大貝獣物語



 さすがに、北に位置する大陸である。
 降りそそぐ雪のきらめきと、大地を覆うものの純白たる美しさ。
 はじめてこの地に下り立ったとき、ハナミはその静謐な光景に胸がすくような感動をおぼえた。が、しかしそれも最初の方だけで、いまは鋭い爪を立ててくる冷気に身体を震わせるばかりだった。

 家のなかにいても、凍えるような寒さは折折で肌に沁みてくる。
 冬の季節も雪の景色も好きな部類に入るものの、極寒への耐性が有るかどうかとはまた別の話だ。
 ハナミは暖炉のまえに腰を落ち着けながら、アイスマンの村に向かったカズマたちの帰りを、指折り数えて待っていた。外より格段に暖かい家の中で待っている自分よりも、外の世界にいる仲間達のほうが余程辛い思いをしているのに、寒いだなんて云ったら贅沢だ。申し訳なさからそう思い直す。

 最北端の村に赴くメンバーには、寒冷に比較的強いものたちが選ばれた。特にキララはその出身や得意属性のために、パーティ内でもいっとう頼もしい存在となったのである。出現するモンスターとの属性相性はあまり良いとは云えなくても、彼女の前向きで朗らかな性格は、きっとカズマたちの支えになっていることだろう。

 そして引いては、このグレートノームの家で待機しているのは、厳寒に弱いひとびとである。
 此処ではハナミをはじめとして、マギーとガロウ、バードの四人が仲間の帰還を待ち侘びていた。
 暖炉の炎は衰えずにその勢いを保っているが、しかし肌寒さは払拭できない。己の体が粟立っているのを感じながら、マギーは両手で身を擦り、しろい息をそっと吐いた。

「老体にこの寒さはこたえるのう……」
「大丈夫ですか? どうぞ、もっと暖炉の近くに来てください」
「優しいのう、ハナミちゃんは。しかし火に当たるより、ハナミちゃんが抱き締めてくれれば、わしはもうそれだけで心も体もホッカホカに──ふげっ?!」

 締まりのない顔で涎でも垂らしそうな勢いのマギーが、ハナミに抱きつこうとした瞬間に、ふっと彼女の姿が掻き消えた。支えてくれるはずの対象が急にいなくなったことで、マギーは床にべしゃりと倒れ込む。

「なに寝惚けたこと云ってやがんだ!!」

 マギーの行動を先読みして、素早い動作でハナミの身を引き寄せたガロウが吼えるように怒鳴った。女好きの老人よりはまだ恋敵のほうが安全だと、バードの近くでハナミの身体から手を離し、その隻眼でマギーを鋭く睨みつけている。

「寝言は寝て云え!」
「ガロウ。相手はお年寄りだ、もう少し手柔らかな言葉にしろ」

 床に打ちつけた箇所を両手で押さえながら、マギーは呻き声を洩らしている。
 炎の揺らめきで、淡いオレンジに薄っすらと照らされた床。その上で蹲っている老人をいささか呆れたように眺めて、バードがガロウを窘めた。
 しかし先のマギーの発言で、彼の胸中にもまた穏やかではない感情が込み上げていたので、痛快な思いがほんの僅かでも過ぎったことは否めない。

「マ、マギーさん。大丈夫ですか?」
「ううっ、ハナミちゃんだけじゃ、わしの味方は」
「よく云うぜ。自業自得だろ」
「お言葉ですが、今のはわたしもそう思います」
「ええいっ、やかましいわ! また記憶が飛んだらどうしてくれる!」

 涙目で抗議する自称大魔導士に、バードは今度こそ深い溜め息を吐き、ガロウは呆れ果てて閉口する。
 やや困惑した眼差しをマギーと二人の交互に向けながら、ハナミもまた言葉を紡げずにいた。
 彼女の戸惑ったおももちに逸早く気づいたバードは、これはいけない、と一つ咳払いをし、微妙な雰囲気に形成されてしまったこの空気の収束を即座に図る。

「マギー殿。グレートノームさまのお傍についていただけますか?」
「なんじゃ急に! 人を邪魔者のように扱いおって……わしはハナミちゃんと一緒にいたい!」
「きっとお一人で退屈されていることでしょうから、どうか話相手になって頂きたいのです。グレートノームさまのお心の琴線に触れる話ができるのは、多種多様な話題と知識を豊富に持っているマギー殿だけですし」
「……そ、そこまで云うなら。仕方がない、引き受けてやってもいいぞい」
「感謝致します、マギー殿」

 堅実で真摯な眼つきと、世辞の響きなど一片も含まれていない言葉、そして敬うような青年の口調──それらがひどく耳触りよく感じたらしく、途端にマギーの態度は、ぐるりコロリ180度変わった。
 そうして自称魔導士は、満更厭でもなさそうな様子で、むしろ意気揚揚と部屋を出ていく。

