どうしてこんな状況になってしまったのか。その理由を一番分かっているのは自分だし、誰に問い掛けるわけでもないけれど。それでも自分の置かれた、否、自分自身が招いた状況にセリアは頭を抱えるしかなかった。 「……」 シン、と沈黙が続く。広い割には必要最低限の物しかなく、とても上手く使えているとはいえないこの殺風景な部屋は、今ではすっかり見慣れた自身の部屋。ここがお前の部屋だと、無表情で案内されたあの時がとても昔のように思える。そんなことをぼんやりと思いながらセリアは盃に口をつけた。 彼女の視界に映るのは、住宅街の明かり。点々と、それでいて全てが同じ色の光でなければ大きさも違う。彼女の部屋の窓から見えるその景色はまるでイルミネーションのように美しく、きらきらと輝いていた。 それを鈍い赤の瞳がジッと見つめる。やっと目を離したかと思えばそれは酒を盃に注ぐ時だけであって、酒を注ぎ終えれば再び窓の外へと視線を寄越す。もうかれこれ二十分はそれの繰り返しだ。セリアはひとり酒をする際、必ず住宅街の明かりが綺麗に見えるこの場所を選ぶ。もう両の手では数え切れないほどにこの風景を見てきているのだ。では何故、まるで目新しいものを見るかのようにこうも目を離さないのか。それは彼女の隣にいる漆黒に身を包んだ男が原因であった。 「……」 気まずい、とセリアは酒を口に運びながら眉を寄せた。彼女が窓の外の風景から目を離せなかったのは、その他のどこに視線を向ければいいのか分からなかったからだ。彼女は心の中でもう何度目か分からない溜め息をつく。確かに誘ったのは紛れもない自分だ。しかしあの時の自分はどうにかしていた。それに今は自分の隣にいる漆黒に身を包んだ男が、自分の誘いを素直に受けるなど思ってもいなかったのだ。 こういう時に限って話す話題が何も思い付かないセリアは、居心地の悪いこの雰囲気にただひらすら酒を口に運ぶ。その酒の味など、最早セリアにとってどうでもいいことであった。 「らしくないな」 突然、隣から聞こえた静かで低い声にセリアは僅かに肩を震わせた。彼女の持っていた盃の中の酒が緩く波を描く。お、驚いたじゃないもう…心の中で呟きながらセリアはここにきて初めて、隣へと視線を移した。何時もと変わらぬ金色の片目と、鈍い赤の瞳の視線がかち合う。 「…それはこっちの台詞よ」 「酒を飲み始めてから落ち着きがない」 「うっ…」 「案外、可愛い所もあるんだな」 金色の瞳の男、もといウィンガルのその言葉にセリアは目を見開いた。そしてかぁぁっと頬を染め上げて、口をわなわなとさせる。ああ、本当にこんな男と酒を飲むんじゃなかった!鋭い眼光でウィンガルを射殺すように睨むが、当然の如く効果はなく。 「鏡を見てみろ。酷い顔だ」 「う、ウィンガル!貴方、私をからかってるでしょう!?」 くつくつと喉で笑うウィンガルに目くじらをたててセリアが怒鳴る。酒の所為か、ぼんやりとしてきた頭を抑え、セリアははぁぁと大きな溜め息をついた。いつもそうだ、この男には勝てない。悔しい、このまま負けっぱなしでは腑に落ちない。 鈍い赤の瞳が再びウィンガルを射抜く。その瞳の奥に、ごうごうと燃える負けず嫌いの炎が垣間見えた。 セリアの細い指が彼の肩に置かれ、彼女がそのまま身を乗り出したのは一瞬のこと。 「あら、流石の参謀殿もこれには動揺を隠せないのね」 艶やかに笑んで、とても満足そうにセリアは呟いた。対してウィンガルは肩にあるセリアの手をゆるりと払い、自分の頬についた僅かなルージュを拭きとる。してやったりと微笑むセリアの瞳は、先程見せた鋭さやきつさを感じない。柔らかく、それでいて艶やかに、まるで誘っているんじゃないかと疑ってしまうほどだ。 酒に呑まれたな…。ウィンガルは小さく息をついた。未だに自分の方に身を乗り出して勝ち誇ったような顔をしているセリアを一瞥して、自分が持っている盃に視線を落とす。 自分も割と負けず嫌いな方だということを彼女は果たして知っているのだろうか。そして、異性に対して先程の行動と今のような瞳をしてみせることがどれだけ危険なことなのかということも。 ウィンガルはもう一度息をつき、盃を置いた。売られた喧嘩は買うのみだ。 セリアの細い腕を自分の方に引き寄せ、バランスを崩した彼女の顎に手を据える。予期せぬ出来事に驚き、何かを呟こうとしたセリアの形のよい唇を、漆黒の彼は言葉ごと奪った。 「明日は早い。酒に呑まれるのは構わんが仕事に支障を来すな」 まるで何事もなかったかのようにウィンガルは立ち上がり、セリアに背を向け扉の方へと向かう。後ろからは罵倒の声はおろか、何かを発される雰囲気すらない。 お前の負けだセリア。言葉にしない代わりに僅かに口元を上げる。そしてウィンガルは一度も振り向かないまま、セリアの部屋をあとにした。 「…な、によ……」 一方セリアは何が起きたのか理解できないと言うかのように、漆黒の彼が去った扉の方だけをぼんやりと見つめる。先程よりも真っ赤に染め上げられた頬は果たして酒の所為なのか、それとも。 セリアは首をゆるりと横に振り、項垂れるようにして机に突っ伏す。カタン、と指に触れた盃。先程の彼の言葉を思い出して思わず眉を寄せた。 「誰が酒に呑まれるもんですか…」 口元を荒々しく拭い、瞳を伏せる。 自分の目的を忘れるな。私は何のためにここに辿り着いたのか、いらない感情は全て捨てろ。 ガンガンと鳴り響く頭に言い聞かせるように、何度も心の中で唱える。再び酒を飲む気分になど、到底なれそうにもなかった。 (瞳の奥に垣間見える本当の炎は、) (20120102) |