※ちらっと赤也目線が入ります。

いつもは廊下を歩いている柳生先輩が、走っていた。それはもう必死な感じで。普段は風紀委員として(多分そんな事は関係なしに、人柄としても)廊下を走っている人間を注意したりする側にいる人間の柳生先輩がそんな風に廊下を全力疾走していることが珍しくて、俺は繁々とその光景を眺める。そうすると横から真田副部長の聞いているのかと怒鳴る声が聞こえて来て、そういえば俺は廊下を走っている所を真田副部長と幸村部長に見つかってお説教されている最中なのであった。

「副部長。柳生先輩が廊下走るのはいいんすか」
「何?柳生が廊下を走ったりなどするはずないだろう」
「走ってるっすよ。現在進行形で。ほら」
「む?………」
「あれは放っておけばいいんだよ。痴話喧嘩みたいなものだからね」

幸村部長の一声で真田副部長はまた俺のお説教に戻る。俺は納得いかない気持ちを表すためにふくれっ面を披露したりしていたけれど、暫くして銀髪が凄まじい速さで柳生先輩が消えた方向に走って行くのを見つけて納得。幸村部長は「若いなあ」と微笑んでいる。俺はあれを若さとは思わないけど。部長がいうならきっとそうだ。


人生初の廊下を全力疾走と云う、柳生的には愚行を繰り広げる日が来るとは柳生自身今朝学校に来るまでは(来てからも勿論)想像もしていなかった。しかし今は逃げなくてはならない。あの詐欺師という異名をもつ、只の悪戯小僧から逃げきらなくてはいけないのだから。

「やぎゅー、今日は一日俺と入れ替わって生活せえへん?」
「お断りします」
「じゃあ一日中俺と屋上で生活せん?」
「お断りします。というか君もちゃんと授業に出たまえ」
「真面目じゃのう」
「不真面目ですね」
「普通じゃよ」
「私も普通ですよ」

朝練が終ってから教室へ移動する間。いつもとそんなに変わり映えのしない会話を紡ぎながら二人で並んで歩く。今日はやけに去り際を濁すような言葉ばかりを選んでいるような気もしたが、それはきっと仁王が今日は勉強する気分では無いのだろう。授業に受ける事を校舎に足を踏み入れる事の大前提と取る柳生は明らかに仁王のサボり回数が多い事に口を出さない。学校に来る時点で勉強の意思ありとみなすのだ。以前柳に「お前は仁王に甘い」と云われたが本人は全くそうは思っていない。後ろ髪引かれる様子の仁王を(最終的に丸井が本当に仁王の後ろ髪を引いて教室に連れ込んだが)見送りながら、多分彼は今日の授業は自主休校するんだろう、と考える。しかし昼休みの終わり。あともう少しで午後の授業が始まるという時間になっていきなり柳生の教室を訪れた仁王は柳生を問答無用で屋上に拉致した。屋上に着いた瞬間に始業のチャイムが鳴り、そこで柳生は仁王への抵抗をあっさりと諦めた。

「やぎゅー、今日は一緒に屋上にいて?」
「可愛くありませんよ。いい加減にしたまえ」
「ばれたか。なんか今日は朝から柳生にひっついてたい病じゃけえ、ここにいんしゃい」
「アホですか。そんな病気は存在しませんよ。それに私にではなく、誰かに、の間違いでしょう」
「信頼ないのう」
「信頼していてもその病名にはいそうですかでは引っ付いてくださいなんて頷きませんよ」
「ほーか」

朝同様に馬鹿らしい会話が続く。仁王は柳生がもうこの時間中に教室に戻る事を諦めた事にきっと気付いている。それからというもの、会話が続く事もあれば無言のまま座りこむ事もあり。どうやらあっという間に過ぎ去ったらしい時間は、もう終了のチャイムを鳴らしていた。そしてそれを機に座っていた柳生は腰を上げる。二時間連続でサボるなどと、柳生の常識と経験の中ではあり得ない事だった。そうして屋上の扉を開けようとした瞬間、腰にずしっと何かがぶら下がる。もしかしなくとも、仁王であるが。

