花畑がある。俺は花畑を眺めている。その花畑中心で、あの頃の幼いニアがくるくる回りながら踊っている。ああ、これは夢なんだな、とぼんやりと思った。今はもう、幻と呼んでしまいたくなるくらい遠い思い出と、帰りたいと願う俺の願望が入り混じった夢なんだ。
ニアが手を振りながらこちらを振り返って呼んでいる。だけどその声は俺の耳には届かない。多分俺を呼んでいるのだろう。そんなことは簡単にわかるのに、自分の足を一歩彼女に向って踏み出すことが出来ないまま、俺はただニアを見つめていることしか出来なかった。
そんな俺を、ニアはやっぱり笑いながら見つめていてその手に抱えた花束を空に向かって放り投げた。すると途端に空中で散った花が星屑みたいに輝きながら空に昇って行って、きらきら上空で光り出した。

(凄いな…、圧巻って云うんだっけこういうのを)

光り輝く花なのか星なのか、取り敢えず空を見上げながら、ただただ感心しきりな俺をやはりニアは呼んでいた。本当に不思議なものだと思う。声は全く俺の耳には届いていないのに、ニアが呼んでいるのははっきりと分かるのだから。

(シモン、)

確かに、ニアの唇が俺の名前を紡いだ。だけどやっぱり俺はそれに返事をしようとしない。出来ないのとは違うのだ。声が出ないのではない。出そうと思えないのだ。それと同じように、ニアは俺を呼んではいるけれど、決して彼女の方から俺に向って駆け出す事はない。
ふと、上空で輝く星が燃えるように強く光った後、墜落するかのように流れて消えた。それは流れ星の類とは違う輝きで、あの星の命が尽きたのだと俺に直感的に訴えた。そしてそれに続くように周囲の星たちも一瞬強く赤く輝いたかと思うと、流れては堕ちていく。
俺は、ただ終って行くその星達をぼんやりと眺めている。ニアも眺めている。だけどニアは悲しそうに空を見つめていて、俺はただ無感動に空を見つめている。
気付けば先程まで一面咲き誇っていた花畑に、落とし穴の様な黒い穴がぽつぽつと点在していて、じわじわとその範囲を広げているようだった。
花畑に立ち続けているニアはずっと空を見上げていて、周囲の変化に気付いていないようだった。俺はそんなニアに声をかけることもせずにただ立ち尽くしている。

あの穴を抜ければ、きっと朝が待っているのだ。この夢の終着点、俺の、隣にいる筈のニアを見失った現在地。ただそこに落ちそうになっているのは夢を見ている俺ではなくニアで。そして俺は、このニアがいる夢を全く幸せには感じられなくて。

(迎えに行かなくちゃいけない)

だからこんな夢の中で思い出に浸って幻想のニアに執着してなどいられない。少しずつ、幼いニアの姿が霞んでいく。そこで漸くニアはこちらに顔を向けて、微笑んだ。何年たっても消えない、あどけなさを残すその笑顔で、俺を呼んで。

「待ってるから、シモン」
「……すぐ、行くから」

夢の中、初めて聞こえて発した言葉は、約束ではなく俺の決意。
逃げ出さないと決めたから、君が隣にいない目覚めにだって、俺は勇敢に立ち向かってみせるよ。






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