日は完全に真上へと昇り切り、気候的に過ごしやすい午後のことだった。キッチンにはフライパンを片手に、黙々と料理をする淡いピンクの髪の女の姿。開けた窓からはふわりと優しい風と共に遠くから聞こえてくる楽しそうな子供の声が部屋の中へと入って来る。 毎日こうして平和な下町であれば、例え裕福な暮らしは出来なくとも十分幸せね。 そう思いながらフライパンの中をかき混ぜる彼女の耳にふと入ったのは、どう考えても子供の声とは言い難い声。自分の名前を呼ぶその低い声は、声変わりを既に済ませた成人男性のものだ。更にはその声に聞き覚えがある。最近は嫌というほどに。 「……毎日毎日一体何の用?バーだけじゃなく人の家まで押し掛けて」 「おーじゃあ不審者として騎士団に通報する?」 窓に頬杖をついてニヒルな笑みを浮かべる黒髪の男に、淡いピンクの髪の彼女、キルティは空色の瞳を細めた。この男は私に付き纏って一体何がしたいんだろうか。怒りを通り越して呆れてしまう。 キルティの思いとは裏腹に「今日はチャーハンか。上手そうだな」と、呑気なことを言いながら黒髪の男、ユーリはじとりとキルティと視線を合わせる。その視線からユーリの考えていることを汲み取ったキルティはにこりと笑い、フライパンを置いてユーリのいる窓の方へと歩み寄った。 彼女は確かに口角を上げて笑っている。そう、笑っているはずなのに目はちっとも笑ってはいない。むしろ冷やかな怒りが纏っている。 「今日までは見逃してあげるわ。けど今度来たらどうなるか分かってるわよね?」 じゃあ一緒に昼食食べる?なんて言葉は天地が引っくり返っても彼女の口からは出ないことは容易に想像出来ただろう。 脅し紛いの言葉を吐き捨てると同時に窓をぴしゃりと閉め、更にはカーテンも閉めたキルティ。それはユーリが何かを言う隙さえも与えない、一瞬の出来事だった。これでやっと目障りな黒を視界から除けたと彼女は大きく息をつく。 まさか騎士団じゃなく下町の男に自分の平和を崩されることになろうとは思ってもみなかった。 ああは言ったけどどうせあの男のことだ、明日も何もなかったような顔をして来るのだろうと、キルティは頭を抱えて二度目の息をついた。 「なんだよキルティ、昼食くらいいいだろ」 一方、ユーリはキルティの家の前で突っ立っててもしょうがないかと下町をぶらぶらと歩くことにした。バーでの事件以来、下町は騎士団が目立った行動をとる事もなく比較的平和で。だからやることもない彼の最近の楽しみといえばキルティをからかうこと。 いつも強気なあの顔を思い切り歪ませたい。一度泣かせてみたい気もする。 「とうとう本当に変態になってきてるぞオレ」 肩を竦め、ユーリは自分自身に苦笑した。彼女にそれほどまでに固執するのは興味からか、それとも…。しかしユーリはそこで考えることをやめた。 それより昼飯どうすっかなと頭の後ろで腕を組んでユーリはまた歩き出す。 しかしユーリはすぐに足を止めた。その原因は彼の視界に入った眩しい金色の髪の男。うげ、とユーリは途端に顔を歪ませた。 「久しぶり、ユーリ」 「フレン」 「僕の顔を見た途端、顔を歪ませるのやめてくれる?」と苦笑するフレンに構わず、ユーリは問い掛ける。 「今日は非番か」 「そんなところだよ」 自分から聞いておきながらもふぅん、と適当に返すユーリ。しかしフレンは気にする様子もなく、あっ、と何かを思い出したように口を開いた。 「騎士団の男たちが下町のバーで暴れたそうだね」 「そうそう、全く勘弁してほしいぜ」 「みんなこぞってユーリが、って言ってたよ」 「なんでオレなんだよ。最初に仕掛けたのはキルティなのに」 「キルティ?知らない名前だね」 「そこのバーで働いてる強情っ張りな女だよ」 へぇ、とフレンはユーリの話に面白そうに興味を示す。それに気付いたユーリが溜め息をつき、手ではらうような仕草を見せた。 「アイツはやめとけ。返り討ちにされる」 「ユーリが口で勝てないなんて珍しいね」 「口もだけど手も飛んでくるからな」 全く、黙ってりゃちったぁ可愛いのに…とユーリが呟けば、フレンがそんなユーリを見兼ねて納得したように頷く。もちろんその意味が分からなかったユーリは、不貞腐れたようにフレンの青色の瞳を見た。 「なんだよ。いきなり頷いて」 「ユーリはさ、」 「?」 「その子が好きなんでしょ」 「ハ!?」 有り得ねぇよとユーリは首を横に振った。