今日もクリミナルファイターとバディファイトをした。今月、今週だけでもう何人目だろう。中継するヘリコプターも、こうも毎日実況していたのではいい加減タスクのファイトに飽きてくる頃ではないだろうか。タスクの知ったことではないけれど。それ以上に、まず治安の面で問題がある。警察は、捜査や逮捕よりも抑止力になった方が安全な市民生活という意味では好ましいはずだった。けれど生憎なことに、今のタスクは――バディポリスは、その役目を果たしているとは言えなかった。完膚なきまでに負かした犯人を搬送する隊員に引き渡して、タスクは報告書の作成の為にバディカード管理庁に戻ろうとバディポリスの車に乗り込む。運転席には滝原が座っていた。

「浮かない顔だな」

 そう、タスクの髪をくしゃりと撫でる大きな手は大人のもので、タスクは子ども扱いされていることに以前ほど激しい抵抗を覚えなくなっていた。子どもであることは弱いことではないと、少しずつ理解し始めたから。教えてくれた、自分よりも小さな、強い少年をいつも覚えているから。

「浮かない顔にもなりますよ。最近、多いですよね、事件」
「季節柄というものでもないんだがなあ、言いたくないが単純に――」
「バディポリスが舐められてるんですよ」
「はっきり言うなあ」
「子どもだからって、開き直る所は開き直ることにしました」

 実力に信頼が伴っても、タスクに集まる視線が多いのはやはり彼が子どもだからなのだ。どれだけ努力しても、クリミナルファイターと闘う危険な現場に身を晒しても、他人の目に映る子どもの姿を、そう簡単に越えられるものではない。それは同じバディポリスの仲間ですらそうなのだから、タスクは今更無知な子どものふりをして組織の棘をつつく。己の過去の振る舞いが、その棘に無関係だとは言えないことを、決して小さくない罪の意識をタスクの中から消さないために、それは必要なことだった。
 バディポリスが犯罪者に舐められていることが、ここ暫くタスクたちの忙しさに拍車をかけている。正論で、より正確に言うならば社会的信頼度を著しく欠いたのだ。バディポリスが実際に犯罪者と対峙する組織だとわかっていたのか、一時コマンダーIやタスクを追いやった調査官たちは――怠惰であるよう指示があったのかもしれないが――邪魔者を差し引いても通常の業務として回すべき仕事までをも滞らせた。特に死神によるバディ強奪事件は直ぐにでも調査をするべきだったのに、余計な被害を拡大させても最後までバディポリスはその重すぎる腰を上げることをしなかった。全てが元通りになっても、評判はあっさりと世間に伝播する。バディファイターによる犯罪の全てを管轄することに未だ変わりはないが、警視庁の方からの干渉もこの先増えていくだろう。閉鎖的に、犯罪対策を請け負って、尊重された挙句に乗っ取られたのだから仕方ない。
 移動中、タスクはずっと窓の外を見ている。いつもバディファイトをするとき以外はコアデッキケースから抜いて胸ポケットにしまっているジャックが、彼を案ずる気配を感じ「大丈夫だよ」という意を込めて笑ってみせる。見えているかは、わからないけれど。

「そういえば、タスク明日は非番じゃないか?」
「――そう、だったかもしれません」
「ちゃんと確認しておけよ」

 休みを心待ちにするでもない仕事人間として凝り固まってしまったタスクの性格は相変わらずで。もしかしたらこの先も変わらないのかもしれない。滝原も、タスクも、そう思っている。勿体ないとか、可哀想とか、そういう否定的な感情を動かすには今タスクの周囲には何もなかった。犠牲にしているもの、楽しい子どもらしく振舞える少年時代。そう思われていた時期も確かにあって、タスクも受け入れたはずなのだ。子どもとして生きる時間も、歯痒いばかりではないという真実を。ただそう受け入れるまでに失ってしまったたった一人の少年に、その大きすぎる不在の穴に直面するばかりの手持無沙汰な時間は、嘗て大人にならなければと逸っていた頃よりもずっと大きな力でタスクの心を脅かしている。拭えないのは、恐怖でも絶望でもなく虚無だった。

