大貝獣物語



「誕生日会とか、やったことある?」

たぶん、きっかけは何気ないことだったろう。ふと頭の端に浮かんだことを、わたしはそのままソニアに訊いてみた。
そうしたら彼女はいささか目を丸くさせて、それをしばたいたのちに、おもむろに首を横に振った。そうして艶やかな唇で、うたうように紡いだのだ。

「なんだ、それは?」

むしろ、そのようなものが存在するのだということ自体知らなかったらしい。魔造人間としてダークの下にいた彼女だ、当然という云い方は哀しいのでしないが、仕方がないことだとは思った。母代わりの彼女が知らないのだ、ギャブロもまたそのような祝い事は知識の中にないのだろう。

しかし、どことなく興味をもったかのように。ソニアの凛とした双眸のかがやきは、その光りをかすかに強めた。それを見逃すことなどしないわたしは、にっこりとほほ笑む。ギャブロは不在だったので彼には説明できなかったけれど、その旨を順々に説明した。家族や友人の誕生日に、『生まれてきてくれてありがとう、おめでとう。』という意味合いをこめて、みんなでケーキを食べたり誕生日のひとにプレゼントをあげたりする、パーティーみたいなものなんだよ、と。

だいぶアバウトな説明だったとおもうが、あながち間違いではないとおもう。少なくとも自分の家はそうだったのだから、これで良いのだ。半ば無理やりにそう帰結し、わたしは話を真剣に聞いてくれていたソニアの瞳をじっと見つめる。彼女は今の話を聞いて、どこか考え込むような。それでいて、微笑むようなおももちを浮かべた。

「なるほど。あたたかい催しなんだな。そんなものがあるとは、知らなかった」
「うん。自分が生まれてきたことを祝ってもらえるのも、もちろん嬉しいんだけどね。それ以上に生まれてきてよかった、産んでくれてありがとうって、心からそう思えるんだ」
「そうか……人間は、やっぱりあたたかい生き物だな」
「ソニアだってにんげんじゃないか」

無意識のうちに、自身と人とのあいだに境界線を引いている彼女に、わたしはすかさず言葉を返した。するとソニアはふたたび目をまるくさせて、「ありがとう」、そののちにやんわりと綺麗な笑みを浮かべる。ソニアがそういう表情をすると、いつだってわたしも嬉しくなるんだ。だからわたしも、微笑みでこたえる。

「―― そうだ。ソニアは、じぶんの生まれた日おぼえてる?」
「生まれた日か……合っているかどうかは自信がないが」
「それでもいいさ。祝おうよ、ソニアとギャブロの誕生日を」
「私たちの?」
「うん。ギャブロの誕生日は?」
「え、ああ。目付け役だったからな、もちろんおぼえている」

いささか戸惑いながらも、ちゃんと答えを返してくれるソニア。そのふたつの瞳も戸惑いの色に揺られていた。唐突だったかもしれないけど。でも、わたしは、ふたりに誕生日会っていうものを知ってほしいと思ったんだ。もっともっと、あったかいものをたくさん知ってもらいたかったんだ。ふたりの人生を照らすような、あたたかい灯火のようなひかりを。
ギャブロとソニア、ふたりの誕生日が呟くように教えられて、わたしはおもわず顔を綻ばせる。

「へえ、ふたりの誕生日ってすごく近いんだね。それにもうすぐじゃないか」
「云われてみればそうだったな……誕生日だなんて全く意識しないから、妙な感覚だ」
「じゃあこれからは誕生日を大切にして。毎年ちゃんと祝おうよ。初めての誕生日会は数日後だね」
「いい、のか?」
「ダメなわけがない。いままでのぶんも、にぎやかーに祝うんだよ」
「……ほんとうにありがとう、ハナミ。おまえにはいつも温かいものをもらってばかりだ」
「わたしだって。たくさんもらってるよ」

深く噛み締めるような、そんなお礼がどこか面映かった。けれどやっぱり嬉しくて、わたしははにかみながらそう告げる。そうしてお互いの顔を見合わせ笑い合って。幸せなひとときのなかに、ふたりでいっしょに包まれた。
あたらしく知ることができたふたりの誕生日。それを、わたしは、絶対に忘れまいとおもった。そしていま。めさきの未来で待っているお祝いの日を、わたしはなによりも心待ちにしている。

「じゃあ、ふたりの誕生日会は今週にやろう」
「ほんとうにやるのか?」
「もちろん。嘘じゃないよ」
「……なんか、はじめてのことだから。変なかんじだ」
「はは。幸せな日だっておもってくれるように、料理もいっぱい作るからね。あ、そうそう。このことギャブロにはナイショにしておこう」
「なぜだ?」
「驚いた顔をみるのが、面白そうだから」

云って、わたしは満面の笑みを浮かべた。
驚いた顔というよりも、なにかあたたかなものが満ちるような、それでいて綻ぶような、そんな顔をほんとうは見たいと思ったのだけれど。いまこのタイミングで正直に話すのはなんとなく照れくさかったから、ほんのすこしだけ誤魔化してしまった。
けれどもしかしたら、ソニアはそんなささやかなウソも見破っていたのかもしれない。だって、日に日に豊かになっていく面差しが、このときはよりいっそう柔らかく緩んだから。見透かすようなそれに、ふたたびこそばゆくなってしまった。
「さて。何作ろうか考えとかなきゃ」、わたしは強引に、それでいて実にへたくそに話題を切り替える。

ケーキはいったいどんな味がいいだろう。フルーツかチョコレートか、はたまた別のものか。そうだ、テーブルクロスは明るい色にして、お皿はシンプルな白にしよう。それでいてフォークはぴかぴかの銀色、鏡代わりになるくらい気合をいれて磨いてやるんだ。それとケーキ以外のメインは何にしようか。……そう云えば、ギャブロとソニアの好物ってなんだろう。―― あっ、プレゼントも忘れないようにしなきゃ。

めぐりめぐる、止むことのない考えごと。それらはどれもが幸せな色をしていて、とびきりにあたたかな夢となる。そうして夢は幾夜のあとに現実となって、きっとかがやかな想い出として、ふたりの心のなかに色鮮やかに残るだろう。わたしは、願うようにそうおもった。そうであったならいい。いや、そうなるためにも、とびっきりの誕生日会にするんだ。

まるでじぶんの誕生日であるかのように。わたしの胸のなかは、きらめいた気持ちでいっぱいになった。どきどきする。わくわくもある。まるで、幼い頃の、サンタを待っていた夜の日のようだ。もうそんな歳ではないのに、じぶんの胸はこんなにも躍りだしてしまう。

めさきの未来で待っているお祝いの日。その日をいま、わたしは、なによりも心待ちにしている。


明るいほうへ

20091111
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