大貝獣物語



「バードさん、こんにちは」
「ああ、ハナミ。よく来ましたね」

他の警備隊員に丁重に案内されて、ハナミは彼の私室兼仕事部屋へと足を踏み入れた。その際に口にする挨拶はだいたい決まっていて、今日もまた滑らかに彼と笑みを交わし合う──。
──そう、交わし合えていると、いいのだけれど。
ハナミは肩にかけたカバンの紐をどきどきと無意味に直しながら、「どうぞ」と椅子をすすめるバードに従って、いつもの荷物入れのなかにカバンを置いた。

ギャブ・ファーが封印された今、シェルドラドは平和の最中さなか にある。
火の貝の勇者として召喚されたカズマは旅を共にした面々に別れを告げたあと、自分の世界へと戻ってゆき、ハナミもまた無事に元の世界に帰ることができた。

──のであるが。なんの因果か奇跡か、なぜかハナミだけがシェルドラドと地球とを行き来できるようになり、ハナミは折に触れてシェルドラドへ遊びに来るようになった。だってみんなとはまた何度でも会いたいし、その能力を行使しない理由が無い。出現できるスポットもなぜかある程度自由に選べるし。

「カズマくんは、やっぱり相変わらずですか」
「そうですね。噂のひとつも未だ耳にはできていません」
「そうですか……」

残念な気持ちを押し殺して、ハナミは項垂れそうだった背筋を正した。
ギャブ・ファーを倒して以来、カズマはこの世界に現れていないようだが、それでもまたどこかで彼にも会えることを信じている。バードもほかの仲間も、その気持ちは同じようだった。
ハナミは気を取り直して、ほんのすこし申し訳なさそうな笑みを刷いた。

「わたしのほうでは夕方だったんですが、こっちはまだお昼くらいなんですね。なんだか時差とかの法則がよく分からなくて……お仕事中にすみません」
「いいえ、そろそろ休憩にしようと思っていたところだったので。それにハナミであればいつでも大歓迎ですよ」
「っありがとう、ございます」

すらすらと飾りなく本音を紡いでくる彼に、多少は慣れてきたと感じていたハナミは、やっぱり照れて唇の端をはにかみに緩めた。

──シェルドラドが平和を取り戻して、二年。その二年のあいだに大陸の復興も進み、彼との関係性もまた変化した。
旅をしていた頃から互いに惹かれ合っていたようなのだが、住む世界が違うことを理由に、ハナミのほうから一線を引いていた。しかし世界を行き来できる今は、拒否する理由が無くなったのにも等しくなり。約一年前、彼のほうから告白されて、晴れて恋人同士になったのだった。
『さん』付けもなくなり、呼び方も変わった。それがハナミにはとても擽ったくて、ひどくうれしい。彼の恋人なのだと、そう実感できるから。

「こちらにもケイタイ、というアイテムがあれば便利なんでしょうけどね」
「そうですね。でも無かったら無いで、それもまた乙というか……無いなりの魅力というのも、あると思いますよ」

なんだかふんわりとしたフォローになってしまったが、本心だ。
シェルドラドに住むひとたちとの連絡手段がないから、いつも一方的に押しかけてしまうことになり、そこはやや申し訳ないとは思うけれど──あったらあったらで、情報に呑まれて忙しないのも事実だ。とはいえ利便性は高いので、現代人のハナミにとっては必須なのも否定できない。
するとバードが、ふ、っと柔和な大人の笑みを洩らした。

「いつどこにいてもあなたの声が聴けるというのは、羨ましい限りです」
「──っ、」

あぶない。噴きだしそうになった。
なんてことを言うんですか……と恨み言じみたことを呟きそうになり、唇をさっと手の甲で覆い隠す。

「……そういうこと言われると心臓にわるいので……」
「おや。やめたほうがいいかな?」
「……やめなくていいです、けど。ますます好きになっちゃうので……」

かっかと火照る頬を懸命に動かしてそう返すと、今度はバードが刹那ばかり眼を丸くする。次いで、旅のなかでは明らかに見せていなかった種類の笑みを浮かべた。

「今のままでも満足していますが、そうなってもらえると嬉しいですね」
「……そうなっていく自信しかないのでご安心ください……」
「っふふ、」

対面の席に座っているバードが、耐えきれないといったように嘴の端を緩める。もうずっと笑みを湛えたままなのに、それはひときわ無邪気に映えたような笑い方だった。

──ああ、やっぱり、だいすき、だなあ。

ハナミは己の想いを自覚しながら、暴れだしそうな心臓を誤魔化すように、カバンへと手を伸ばした。そこから矢継ぎ早にひとつの箱を取りだして、彼の前へと差しだす。
やや唐突な展開に、バードは破顔の名残りを刷いたまま、ぱちくりと眼を瞬いた。

「これは?」
「えっと、向こうの世界では今日、バレンタインっていうイベントの日なんです。それでわたしの国では女性から男性へ贈り物をする日みたいになっていて……友達相手にお菓子とか贈ったりもするんですけど、これはその、恋人としての贈り物です」

