也くんの知り合いって……一人しか心当たり無いんだけど」
 わたしはそう言って、光也くんの親友の顔を思い浮かべた。造作の整った、優しげな雰囲気の、私が苦手な不思議な笑顔を浮かべる――彼。
 そう、彼は男だ。
 私のあきれた顔に、光也君がいたずらっぽく笑った。
「ま、相手は誰かまだ教えられないけどさ、近いうち紹介する。だから、応援してほしい」
 光也君にしては珍しくはぐらかすような台詞を言うので、わたしはますます混乱してしまう。どうやら、意中の人がいるってことは嘘ではないらしい。
「応援するけど……紹介は、止めておいた方がいいんじゃないの」
 元カノと現在の彼女とを引き合わせるなんて、どうかしている。
 なのに光也君は、意味深に笑った。
「いや、紹介するよ。お前が認めてくれたら、きっと良い方に転がるから」
 要領を得ないその台詞に、私は首をかしげるしかなかった。

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