「……仁王君」
「いかんといてやぎゅー」
「駄々っ子ですか。君は」
「甘やかしてくれてええよ」
「結構です」

というか君もいい加減教室に戻りたまえ、と仁王の顔を見た途端、柳生の顔が引き攣る。この表情は、眼は、まずい。これは、明らかに、「獲物を狩る眼」だった。つまり、ターゲットロックオンである。この顔の仁王は非常にやっかいだ。普段はテニスの試合で相手に向けられる筈のその表情が、何故か自分に向けられている。仁王は自分を全力でこの屋上に引き留める気満々の様で、そしてそれを察知した瞬間、柳生は屋上から全力ダッシュで逃げだした。何故普段の様に言葉であしらって屋上を後に出来なかったのか。それは簡単だ。本能的に感じたからだ。「身の危険」という奴を。最初はまさかあの柳生が校舎内で全力ダッシュで逃げるとは思っていなかった仁王も次の瞬間、弾かれたように跡を追う。これはもう逃げられたから追いかける的な本能と絶対捕まりたくなくて捕まったら何かが終わるといった本能の、一種の意地と意地のぶつかりあいだった。実に下らない事だと、走っている最中にも二人ともお互いにそう思うのだが何故か足が止まらないのもまた不思議であった。
気付けばとっくに最後の授業は始まっていて、人気のなくなった廊下に二人分の走る足音はかなりの大きさで響く。それに気付いた瞬間、柳生は走る足を止めた。結局、仁王の思惑通りに二時間連続で授業をさぼってしまったのだから、これ以上仁王に振り回されたくないと言う意地の方が大きくなり始めたからだ。

「もう逃げんの?」
「逃げてほしいですか?」
「ちっとも」
「なら逃げませんよ」

いつの間にか自分のすぐ後ろまで追い付いていた仁王の呼吸は荒い。自分の呼吸も荒い。静かな廊下で二人して馬鹿みたいに呼吸を乱して立っている。全くもって馬鹿馬鹿しい。小言を言う気にもなれなくて、柳生は小さく笑う。仁王は無気力な表情ではあるが少し楽しそうにしている。彼の願いどおり、柳生は結局授業をさぼったのだから当然かもしれない。もうこのまま部活にだけ集中しよう。荷物を教室に取りに行った時に、同クラスの真田には怒られるかもしれない。だけどそれはまあ全部仁王君の所為にしてしまえば良い話だ。脳内でそう片づけて、だけどやっぱり落ち着いたら段々腹立たしくもあったので、無責任に揺れる仁王の後ろ髪を引っ張ってやった。


部活の時間になって急いで部室に行けばもうレギュラー陣の殆どが着替えを始めていた。その一番奥で真田副部長が柳生先輩に何やら小言を言っているようだったが、柳生先輩は「ああ、そうですね、君の言うとおりですね。以後気をつけます」を連発していた。ハッキリ言って聞いていないと思う。すげーな。俺には真似できそうにない芸当だ。準備運動だとかアップを終えてぐるりとコートを見渡せば柳生先輩にひっついている仁王先輩を見つける。何やってんだアノ人、と思う一方で、今日見たあの光景は部長の言うとおり「痴話喧嘩」だったのだろうと思った。だっていつも通りの仲良しさんだからだ。一方柳生先輩はと言えば「邪魔です」とか煙に扱いながらも仁王先輩を力づくでひき剥がしたりせずに放っている。そんないつも通りの光景を眺めている俺の後ろで幸村部長が「若いねえ」と呟き柳先輩が「甘いな」と零す。俺にはよくわかんないけど、この二人がそう言うんならきっとそうなんだろう。仁王先輩と柳生先輩は今日も今日とて仲良しと云う事だ。





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