例え離れても、それでも生きようとするのは自分自身の覚悟を貫く為。
例えもう会えなくても、それでも必死に歩もうとするのはただ一人の為。



カン・バルクを離れて、行く宛てはあるのかと問われれば私は首を横に振っただろう。現に私はどこに身を置くでもないまま人の流れに身を任せ、ふらふらと各地を旅していた。唯一の特技である精霊術を生かし、行く先々で出会った人々の手助けをしては自分の歩むべき道を手探りで探した。一体何かあるのだろうか、傍にいなくとも自分がガイアスのために出来ることが、と。


「お客さん?お客さーん!着いたよ!」

「あ、えぇ、ごめんなさい」


商人の大きな声に呼ばれ、そこで私はハッと我に帰る。雲ひとつない青々とした空の下、穏やかな風が頬に優しくぶつかる。周りを見渡せば馬車の中は私一人だけになっていた。


「…ここがカラハ・シャール」


馬車から降りれば思わず呆気にとられ、そこに立ち尽くしてしまった。たくさんの商店が集い、それに比例するように大勢の人が忙しなく街の中を巡っている。ぼーっと突っ立っていたら潰されてしまうんじゃないかというくらい、賑やかなこの街の活気は私の心を僅かばかりに弾ませてくれた。そして同時に救いでもあった。静かな場所ではつい色んなことを考えてしまうから。


「思えばラ・シュガルまで来たのね…きゃっ!」

「悪いなお嬢さん!」


突然右肩に衝撃が走り、思わず小さな悲鳴をあげる。どうやらその原因は市場の方から駆けてきた青年らしく、よけきれずに私にぶつかってしまったらしい。青年は軽い謝罪をしたけれど立ち止まることはせず、緊迫した表情で街の入り口の方へと走って行った。

…何かあったのかしら。
走る青年を視線で追いながら小さく首を傾げた時だった。


「誰か治癒術が使える奴はいないか!子供が魔物に襲われたんだ!」

「!」


街の方に向かって助けを呼ぶ兵士の声が響き渡り、街の人々がざわつき始める。さっきまでの賑やかさは一変して不穏な空気に様変わりしてしまった。
人が多ければ多いほど、混乱を招く事態というのは人々の冷静さを欠く。渦巻く負の感情にどうしても影響されてしまうから。現に魔物が街まで攻めてくるんじゃないだろうかと、人込みを掻き分けて街の中心へと逃げている人が視界に入った。

この事態を早く収拾しないと。出なくていい怪我人まで出てしまう。

私には迷う理由なんてなかった。街の外の方へと駆ける。兵士の声はひどく動揺し、余裕など微塵もなかったところを考えると、一刻の猶予もないはず。
やがて視界に入ったのは、予想通りと言うべきか息も絶え絶えの血塗れの少年だった。


「お嬢さん、あんた治癒術使えんのか!」

「あ、さっきの…」


そんな少年を抱き、治癒術をかけている青年。短い茶髪は重力などお構いなしにはね、白衣を羽織るその人は紛れもなくさっきぶつかった青年だった。どうやらこの街の医者らしい。
でも今はそんなことより。私は地に膝をつき、加勢すべく両手を少年へとかざす。温かな光はさらに溢れ、少年を包み込んだ。額に滲む汗が地へと落ちていくのを感じながら、かざした手にもっとマナを込める。


「う……」

「意識が戻った!」


少年の瞳が薄く開けられた瞬間、周りにいた兵士たちが歓喜の声をあげた。そこで私も青年も、力を緩め安堵の息をつく。しかし意識が戻ったとはいえ、まだ痛みは残っているらしい少年は魔物に襲われた時のことを思い出したのか、わんわんと泣き出してしまった。
もう大丈夫よ、と優しく頭を撫でても泣き止む気配はない。無理もないなと青年が困ったように笑ったその時、血相を変えて駆け寄って来た女性が少年の名を呼び、自分の腕に抱き寄せた。


「ああ、本当によかった…!ありがとうございますオルト先生、旅人の方…!」


どうやらこの子の母親らしい女性は何度も何度も私と青年──オルト先生に頭を下げる。今度は私が困ったように笑えば、ポンと優しく肩に置かれた手。隣を見れば、オルト先生の漆黒の瞳と視線が交わった。


「俺からも礼を言うよ。ありがとう、助かった」

「…いえ。私のこの力が誰かの為に役に立つのなら喜んで」


周りの人々の話によれば、問題の魔物もこの街の兵が退治したようだった。混乱していた街中もやっと落ち着きを取り戻し始め、不穏な空気は浄化されていく。それにしてもこんな大きな街なのに混乱が解けるのが早いなと感心していると、それはここの領主様の迅速な対応のおかげだよとオルト先生が教えてくれた。


「君は旅人だよな。今度はどこに行くんだ?」

「…まだ決めていないです。ただ人の流れに身を任せ彷徨うだけ」

「ふむ、その旅の意義は?」

「……」


私はオルト先生の問いに思わず視線を落としてしまった。この旅に意義、なんてあるのだろうか。
彼の為にと別れを決めた。そして彼の為に出来ることがあるのだろうかと旅を始めた。しかし見つからない、ア・ジュールを離れラ・シュガルに来た今でもその兆しすら見えない。私は自分が何をしたいのか、何をすべきかさえも見失い泥沼へと身を沈めていく。もう、分からない。私は何をすればいい?何をすれば彼の為になる?進むべき道はとっくに闇に包まれ、何も見えないの。照らしてくれる光も、もう傍にはいない。その光を自ら手放したのは他でもない、私なのに。


「心の傷はすぐには癒えない。でも一生癒えないわけじゃないさ」

「!」

「どうして分かるの?って顔してんな。このでっかい街の医者を担ってんだ、嫌でも分かるさ」


軽く笑いながら私の頭を優しくポンと叩くオルト先生。愛想笑いすらも出来ずに私は唇を噛んで顔を上げれずにいた。


「で、これは提案なんだけど。いや、提案というよりお願いかな」

「…?」

「君、俺の下で働かないか?」


……今、なんと?思わず顔を上げて漆黒の瞳を凝視した。揺らぐことない黒。まるで──彼のように前だけを見据えている汚れなき瞳。嗚呼聞き間違いじゃない、先生は…本気だ。


「どうして、私なんかを…」

「まぁまずは君の治癒術の能力の高さだな。それと他人の為に行動する優しさ。一番の理由はその心の傷」

「…先生が癒してくれると?」

「まさか。俺にはそんな大層なこと出来っこないさ。でもこの街の明るい雰囲気と素敵な人たちに触れれば少しは違うんじゃないかと、ね」


白衣のポケットに手を突っ込み、少しはにかみながらそう言ってくれる先生。


「先生は…お人よしなんですね」

「あぁ〜よく言われるな」


だから、な?と私に手を差し出す先生の中ではもう私が働くことは決定事項らしい。私に決定権はないのね、と思わず困ったように笑む。

だけど思うの。確信はないけれど先生の下でなら、この街でなら、自分がやるべきことが見つかるかもしれない。私はゆっくりと先生の手に自分の手を合わせた。



「レティです。どうぞ、よろしくお願いします」

「あぁオルトだ。よろしくな」



その手はまるで、自分を泥沼から救い出してくれる光のような手だった。




瞼の裏の貴方に告げる。
(例え離れても、それでも生きようとするのは自分自身の覚悟を貫く為。)
(例えもう会えなくても、それでも必死に歩もうとするのはただ一人、貴方の為。)


第一章終/20120307





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