──ねぇ、10年前のあの日…ガイアスは私に手を差し伸べてくれた時のこと、まだ覚えてる?私はまだ昨日のことのように鮮明に覚えてる。絶望に押し潰されそうな私にガイアスは躊躇いもなく温かな手を差し伸べてくれて、共に行こうと言ってくれた。あの時の貴方は言うなれば、光。私を絶望の淵から救いあげてくれた光だった。

ガイアス、それは私だけじゃない。貴方はこの国を生きる民にとっても道を指し示す光となる。王になるということはそういうことでしょう?だから私がその光を濁すわけにはいかないのよ──










「レティ、お前は弱い」



上から降る低い声にレティは否定もせず、静かにそうねと頷いてみせた。強い意志を持ったガイアスの赤い双眸は、憂いを帯びたレティの蒼い瞳を躊躇いもなく見つめる。



「俺は王となり、弱き者を守る」

「…ガイアス」

「お前も民も全て守ってみせる。そして導く。それが俺の使命だ」



そうしてゆるゆるとガイアスは自分の腕の中にレティを収めた。対してレティは抵抗することも、反論することもせずただ為されるがままに彼に身体を預ける。それは、きっと今何かを口にすれば、この瞳から想いとして涙が溢れてしまう。それだけはなんとしても避けたかったからだ。

しばしの沈黙が二人を襲う。どちらも動かないまま、もうどのくらいそうしているのかさえ、二人にははっきりと分からない。ただ、まるでこの世界が二人ぼっちのような感覚に、刻が止まればと願わずにはいられなかった。


先に動いたのはガイアスの方だった。
顔を俯かせていたレティは、ふと頭を撫でられる感覚に狭い肩を僅かに震わせる。ガイアスはそれに気づきながらも、自分の手を止めることはしない。ガイアスの大きく、温かい手がゆっくりと何度もレティの飴色の癖毛を滑っていく。心底やめてほしいとレティは思った。このままだと離れたくなくなる。そうして自分の意志が少しでも揺らいでしまうことが怖かった。



「レティ…考えを改めろ」



その言葉に小さく首を横に振るのはレティ。お願い、とレティの消え入りそうな声がガイアスの頭の中で鳴り響く。ゆっくりと上げられた彼女の顔、その眉間に刻まれた複数の皺は、絶対に彼の前では泣かまいとせんレティの意志。ガイアスは思わず唇を噛み締め、離さないとでも言うかのようにレティの震える肩口に顔を埋めた。例えそれがもう、手遅れだと知ってしまったとしても。迫り来る別れを素直に受け入れきれるほど彼は大人ではなかった。

そんなガイアスの背中に恐る恐る腕を回し、レティもまた彼の広い肩口に顔を埋める。それはほんの僅かな時間であったが、二人が互いを狂おしいほど愛していることを伝え合うには十分な時間であった。やがて心を殺し、ガイアスの胸をゆるゆると押して、レティは心地よい温もりを自ら手放す。対してガイアスは、自分から離れゆくレティにもう一度手をのばそうとはしなかった。もう、何を言ってもレティの意志は変わらないと、身を持って痛感したのだ。

そう、考えてみればレティという女は一度決めたら確固たる意志でそれを貫こうとする。十年もの歳月を共にしてきた自分が一番分かっていたはずだったのにと、ガイアスは己の未熟さに眉を寄せ赤の双眸を伏せた。



「何かを守る為に何かを手放す。それもまた王の成すべきこと」

「……レティ」

「ガイアス。今まで、本当に…ありがとう」



ガイアスが再び瞳を開けば、そこには精一杯の笑みを自分へと向けるレティの姿。しかしその笑顔は見事に引き攣っていることが自分でも分かっていたのだろうレティは、すぐにガイアスに背を向けて扉の方へと歩き出す。華奢な彼女の背が段々遠くなるのをその赤の瞳に焼き付けながら、ガイアスは何も出来ない歯痒さに固く拳を作った。

レティが扉の手に触れた時、彼女の背にかかるのは自分の名前を呼ぶ低い声。そのあまりの声色の優しさに、レティは振り向きもしないまま、否、振り向くことができないまま扉を開いた。二人のこの関係はもうすぐで終わりを迎える。それも自分から一方的に切り出した別れ。それなのにどうして、とレティは出来るだけの力を瞳の奥底に寄せて、今にも溢れ出ようとする涙を何とか止めてみせる。

しかしゆっくりと吐き出されたガイアスの次の言葉に、レティは勝てはしなかった。泣かまいとあれほど顔を歪ませて堪えたにも関わらず、その思いと反して蒼の瞳から零れた一筋の涙は、頬を伝う。


ありがとう、本当にありがとう。私、その言葉だけでこれからも歩んでいけるわ。


何も言えぬまま、振り向きも出来ぬまま、レティはその一筋の想いが床に落ちる前に、静かに扉を閉める。

二人の愛はもう二度と確かめられることも、交わされることもない。想いを全て吐き出すかのように、ぼろぼろと溢れ出る涙を止める術などレティには分からない。それでもと、重たい足取りでレティは一歩、また一歩と足を進めた。振り返りはしない、これが私の決めた道だから──

さようなら。小さく呟かれた言葉は誰に届くでもなく、白い息と共に冷たい空気の中へと消えた。



世界で一番、大切なひと


(お前のためにも、俺は必ず全ての民を導く王となる)


(20111211)





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