「――この間、富士宮さんに会ったんです」
「ええっと?」
「牙王くんの、友だちです」
「! そうか、それは――」
「楽しいって寂しいと一緒みたいだって、笑ってました」
「泣いてたんじゃなくて?」
「ええ。だって、泣くのは変ですよ。寂しけど、楽しいんだから」
「――――、」
「バディファイトって、楽しいものなんですから」

 そう、吐き出せるだけ吐き出して、タスクは窓に額を押しあてて目を閉じた。そして今呟いた言葉を心の中で繰り返す。
 ――楽しいって、寂しいと一緒みたい。
 それは、バディファイトと未門牙王という少年を一緒くたにした乱暴な表現だ。けれど的確で、タスクは思わず泣きそうになってしまったことを思い出す。偶然出会った、キャッスル前の水槽をぼんやりと眺めていた彼女は笑っていた。はしゃいだ声を出して、けれど一度たりともタスクの正面に立ってじっとしていることはなかった。そうでなければ、二人きりの空気は居た堪れなかったのだろう。
 バディファイトは楽しい競技だ。タスクはずっとそう思っている。自分のプレイングが、その認識から特別外れているとも思わずに生きてきた。だから、楽しくないのならそれは相手がクリミナルファイターだからなのだと信じて疑わなかった。たぶん途中までは、それも正解のひとつだったのだ。
 ――牙王くんと出会わなければ。
 それは、想像するだけで悍ましい文面ではあるのだけれど。敵は倒すものだ。救うものじゃない。タスクはそう思っていた。牙王は違った。それだけのことだと割り切ることがいつまでも上手くいかないで。聖人君子のように誰でも彼でも救うなんてできるわけがないと彼の前に否定の言葉を置くこともできなかった。牙王ならば出来るのかもしれないと思った。太陽のような眩しさに、手を翳して直視を避けた。それがきっと、タスクが牙王を引き留め損ねた最大の要因ではないかと思っている。迷うな、踏み込め。あの日、牙王を失う瞬間、タスクに必要だった一歩を踏み出して来たのは、いつだってタスクではなく牙王の方だったのだ。そう振り返って、タスクは今日も後悔をひとつ増やしている。

「タスクは――」
「はい」
「今でも牙王くんの友だちとよく会ってるのか?」
「え――?」

 どうしてそんなことを聞くのだろう。タスクは滝原の方を見る。運転中である彼は前を見ている。大人の社会のルール。嘗て一度だけ、タスクの前でそんなずるい言葉を使って見せた滝原は、それでも随分と正直な人間だ。そして優しい。タスクを心配しているのだと、質問に好奇心など一滴も混じっていないことを一目で教えてくれる瞳をしていた。
 タスクも前を向く。道は真っ直ぐ伸びていて、視界には遠くにカード管理庁のシルエットが映っている。二人で話す時間は、丁度いいのか間が悪いのかわからないことに、充分残っているようだった。

「会ってないです」
「会えないです」
「友達にも、御家族にも」
「偶然の力を借りなくちゃ」
「怖くてとても、会えないです」

 膝元に視線を落としながら、タスクははっきりと言葉を区切って吐き出す。先日風音と出くわした本当に偶然のことだった。
 タスクは、牙王が消えてしまってから彼の友だちや家族に会うのは怖いことだと思っている。偶然なんて不意打ちで相対しては、ガードも反撃もできない、分の悪い事態だ。だが、タスクにはその方がマシなのだ。そうだ会いに行こうなどと思い立ってしまっては、きっといつまでも覚悟は決まらない。そして万全な準備など整えて、しっかりと身を守って話す言葉にどんな意味があるだろう。