念のために大事なことも付け加えて、まっすぐと彼の瞳を見つめる。
二拍ほどの間を置いて、バードはさきほどよりも優しく双眸を細めた。

「ありがとうございます。今ここで開けても?」
「っはい、バードさんが良ければ……」

バードさんが良ければってなんだろうと自分にツッコミを入れつつ、ハナミは彼が丁寧な所作で包みを開けるのを見守った。
長方形の箱から、彼の手がゆっくりとそのプレゼントを取りだす。菓子ではなく、ペンだ。鳥族にチョコレートは大丈夫なのかどうか判別が付かなかったため、無難な物を選んだのだった。
──黄緑と黄色を基調とし、少しの赤がアクセントになっている、三色が美しく調和したガラスペン。

(本当は青と黄色にしようとおもったけど、キラーさんとちょっと被るからなあ)

どきどきと鳴り響く胸のまま、そのペンを眺める彼を黙って見つめていると、「美しい」という感嘆の吐息が耳朶を打った。

「もしかして、私の槍にまつわる色を?」
「そ、そうです」

バードさんならきっと気づいてくれると思っていた。
心密かな予想が当たり、耳の淵がすこしばかり熱くなる。

「ああ、これは――嬉しいという言葉だけでは、表現しきれませんね」

独り言のようにそう口にしながら、彼はやや幼く相好を崩した。
旅をしている時は見たことがなかったが、恋人となって、ふたりで過ごす時間を重ねてから、少年のような顔で笑うことが時折ある。
いつもの落ち着き払った気品ある笑みも好きだけど、この屈託ない笑顔もすきだ。奥深くまで心を許してくれているようで。なんだか、泣きたくなってしまいそうなくらいに。
ついつい潤みそうになった視界を押しとどめ、ハナミは言った。

「それで、実はもうひとつあるんです」
「もうひとつ?」
「はい、その……おまけみたいな、ものなんですけど」

意を決して切りだしたはいいが、面映ゆさに語尾が揺れた。それでも最後まで。

「――ついでにわたしも贈り物、ということで。よければ、どうでしょう」

こんな歯の浮くようなセリフは滅多に言わないので恥ずかしくてたまらないが、会うのもひと月半ぶりだし。バレンタインだし。と内心でじぶんを鼓舞する。しかし自信満々に言うことはできなくて、ところどころ保険をかけてしまった。

「ついでだなんて、そんなことを言わないで」

こちらの心境を察したのか、バードは包みこむような微笑に甘い色を含ませた。

「私にとっては至高の贈り物ですよ」
「っ――……バ……バードさん……それは……あまりにも……」

破壊力が高すぎる。おそれおおすぎる。
カッコつけるでもなく演技でもなく、さらっと恋人向けの笑顔で言い放つからおそろしい。さすが大人の男性。
真っ赤な頬を両手で覆うハナミのもとへ近寄ってきた彼は、ハナミを抱き締めて、頬とおでこにキスを落とした。

「まったくあなたは、本当に可愛いひとですね」

ひと月半ぶりのハグとキスは、唇以外といえども刺激が強かった。彼の匂いがして、ふわふわとした羽毛が心地よくて、あたたかくて。
さらに赤面するハナミにくすくすと肩を揺らして、バードは名残惜しそうに離れた。

「それでは残りの仕事を迅速に片づけますので、それまで私の部屋ここ にいてくれますか」
「お、お邪魔じゃないですか……?」
「まさか。逆にはかどりますよ。あなたの存在を間近で感じられるので」

すらすらと述べながら「それに」とバードが続ける。

「今日会いに来てくれるために、すこし無理をしたんでしょう。二時間ほどで片付きますので、そのあいだ私のベッドで寝ていなさい」

しなさい、というような口調を自分に向けられるようになったのは恋人になってからだ。しかしそれは厳しい命令ではなくて、どこまでも優しく甘い響きに満ちている。
確かに今日のために忙しない日々を送っていたが、クマは作らないよう気を配っていたのに――彼よりずっと顔を合わせている友人達には気づかれなかったのに、なぜ気づいたのだろう。
不思議な思いと、見透かされた喜びとを胸に抱いて、ハナミは素直にうなずいた。

「それじゃあ、お言葉に甘えて」
「ええ。ゆっくり休んでください」
「はい。お仕事中にすみませんが、おやすみなさい」

挨拶を交わして、皺なく整えられているベッドに寝転ぶと、彼の匂いが鼻腔をくすぐった。森のような安らぐ香り。

(ああ、すきだなあ……)

そう実感しながら彼の後頭部を眺めているうちに、眠気はすぐにやってきた。
緊張感のかけらもなく完全にリラックスした状態で、ハナミは安らかな夢路を辿りだした。


すやすやとあどけない顔で寝ている彼女に、バードはそっと静かに笑んだ。
勉学やら労働やらで毎日忙しいようなのに、時間を作って逢いに来てくれるために無理をして。寝不足に陥るまで頑張られてしまうと心配で仕方がないのだけど、理由が理由であればやんわりとでも叱るわけにもいかないし、嬉しいのも確かだ。
このペンも、彼女の世界にどの程度の数があるか知らないが、じぶんに纏わる色を探してくれるだなんて。時間もかかったに違いない。

「……よい夢を」

――そして叶うならば、夢の中でも私に逢ってくれますように。
込み上げる想いとともに、バードは贈られたばかりのガラスペンを手に取った。それは微細に美しく煌めいて、バードの網膜を輝かせる。いとしい人からの、いとしい贈り物。
穏やかな心地でその輝きを眺めてから、バードはそのペンを手に仕事を再開した。一刻でも早く終わらせ、彼女との時間を心ゆくまで楽しむために。


ひかるあなたのすべてから



Happy Valentine’s Day!
2024/02/14


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