大貝獣物語



キラーには、心を許せる者が、ふたりいる。
どちらも異世界から来た人間だ。性別や年齢は異なるが、魂の清らかさと、どこか人なつっこい笑い方とがひどく似通っている者たちだった。
そのふたりが笑顔で並んで喋っていると、よくわかる。自分とは違う光に愛された者で、そうしてふたりもまた、周囲に惜しげもなく光を振り撒く存在なのだと。

「あ、キラーさんだ」
「キラーさ〜ん!」

双子のように息ぴったりでこちらに気づき、にこやかに腕をあげる姿。
降りそそぐ太陽の光もあいまって、ひどく眩しかった。心臓のどこかが温かくなるような心地がして、キラーはわずかに眼を細めながら黙々と歩み寄った。

「もう出発ですか?」
「いや、カズマを呼びに来た。ザルドンとバードに言われてな」

ハナミの問いにそう返すと、カズマはわかりましたと笑顔で立ちあがった。
手短にザルドン達の居場所を告げた後で、「はい」とすぐに向かおうとする少年に、キラーは待て、と声を掛けた。

「いくらか魔力が上がるはずだ。身に着けるといい」

『まほうのピアス』と銘打たれた代物を軽く投げ渡すと、カズマはなんなく両手でキャッチして、瞬きながら己の掌を眺めた。そうしてすぐに「ありがとうございます」と相好を崩し、手際よく耳たぶに装着し終える。

「それじゃあハナミさん、また後で」
「うん。またねカズマくん」

外套をひらりと靡かせて去っていく姿が見えなくなってから、キラーは今度は別物のピアスをハナミに差しだした。ぱちぱちと、カズマよりも驚いたような顔で、彼女がまばたきを繰り返す。

「え、……わたしにもですか?」
「ああ」
「で……でも、わたし魔法も武器も使えないですし、着けてる意味が」
「持っているだけで多少疲れが違うはずだ。体力をカバーできる」

遮るように説明すると、ハナミは薄く開かれた唇のまま、困ったような悩んだような表情を浮かべた。
ああ、この顔は恐らく、「それでも自分が受け取る資格はない」という顔だな。
このピアスがカズマに渡した物より高値であること、そして半分以上はキラー個人の稼ぎからまかな ったものであることは口が裂けても言うまいと思いながら、急かすようにうながした。

「手をだせ」
「え、で、でも」
「女物のアクセサリーを俺たちに着けさせる気か?」

溜息を仄めかせながら言葉を重ねると、ハナミがやっと手の平をおそるおそると上に向けた。しろく柔らかな手の上に、女性らしいデザインのピアスを乗せると、ハナミの視線がそちらに俯く。睫毛のかたちをした影が、その肌に淡く浮かびあがるのを見て、キラーはなにか美しいものを眼にしたような気分に見舞われた。

「ありがとうございます。大事にします」

噛みしめるようにそう唱え、面をあげたハナミの顔は、どこか神妙にほほ笑んでいた。薄っすらと頬も紅潮している。
申し訳なさよりも感激の色が深く滲みでているような気がして、それが己の錯覚ではないことを密やかに願いながら、キラーは続けた。

「穴は開けていないんだろう。カバンの隅にでも忍ばせておけ」

無理に耳に着けなくてもいい、ということを言外に伝えると、ハナミは眉をゆっくりと弱々しく下げた。どうした、と問う前にちいさな囁きが響く。

「……失くしそうでこわいです」

確かにな、とキラーは苦笑いを浮かべそうになって、頬の筋肉に力を込めた。

「なら、服のポケットはどうだ」
「……う〜ん、」

と逡巡するようにピアスを見やったハナミは、ひとつ深く頷いた。
こちらの提案を受けいれたサインかと思ったが、直後、彼女の口から飛びだしたのは耳を疑うような発言だった。

「──ピアスの穴、開けます」

そして耳につけます、と宣言する瞳はまっすぐと澄んでいて、キラーは一瞬ばかり呼吸を止めてしまった。
こちらに気を遣ったわけじゃないことはその眼を見ればすぐに判った。しかし『その場の思いつき』と表現するには、あまりにも強い意志が潜んでいて、やめておけと止めるのが憚られるほどだった。