オレがアイツを、あんな強情っ張りで可愛くない女を?まさか。 するとユーリの反応を見たフレンが思わず笑いを零した。 「じゃあ僕がもらうよ。好きじゃないならいいんだよね?」 「勝手にしろよ」 物好きだなお前も、とユーリは呆れたように肩を竦めた。しかしその時、妙にもやもやとする気持ちにユーリは疑問に思う。 なんだよ…別にいいだろ、フレンがキルティとくっつこうがオレは、そう、オレには関係なんて── ──「…ありがとう」 ──「この前のお礼」 ──「そうだ、」 「……」 しかしそう思う気持ちとは裏腹に、ユーリの頭の中にはキルティと起きた出来事が走馬灯のように走る。 恥ずかしそうに礼を言う彼女。 意外と可愛いらしい部分もある彼女。 無邪気な笑みをする彼女。 そして、 まるで歌姫のように、透き通った声で歌う彼女。 嗚呼、そうか。 思わず自分の頭を掻いて、ユーリはらしくねぇなと自嘲した。 全く、とんだ奴の虜になったもんだ。 「フレン」 「何?」 「前言撤回」 再び腕を組んで、いつものお得意のニヒルな笑みを浮かべるユーリ。 「お前にキルティはやれないな」 その言葉にフレンは微笑して、全くこうでもしないと君は…と小言を漏らした。 「物好きはオレだな」 「そうだね」 いつも強情っ張りで可愛くない。だから余計、時々見せる可愛いらしさに惹かれたのかもしれない。もっと彼女を困らせてみたい、顔を真っ赤にさせたい、泣かせたい。きっと好きな女にそう思うのはおかしいことなんだろうな。 「ねえ!」 突然、自分たちの方へと投げかけられたらしい声に、ユーリとフレンはそちらに視線を向けた。視線の先にいたのは淡いピンクの髪の女。フレンは誰だと首を傾げるが、隣にいたユーリの反応を見て、あぁと頷いた。 「あれが噂のキルティ」 「あぁ」 「ユーリ、自覚してる?口元が緩んでるよ」 「は」 んなことねぇよとユーリは反論するが、ニコニコと楽しそうに笑うフレンに参ったなと息をつく。そんな恥ずかしさを紛らわすように、ユーリは遠くで自分たちを呼んだ彼女に返事をした。しかし彼女は一度、どうしようかとまるで躊躇うように口を噤む。だがそれも一瞬、やがて覚悟を決めたのか、ほのかに頬を染めながらキルティは再び口を開いた。 「ちょっと、お昼作りすぎたから」 「あぁ」 「お腹減ってるならあげないこともないわよ」 キルティのその言葉にユーリの隣にいたフレンがぶっと噴き出した。それを見て怪訝そうな顔をするピンク色。 「何、そこの金髪」 「いや、何も」 本当、あれは手強そうだね、と微笑しながら呟くフレン。油断したら手が飛んでくるから気をつけろよ、とユーリは笑いながら警告する。 「なんだキルティ。さっきは今度来たらどうなるか分かってるよな?ってオレのこと脅したくせに」 「う…それとこれとは別!どうするの!?」 腕を組んで、恥ずかしさからか耳まで真っ赤にさせたキルティにユーリは満足そうに口角をあげた。 こうやって誘われてるっていうことは、少なくとも嫌われてはないと自惚れていいんだよな? 「喜んで行かせていただきます」 「なら僕も」 「な、フレン!?」 「フレン…?ま、いいわ。三人分くらいはあるし」 「一体どのくらい作ったの君は」 「あら残念ね。考えてみたらやっぱり三人分もなかったわ」 「ごめん、僕が悪かったよ」 それでいいのよ、とキルティは元来た道を歩き出した。ついて来なさい、とユーリとフレンに視線を投げかける。 「ユーリが強情っ張りって言う意味が痛いほど分かったよ」 「だろ。あれはあれで可愛いと思うオレは末期かもな」 「それは自覚症状ありなんだね」 べらべらと喋りながら歩く二人に、早く来ないと冷めるわよ!とキルティは声をあげた。ほら愛しの彼女に怒られたよ、とフレンはからかうように呟く。残念ながらそれはいつものことだと両手をあげてユーリは応えた。 「(今後の課題は、あの強情っ張りをどうするかだな…)」 きっとこれから待っているのは非常に困難なことばかりだろう。それでもはいそうですかと諦める訳にはいかない。むしろハードルは高い方がやりがいがある。 さあキルティの雷が落ちる前に行こうぜと、ユーリはフレンと共にキルティのもとへと走った。 それが何か分かった時、 (キルティとユーリは付き合ってるの?) (その目はふし穴かしら)(ちょ、ぶっ!)(だから油断すんなって言ったろ…) (20120307) |