「ねえ滝原さん」
「ん?」
「ぼくは、牙王くんがぼくのライバルだってこと、牙王くんのライバルがぼくだってこと、すごく宝物なんです」
「――うん、そうだったな」
「だから、牙王くんの友だちにも家族にも会うのが怖い。彼等はぼくのことなんて殆ど知らない。ぼくと牙王くんのことを」
「――――」
「わかってるんです、こういう、閉鎖的な考え方が駄目だったんだって。でも、牙王くんの友だちから見て、ぼくは何なんだろうって考え始めると、いつも何でもないんだって答えしか浮かばないんです」
「それは――」
「それなら、赤の他人と一緒じゃないですか」

 だから会いに行く理由がないのだと、タスクは俯く。風音の態度を振り返りながら、きっとこの認識は真実から外れていないだろうと確信している。
 目を閉じる。牙王の友だち、そうカテゴライズすれば、何人もの顔が浮かんでくる。その誰とも、タスクは牙王を介さずには繋がっていられないような気がしてならないのだ。それだけ、牙王は自分と外の、タスクが無意識に欲しがっていたくせに無神経に振り払った日常の世界を繋いでくれていたのだ。そして牙王がいなくなった今、その繋がりが解けていくことに、何の不思議もない。

「タスク」
「――はい」

 落ち着いた、大人の声だ。だからつい、タスクも居住まいを正して返事をしてしまう。これが、大人であることと子どもであることの無意識な差なのかもしれなかった。

「タスクは、考えが混むと視野が狭くなる。悪い癖だぞ」
「わかってます。言ったじゃないですか」
「そうだ。もうタスクはわかってるじゃないか」
「? 何をですか」
「牙王くんの友だちに、会いに行く理由」
「――――?」
「牙王くんの、ライバルなんだろう? タスクは」
「え――」
「それだけで、牙王くんの友だちに会えばいいじゃないか。まるで友だちとライバルは別物で、友だちの方がライバルよりも牙王くんが消えた悲しみが重いから気を使わなければならないみたいに悩むなんて、そもそもおかしい話だろ」
「……そんな風に、言ってました? ぼく」
「ああ。少なくとも俺には、そう聞こえていたよ」
「……そうですか」

 それは迂闊で、盲点だった。ジャックのいるポケットに触れて、「君もそう思っていた?」と問いかける。肯定する気配が、確かにした。タスクは座席に背を預けてずるずると下にだらしなく沈む。張りつめていた糸が、一本間違いなく彼の中で切れた。
 そんなタスクを、滝原は横目で眺めて苦笑している。タスクも凄い子どもだが、未門牙王という少年もまた凄い子どもだったと、彼は時折振り返る。ヒーローに憧れて大人になった滝原には、太陽と称されるほどの器と、実際救ってきた心の数に、素直な感嘆もあれども子どもらしからぬという言葉を用いるに疑問の余地がないことに心苦しさもある。大人の、勝手な想いだ。
 守らせて欲しかったのに。それは滝原の、滝原以上にタスクが抱いた、牙王への決して受け取ってもらえることのない願いだった。あの子はとても強かったから。一度だけ、涙に覗いた子どもらしさを見つけたけれど、それでも。

「置いていきたかったわけじゃ、ないよね」

 掠れた声で、タスクが問うたのは奇しくも滝原と同じ疑問で。それは答えが返るはずのない牙王に向けての言葉だった。
 決して、タスクとライバルであることを、誰かと友だちであることを拒もうとして、置き去りにしようとして、世界を飛び出して行ったわけじゃあないのだと、タスクにはもう信じることしかできないから。だからせめて心の底から信じるのだ。牙王のいない世界で、これ以上揺るがないでいる為に。
 久しぶりに喋りすぎて、ひどく疲れた。眠りたいとタスクが船を漕ぎ始めたとき、車はカード管理庁の前で止まった。タイミングが悪い。けれど、まるでタスクにしゃきっとしろと誰かが背中を押しているようにも感じられて、タスクは車から降りると、真っ直ぐ背筋を伸ばして、建物の奥へと入った。その背に、恐らく滝原が見守るような温かい視線を送っていることを、ちょっとだけ気恥ずかしく感じながら。




■きみがぼくを求めなかったからかもしれない
20141116