「セリア、今度一緒に飲もうぜ〜」

「お生憎様、私そんなに暇じゃないの」


ガイアス城、廊下。
下心見え見えの誘いの言葉を躊躇いもなく撥ね除けて、セリアは廊下を歩いていた。

すれ違う兵士達の視線が自分に向けられていることには、もうとっくに気が付いている。その視線の大半は驚き、そして好奇、ごく少数になるけれどさっきの男達のような下心。まぁ無理もないわねと心の中で息をつく。
何といっても原因は紛れもない自分だ。今まで柔らかく微笑み、ほんわりとした口調で話していた女が次の日には冷たい視線を向け、きつい口調になっている。まるで別人かと錯覚されてしまうのはしょうがないこと。

猫被りをやめたことを彼は噂で聞きつけるだろう。また何と言われるやらと、睨みで人を殺せるような金色の片目を思い出しながら小さく項垂れた。


「おや、セリアか。何してるんだい?」

「女将さん」


お玉を持ったまま廊下に出ていた女将に微笑したセリアは、女将さんこそ、と首を僅かに傾ける。女将は呆れたように笑いながら肩を竦めた。


「夕食の材料を調達しに行った奴が帰ってこないのさ。どこで油売ってんだかあのトンチンカンは」

「だから探しに行こうとお玉を持ったまま出てきたと」

「つい癖でねぇ!」


豪快に笑って見せる女将にはもう慣れた様で、はいはいと今度はセリアが肩を竦める。あの事件で倒れて以来、よくしてもらっている自分がここで動かないわけには行かない。


「女将さんは厨房に戻って。私が探してくるから」

「本当かい?そりゃ助かるね!」

「で、何処に行ったのかしら?」

「市民街の肉屋だよ。大きいからすぐに分かる」


分かった、と一つ頷いてセリアは再び歩き出した。視界に入る人等を一瞥して、すぐに前へと視線を戻す。
やはり周りの視線が、痛い。特に同性の。猫被りをしていた時も妬むような視線は何度も感じていたけれど、今回はそれに見下すような視線も入り混じっている。
これだと、自分に話しかけようとする相手は極端に少なくなるだろう。だけど、それでいい。そうしてほしかったから猫を被るのをやめた。一部の変態男には火をつけてしまったようだけど。


私は誰とも深く接しない。利用はさせてもらうけれど、情なんて微塵も移さない。


「……」


ガイアス城の正門を抜ければ、いつ見ても美しい銀世界が視界に入った。寒さには未だに慣れない。防寒用のマントを羽織り、自分を抱き締めながら階段を降りる。この景色も、あと少しすれば懐かしいと浸ることになるんだろうか。いやそれはないか、と緩く首を振り、深く白い息を吐きながら思う。

近い内にここを去ることになる。その時はきっと、ここで過ごした日々を忘れたいと切に願うのだろう。


美しい銀世界が一瞬、真っ赤に染まったような気がしてセリアは鈍い赤の瞳に影を落とした。その赤の中心にいたのはまだ自分自身を守ることで精一杯だった自分と、その自分を庇うようにして抱き締めてくれている兄。兄の背中に刺さっているのはいくつもの剣と矢。

いつだって忘れられない。一日たりと忘れたことはない。

愛用の剣の柄を優しく撫で、真っ白な指先で拳を作る。
あの頃の自分にもっと力があったならと何度思っただろうか。どれだけ後悔しても戻って来ないものはもう戻って来ない。だから私がやろうとしていることも、意味がないと言われればそうなのかもしれない。

だけど、私は。そうやって割り切れるほど出来た人間じゃないから。


「さあ、探しましょうか」


冷たい風が翡翠色の髪をさらう。あの頃より随分伸びた髪は今では自慢の髪だ。きっとそう言えば彼は二カッと笑っていつものように頭を撫で回してくるんだろう。容易に想像できたそれに、セリアは困ったように微笑して、空中滑車へと体を滑り込ませた。



(もしかしたらあった未来、なんて)
(想像するだけ辛いこと、分かってるはずなのにね)

(20120130)

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