コンコン、と扉をノックした。しかし耳を澄まして待てど、中から返事は聞こえてこない。不思議に思ったレティは首を傾げながら、もしかしていないのだろうかとゆっくりと扉に手をかけた。ギィ、と小さく悲鳴をあげる扉。何故返事がなかったのか、視界に入った光景でその理由が明らかになったレティは納得したように苦笑した。



「こんなところで寝ちゃって…」



ゆっくりと扉を閉めて部屋に入ったレティは足音をたてないように慎重に歩く。彼女の蒼の瞳に映るのは、椅子に座り腕を組んで寝ているガイアスの姿。執務室では絶対に寝ることはないのによっぽど疲れているんだろうと、レティは机に詰まれた大量の書類を横目に小さな息をついた。


ガイアスは近い未来、このア・ジュール国の王となる。弱き者を守るのが強き者の役目だと、彼が自らに課したその役目は生半可な気持ちで達成できるものじゃない。だけど今はカン・バルクを首都に、ア・ジュールは統一されようとしている。それは全て、彼のその民を思う強い意志があってこその成果で。

私が彼に惹かれた一番の理由は、何があっても自分の正義を貫くその強い心。だから差し出された彼の手を取ってから10年、こうして傍で同じ時間を共有できたことは本当に誇らしく幸せなものだった。



「…だけどあまり無理はしないでね」



寝ているガイアスの黒髪を手にとり、レティは悲願するように呟いた。確かに彼は並大抵のことでは倒れたりしないけど、それでも。



「その言葉、そのままそっくりレティに返そう」

「!」



目の前から返ってくるはずのない返事が聞こえ、レティは思わず肩を震わせた。次の瞬間には、さっきまで伏せられていた赤の瞳と視線が交わる。レティは申し訳なさそうに口を開いた。



「ごめんなさい、起こしちゃったみたいで…」

「いや、いい。こんな夜遅くにどうした」

「ううん、別に用事っていう用事はないんだけど…ガイアスが執務が終わったってウィンガルから聞いたの。それで」

「そうか」



ガイアスはゆっくりと立ち上がり、小さく伸びをした。いつもより気怠そうな彼にレティは無意識に眉を寄せる。それに気付いたガイアスは彼女の頭にポンと手を乗せ、困ったように微笑した。



「そんな顔をするなレティ」

「ガイアス、もっと私に出来ることはないのかしら…」

「お前はもう十分すぎるほど動いてくれているだろう」

「でも、」


貴方にもっと休ませてあげたいの。

そうレティが反論しようと開いた口から全てが紡がれることはなかった。ガイアスがレティの口を己のそれで塞いだのだ。時間にすれば一瞬と言っていいほどのほんの僅かな口づけだったが、レティを黙らせるには効果てきめんだった。



「レティにそこまで思わせるほど心配をかけていたとは俺もまだまだだな」

「ガイアス…」



レティの華奢な体を優しく抱き締めたガイアスは、彼女の飴色のくせ毛をゆっくりと手で梳く。こうされることが一番安心するらしいレティは、卑怯よと小さく呟いて彼の逞しい体を抱きしめ返す。



「レティ、俺は」

「うん?」

「お前がこうして傍にいてくれるだけで疲れが吹き飛ぶ」



あまりにも不意打ちなガイアスの発言に、思わずレティは顔を真っ赤に染め上げて「え、あ、」と言葉にならない声を出しながら視線を右往左往させた。それが可笑しかったのかガイアスは小さく声をあげて笑う。笑わないでそれと顔見ないで!と怒りながら俯いたレティだったが、どうやら彼には到底敵わないらしい。火照った顔を両手で覆いながらレティは恥ずかしそうに口を開いた。



「…いつまでもそんな存在でいれるよう頑張るわ」

「あぁ、期待している」

「じゃあもう夜も遅いから…」

「久々に共に寝るか」



ガイアスの言葉にレティは小さく頷き、未だに頬を少し染めたまま彼女は幸せそうに笑う。それを見たガイアスはぎょっとして、レティの手を引きながら足早に部屋を出た。どうしたのガイアス?というレティの問いかけに何でもないと平然を装って返したガイアスだったが、揺れる度に動く黒髪から少し覗く耳は、それは目も当てられないほど真っ赤に染まっていた。





例えばふたり、この手が繋がれているのなら



進む道は辛く苦しく 棘の道であろうとも

絶対に乗り越えられると、そう信じて止まなかったの




ううん、今でも信じているよ

もう二度と この手が繋がれることはないと分かっていても



(20111001)





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