会いたい時に会えないから、会えた時にくらいずっと離れないでいたいと考える自分の安直な思考が、間違っているとは思わない。だけど久しぶりに会ってから、離れる前と何ら変わっていない態度の風祭を眺めていると自分の考えがぐらぐら不安定に揺れ始めてしまうのだから、やっぱり自分は安直だ。
口下手な自分には、サッカーの試合を離れてしまえば肩に触れる事すら困難だった。そもそも触れたいなんて言葉にしてから触れるなんておかしな話だ。シゲのように日常の一動作として風祭に触れていたら、こんな小さなことで馬鹿みたいに悩んだりはしないんだろう。
ドイツって遠いよなと呟いた俺に、シゲは同じ地球上にいる限り大したことはないと笑った。シゲみたいに思いつくまま生きることを選べる人間にはそうなのかもしれないけど。俺は只の中学生で、時間も資金も自分だけの意思で浪費出来る量なんてたかが知れてる。何より俺は、大きな一歩を踏み出す時には決まって誰かに背を押して貰わなきゃ動き出せない意気地なしだ。一人ドイツでリハビリに励む風祭の元に、俺一人が会いに行く理由が見つからない。俺よりも上手く風祭を励ましたり、調子を聞いたり、有意義な時間を過ごせる相手なんて、きっとほかにいくらでもいる筈だから。
それでも、頭の中でぐだぐだと自分の正当性と言い訳を並べ立てて、結局俺は風祭に会いに来た。空港で俺を出迎えてくれた風祭が、余りに俺の記憶の中の、最後にこの網膜に焼き付けた風祭と変わらぬ笑顔でいてくれたから、俺は不覚にも空港という大衆の面前で泣きそうになった。

「…久し振り」
「うん、久し振りだね」

当たり障りのない言葉だけなら気楽に選べる。それでも本当はそれ以上の言葉を掛けてやりたくて必死に探すけれど、知識だけなら無駄に詰まっている筈の頭をフルに使っても、いくつかの候補は浮かべどそれらが最後まで音として出てくることはなかった。
ドイツは遠い。物理的にも、心理的にも。電話なんて、手紙なんて、必要なかったじゃないかと何度も歯を食いしばって堪えて来た言葉が今脳内をぐるぐる廻る。当たり前に訪れて過ぎて行く日常の中にいつからか、いつだって風祭はいたのに。たった一度の大怪我で離れ離れになって。俺の当たり前もあっさり壊れた。俺の進学する高校の名前なんて伝えたって仕方ないだろう。俺が学生でいる間に、風祭が日本に帰ってくる可能性はほぼ皆無に近い。風祭だって、きっと興味なんてないんだろう。自分のことで精一杯で、そうであるべきだから。

「水野君また背伸びた?」
「ああ、風祭も…少し伸びたな」
「ほんとに少しだけどね」

当たり前だった日常の中にいるみたいな会話に、少しだけ胸が軋む。今、怪我でサッカーの出来ない風祭を前にして、思う存分サッカーの出来る環境とコンディションを保持している俺の方が置いていかれているような錯覚を覚える。お前は俺がいなくても平気だもんななんて、結局傷つくのは俺の方だと分ってる。俺が手に入れた俺らしいサッカーにはいつだってお前がいたよなんて台詞は世界の破滅を前にしたって羞恥心に負けて伝えてはやれないのに。風祭の住む部屋に向かう途中、食糧や飲み物を買う姿をぼんやりと眺めて、ここが今の風祭の日常なんだと刻みつけようとしても心が拒否する。いつからこんなに女々しくなったのか。或いは最初から自分はこんな奴だったのかもしれないと考えながら歩いていればもうとっくに風祭の部屋に着いていた。その途中の記憶なんて全然なくて、これは一人では出歩けないなと思った。ドイツ語は、生憎さっぱりわからない。

「水野君時差ボケ?疲れてるね」
「……別に」
「…変らないね、心配させてくれない所」

仕方ないね、と笑う風祭は変わらない。俺も変わらない。だけど何かが変わって行くんだと知っているから、俺は怖い。夜に眠り朝目覚めた時に少しだけ身長が伸びているみたいに、俺と風祭の距離が少しずつ開いて行く現実が、堪らなく恐ろしかった。

「変わったら、どうなるんだろうな」
「水野君?」
「距離とかじゃなくて、遠くなるかな、俺達」

不意に、恐怖が背中を押す。前に踏み出す勇気では無く、現状に留まろうとする浅はかな弱さが俺の背中を押して、そして俺は数か月ぶりに風祭に触れた。軽く握った手首は、やっぱり何一つ変わらない俺が知る風祭のままだった。そして俺はずっと、こうして風祭に触れたかったのだ。

「よくわからないけど、」
「うん」
「こうして触れてくれる水野君の手の感触とか、温度とか、そういうの全部、全然変わってないなって思う」
「…うん」
「ずっとこのままだったらなあ、って思う」

無理かなあなんて、自信なさげに俯くのは他でもない俺の所為。久しぶりに見た風祭の弱さは俺の弱さだった。何の解決もしていない問題を丸投げにして、俺はただお揃いの弱さに安心して酔っている。ずっとこのままだったら。それこそずっと俺が願っていることそれ自体だ。それでもまだ子供な俺達は大人の庇護と許可を得なければ何も可能に出来ない未熟者。流れる時間の中でいつの間にか変わって行く俺の前に立つ風祭の腕を、こうして何の気なしに掴める変化だけが訪れてくれればいいのになんて、そんな弱いことを、願った。







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