「……バードさんのそういうところ、素直にスゲエと思うよ」
「ではわたしも、素直に褒め言葉として受け取っておこうか」

 皮肉なしに感嘆の息を洩らしたガロウに、バードは穏やかな苦笑いを浮かべる。
 マギーの後ろ姿を目で追っていたハナミは、そこでようやく二人へと視軸を転じた。
 ささやかな視線を感じると、彼らはお互いの顔を見合わせた後に、小さく小さく嘆息を滲ませる。

「ハナミ、お前もな、もうちっと危機感持たねえとダメだぞ」
「うむ。魔法を巧みに操る部分は尊敬に値するが、しかし女性には目がない人だからな」
「は、はい。ごめんなさい」
「っつっても、お前随分とじいさんに懐いてるよな」
「それは……マギーさん、わたしのお爺ちゃんにちょっと似てて、そばに居ると何だかホっとするんです」

 頬をやわらかに緩める彼女とは真逆に、二人の胸の内にはわだかまりにも似た靄が生じる。彼らの鼓膜を揺らした声は、言葉のままの、心を解き放つかのような、ひどく安堵した響きに満ちていたからだ。
 バードは無難な相槌を打ったものの、ガロウは沈黙やそれを択ぶことなく、また悪気も一切なしに明け透けな態度をとった。

「あんなじいさんのそばが安心する、ねぇ……。なーんか、納得いかねえな」
「ガロウ」
「ハナミ、それじゃ俺たちはどうなんだ?」

 バードが静かな物云いで諫めるが、ガロウは気にも留めず言葉を続ける。
 放たれたその問いに、バードは再び自制を促そうとした。しかし以前から彼の心にも引っ掛かっていた事柄であったため、いささか考えたのちに、無言で見守ることにしたようだ。
 一方、思わぬ言葉に瞠目したハナミは、それでも次にははにかんだように唇を綻ばせて。

「もちろん、二人のそばにいる時も安心しますよ。いつも一緒にいてくれますから!」

 温顔にかがやかな満面の笑みを浮かべ、明るく無邪気に声を弾ませた。
 暖炉の鮮やかな炎が、彼女のあらゆるぶぶんの輪郭を緋色に染めている。そのあたたかな光に照らされて笑う目の前のひとは、あまりに清く、眩しく、そしてあまりに──美しい。
 彼女を形づくる、純粋で濁りない心根は、この地をきよらかに包み込む純白な雪を彷彿とさせた。
 バードとガロウは、思わずふたたび顔を見合わせて。そして微かな吐息とともに、どちらからともなく、やすらかな苦笑いを口の端に刻んだ。

「まあいいか、今はそれでも」
「うむ」
「えっ? 何がですか?」
「いいや。何でもないさ」
「そうそう。こっちの話だからな」

 意味深に含みのある云い方をする二人。ハナミは瞬きを繰り返し、不思議そうに小首を傾げる。
 純真で曇りない眼に視線を注がれて、彼らは今度こそ雑じりなく顔を綻ばせた。


「みーんなー! 今帰ったわよー!」
「キララさん、声が大きいです! グレートノームさんが寝てたらどうするんですか!」
「何よ、いいじゃない、どのみち起こすことになるんだから」
「それはそうだけど……」

 扉を隔てた向こう側で、少しくぐもった幾つかの声が、賑やかに響き渡る。
 俄かに耳を打ったその会話に、ハナミは左右の瞳を喜びに光らせて、面持ちをぱっと明らませた。そしてバードとガロウの手を速やかに取ると、二つの大きな掌を緩やかに引いて歩きだす。
 突然の行動に彼らは目を丸くさせ、愕きを隠せないまま口々に彼女の名を呼んだ。

「お、おい! どこ行くんだ?」
「みんなを出迎えに!」

 自身の肩越しに二度、左右に振り返り、ハナミはにっこりとそう告げる。
 彼女があまりにも嬉しそうに眼元を緩ませているものだから、彼らの心もまた和やかな温かさに包まれる。まるで何かの魔法にでもかかったかのように、不思議な一瞬で。

 あたたかで柔らかな感触と、声と、言葉と、頬笑みと。
 焦がれてやまない唯一の存在に、ガロウとバードは、繋がれた手をそれぞれ異なった力加減で握り返す。
 そののちに彼らは互いの視線を絡ませて、彼女への想いを胸に。口許を緩ませながら、そっと密かな火花を散らした。


 仄かに冷えている掌に導かれて行く先、開け放たれた扉の向こうに広がる世界は。
 鋭く身を刺す凍える風と、時が止まったかのように静謐な空気と。 うつくしい、純白。


うつくしきもの

20100807
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