「……無理に開けなくてもいい」

返答に窮した末にそう言うと、その双眸の光がさらに勇ましくなる。

「むりじゃないです。元々、いつかは開けようと思ってましたし」

その『いつか』を思い描いていたのは、彼女がやってきたという異世界の時間上であろうことは想像に難くなかった。
ハナミの瞳に孤独が宿っていないことに安心する反面、胸の奥から不明瞭な苦しさがじわりと湧き出てきて、キラーは何食わぬ顔でそれを押しこめた。
「──ところで、」とハナミがより真剣な雰囲気を纏った。

「ピアス穴って、こっちじゃどう開けるんです?」

ごくりと生唾を呑むような声音に、キラーは涼しい顔で答えた。

「おもに針だ」
「はり」

いっぽん調子で復唱したハナミの眼の動きが固まり、どことなくその顔から血の気が失せてゆくように感じた。この反応から察するに、彼女の世界では異なる道具を用いるのだろうか。
やめてもいいんだぞ、と逃げ道を与える前に、ハナミの瞳はもう覚悟を固め直してしまった。

「わかりました。それじゃあ、詳しい方法を訊かせていただいても…?」

やや強張ったその頬を眺めながら、自分で穴を開けるつもりなのだと悟ったキラーは、刹那のあいだにその光景を想像した。

……ダメだ、嫌な予感しかしない。

料理や裁縫、そして今ではアイテムでのサポートも手際よくこなす彼女だが、ドジな面がある。なにもないところで躓いたり、店で買った品物を手に持たずに踵を返したり(なので彼女ひとりに買い物役は任せられない)、明らかに怪しい客引きにひっかかりそうになったり(なので一人にさせておけない)──。
これまでのドジ場面集シーン が次々と記憶からよみがえってきて、目を瞑ったキラーはちいさく息を吐いた。きれいな肌に無闇な傷が刻まれるのは見たくない。

「……聞く必要はない」
「えっ?」
「……俺がやってやる」

淡々と告げてまぶたを上げると、予想どおり驚いたようなまなざしと目が合った。

「え──い、いいんですか」

数瞬遅れて意味を呑みこんだらしいハナミに、「ああ」と返すと、彼女の表情がみるみるうちに昂揚を刷いた。まるで生存者を発見したかのように。

「よ、よかったー! キラーさんなら安心です! ぜひお願いします!」

満面の笑みで距離を詰められて、たじろぎそうになりながらも頷いた。
最初の出会いで命を助けてからと云うもの、どうも全幅の信頼を寄せられている節がある。それがはじめの頃は居心地悪く、常に意識して壁を作っていたのに、気づいたらいつのまにか、その好意を拒否する術すら忘れてしまった。

(まったく、カズマといい、こいつといい……)

異世界から来た人間というのは、みんなこのような性質なのだろうか。
……いや、違うな。きっとこのふたりが特別なのだ。戦う必要のない平和な世界からやって来た、そのことを差し引いても。夜明けの太陽のように、周りを照らす耀きをその存在自体に内包している者は、そう多くない。

「それじゃあ、えーっと、今日ってまだ時間あるのかな……」
「出発は早くても明日以降だ。宿に帰ったらすぐにやるか?」
「そう、ですね……すみませんが、お願いします」

ふたたび緊張感を秘めた声色に、キラーはすこしでも彼女の不安を削ぎたくて言った。

「極力痛まないようにする」

するとハナミは一瞬ばかり眼を見開いて、目尻と唇をやわらかに綻ばせた。未だその手の平に乗せられたピアスをゆったりと握り包んで、「はい」と肩の力が抜けたようにうなずく。

「……ピアス、付けられるの楽しみです」

そっと胸に仕舞いこむようなつぶやきに、今度は心臓を甘くなぞられたような感覚がして、キラーは「戻るぞ」と背を向けた。そのまま歩き出すと、彼女の足音もついてくる。
とうに耳に馴染んでしまったそのリズムを聴きながら、必要な道具をひとつずつ脳裏に列挙したあとで、キラーはひとしれず唇を緩めた。

──さっきの姿を、笑顔を見られただけで、買った甲斐がある。

らしくもなく、そう思った。
かつては溶け込めなかった眩しい光に、今はもう違和を憶えなくなったことが、血潮を熱くするほどに嬉しかった。


ひかり、満ちて



2021/12/22
(27周年おめでとう!)


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