全ては彼のために、なんて言ったら厚かましいかしら。 きっと貴方は駄目だの一点張りで聞いてはくれないんでしょうけど。 それでもね、私は分かっている。分かっているからこそ、貴方に言うの── 「…なまえ、何を言っているのか理解しているのか」 「えぇ。至って正気よガイアス」 彼の私室に訪れ、躊躇いもなく紡いだ私の言葉に彼は珍しく顔を歪ませた。その顔ですら愛しいと思う私は既に末期なんでしょう。だけど私は笑って見せた。嘲けるかのように。 「これから新生ア・ジュール国ができる。そして貴方はその国の王となる」 「それが今、お前の言ったことと何の関係がある」 「…長年一緒にいたのに気付かなかったのかしら」 お気に入りだった木製の赤い椅子に座り、私は小さく息をついた。この椅子も今日でお別れかと思うと寂しくなる、だけどそれは一切顔には見せない。見せてはいけない。疑うように私を見るガイアスを横目に私は呟いた。 「もう疲れたの。貴方の隣にいることが」 貴方は私のことを薄情な女だと思うのだろうか。ファイザバード開戦の頃から約10年間、何があろうとも一緒に居続けたのに今更何をと。 (いや…軽蔑するかな…) 最低な女だと嘲笑えばいい。この国から追い出してもいい。もう何を言われても覚悟はできているから。 しかし何も言葉が返ってこない、怒りで何も言えなくなっているのか或いは…。だけど向かい合うようにして少し先に座っている彼を見て、その考えは浅はかだったと痛感した。 「ガイ、アス…」 あの彼が、何にも動じない強い心を持った彼が、いつもの赤い鋭い眼光ではなく、揺らいだ瞳で私を見ている。揺らいでいると言ってもほんの僅かなものであったけれど、たったそれだけで私の胸は何かに強く縛りつけられたかのように痛んだ。 「…それがお前の本心か」 「……えぇ。同じようなこと、何度も言わせないで」 「……」 しかし私もここまで来て折れるようなことはしない。ここで折れて彼の胸へ飛び込みでもしたら私は一生自分のことを恨み続けるでしょう。 だって、私は気付いてしまった。このまま王と成り行く彼の隣にいれば幸せになれるのは目に見えてる。けれどそれと同時に私は彼の弱点へと成り変わる。 戦えるといってもガイアスのようにずば抜けて戦闘に優れていることはないし、かといってウィンガルのように策士でもない。王になる彼にもうこれ以上の負担をかけることはできない。だから私は貴方に、お別れを言いに来たのに。 ガイアスはゆっくりと立ち上がって私の方へと歩み寄る。私は心底俯きたい気持ちを抑え、向かってくる彼を睨みつけた。 「なまえ」 「……」 「弱き者を守るのが、俺の役目だ」 「…知っているわ」 「それ故にお前も守らなければならない。これからもずっと」 思わず、瞳を揺らがせてしまった。突き放そうとする私をどうして、貴方は。 ガイアスはそんな私の一瞬の戸惑いを見逃しはしなかった。咄嗟に私の腕を引いて、自分の胸に私を収める。ガタリと、椅子が音をたてて倒れたのが意識の遠くで聞こえた気がした。 「お前は強情で何事も一人で抱え込む」 「離し、て!」 「自分が王になる俺の弱点になってしまうとでも考えたのだろう」 「…!!」 やめて。私の本心を見抜かないで。私は貴方の重荷になんてなりたく、ないの。 弱いから、もうこれ以上自分が傷つくのも貴方が傷つくのも見たくないの。 「ガイアス、お願い、私のことは忘れて」 「断る」 「私といれば貴方もこの国も駄目になる」 「そんなことさせはしない」 果たして強情なのはどちらなのか。ガイアスは私の言葉を聞き入れてはくれないし、かと言って離してくれもしない。ズキンズキン、と鼓動と共に痛みが走る胸に顔が歪む。ああもう涙も出そうだ。ガイアスがたった一回、頷いてくれればそれで終わりなのに。 しかしそんな私の思惑を知ってか知らずか、ガイアスは更に強く私を抱き締める。分かってる、貴方の気持ちは痛いほど伝わってるの、誰が離すものかと。 だけど貴方は私なんかに囚われてはいけない。 これから何万という民を背負うのでしょう? 「ガイアス…私たちはもう子供じゃない」 「……」 「あの頃みたいに、自分の気持ちだけを優先して生きていくことは出来ない」 「それでも俺は…!」 「ガイアス、もう一度言うわ」 どうか、私を忘れて ゆるゆると彼の腕の力が抜けていく。ありがとう、と呟けば彼は俯く。彼の固く作られた拳は震えていた。それはきっと、自分の力が足りなかったばかりにと悔しさに震えているのでしょう。 でもね、これは貴方の所為じゃないわ。全ては私の所為。きっと上手く笑えてなんかいない笑みをこぼして私は彼に背を向けた。 (さようなら…本当に幸せな10年間だった) ねぇ、ガイアス。いつか私が貴方の隣にいられるくらい強くなったらその時は… ギィ、と開く扉。そんなことを考えるなんてまだまだ弱い女ね… 頬に伝う涙なんて気付かないフリをしながら、私は扉をゆっくりと閉めた。 |